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昨日いただいた友人のお土産すごかったです。 土佐日記・・高知県の銘菓、私も好きなお菓子です。 友人は高知県出身で妹さんはもう高知県に帰って暮らしています。 妹さんが大阪へ出てきたときのお土産のお裾分け。 中の餡が従来の小豆ではなくストロベリーミルクとか。 小さめの栗饅頭と黄身餡の饅頭2個づつ。 小さいおせんべい。 200Gコーヒー豆。 それぞれおいしいからと持ってきてくれたもの。 コーヒー豆は前もいただいておいしかったと返事していました。 友人は心からあげたいと思って持ってきてくれるみたいと昨日感じました。 純粋にあげたいという気持ちだから、私の方が1個しかお土産がなくても、持って来ないときがあっても気にならないみたい。 私は友人ほどたくさんお土産を用意する気はありません。 でも面倒だなとは思わずに、自分のペースでお土産を用意しようと思いました。
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薩摩が、長州が、肥前が、土佐が…それは、無しだな。 国家公務員には、そんな考え無し。 最初の頭が、薩長土肥だっただけのはず。
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成蹊大学(・・?公務員に居る(・・? 公立大学もだな。 土佐(・・?高知を正しい(・・?
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>ここで買う人の気持ちが知りたいです エクスタシーを感じることが大切だ土佐 オハヨーさん
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> 越冬した「果樹カメムシ類」、過去10年で最多 山口県が注意報 > 朝日新聞社 によるストーリー • > > > クッセー クッセー カメムシ君 > > あの山口県? アヴェ君のお墓にも一杯だ土佐 あはは カメムシがニュースになる日本 なんと平和なことか たまには、政治に感謝しようじゃないか
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越冬した「果樹カメムシ類」、過去10年で最多 山口県が注意報 朝日新聞社 によるストーリー • クッセー クッセー カメムシ君 あの山口県? アヴェ君のお墓にも一杯だ土佐 あはは
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絶海中津(ぜっかいちゅうしん)~2~ 帰国後は天竜寺の春屋妙葩・性海霊見の もとに身を寄せる。 1380年、赤松則祐の播磨法雲寺住持の 招きを汝霖良佐に譲り、甲斐慧林寺に 赴任した。 1382年、将軍足利義満は義堂を介して 上京を促し、翌年9月に上洛した。 9月14日が日野宜子の忌日にあたり、 義満は鹿苑院に絶海を住まわせた。 1384年6月、摂津銭原に移る。 1385年4月、有馬の牛隠庵に退く。 同年7月、細川頼之の招きに応じ、 讃岐宝海寺を開山。 さらに夢窓疎石の土佐吸江庵を再興。 1386年2月、再び義満の要請を受けて 上洛し、等持寺に住む。 1391年、北山等持院に退居。 1392年10月、相国寺住持。 1394年、等持院に退く。 同年9月、相国寺が火災に見舞われ、 復興に尽力する。 1395年2月、相国寺住持。 1396年、住持を退いて鹿苑院僧録を 勤めたのち、勝定院へ移る。 応永12年4月5日、寂す。70歳。 勅諡は仏智広照国師。 法嗣は鄂隠慧奯・西胤俊承ら。 著書に、 『絶海和尚語録』『蕉堅藁』 がある。
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絶海中津(ぜっかいちゅうしん)~1~ 1334~1405 室町時代初期の僧。 土佐国高岡郡津野出身。 在地豪族津野氏の一族。 建武元年11月13日生まれ。 はじめ道号を要関とする。 のち明に渡って李潭宗泐から 絶海の道号を受けて改称。 別に蕉堅子・蕉固道人と号す。 義堂周信と同郷。 1348年、上洛して天竜寺に喝食。 1350年、剃髪して沙弥となり、 1351年9月30日、夢窓疎石に参じて 彼が没するまで付き従った。 1353年、建仁寺の竜山特見の会下に 参加した。 1354年、南禅寺に移り、大林善育の もとで湯薬侍者を勤める。 1364年、鎌倉建長寺の青山慈永に 参じて学び、さらに大喜法忻の会下に 蔵主・焼香侍者を任される。 1365年5月、義堂周信の鯖見善福寺に 入り、衣鉢侍者を勤めた。 1368年2月、明に渡り、杭州天竺寺の 李潭宗泐に師事する。 ついで霊隠寺・護聖万寿寺に赴き、 用貞輔良・清遠懐渭に会う。 1376年、明の洪武帝との謁見を果たし、 熊野三山詩を披露した。 1378年、帰国。
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日本証券新聞より引用 苛性ソーダでいろいろな商品製造……どんな会社かというと、NaCl(塩)に電気をぶつけてできるのが苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)と水素と塩素。これらを使っていろいろな商品を作っている。例えば機能化学品では、サントリーがグルコサミンの製造販売をしているが、実際には南海化学の工場で受託製造をしている。花王(4452・P)は塩素系の洗剤を作るときに、最後に南海化学の工場で仕上げ、レシピをもらって受託製造をしている。(家庭用洗剤の)アタックは当社で作っている。 大手競合とはマーケットが違う……当社の強みは3つある。“ニッチ”と“立地”が1つ目と2つ目。ニッチは、小ロットとか、液でほしいといった顧客のニーズに応える。われわれは年間3万数千トンしか作っておらず、100万トン作るような大ロットの競合とはマーケットが違う。また、競合がなかなか参入しない、もしくはやめた商品を作っている。クロルピクリンという土壌改良剤や、プールの殺菌剤に使う高度さらし粉は南海化学が日本のシェアナンバーワン。大手が撤退した結果、約40%のシェアとなり、全国展開や輸出もしている。 和歌山・青岸工場は宝の島……“立地”は距離。当社の製造拠点は和歌山、土佐(高知県)に工場があり、中国にもある。和歌山のマザー工場の近くにはいろいろな顧客がいる。実際に一番近いのは花王。苛性ソーダは物流費が高いので(距離が短いのは有利)。もう一つ、和歌山(港)の青岸工場(付近)には住民がいない。環境アセスメントを取るのが易しい。しかも船のオペレーションもでき、陸にもつながっている。産業の宝の島といわれ、エア・ウォーター(4088・P)や三和油化工業 (4125・S)とジョイントベンチャーを稼働している。3つ目の強みは着実な経営。中山製鋼所から独立した時に不採算事業から脱却し、新しい事業を大きくした。 物産、商事と塩製造……中期の取り組みとしては既存事業の強化と世の中のためになる環境ビジネスを拡大する。まず天日塩。三菱商事(8058・P)、三井物産(8031・P)と組んで、49品目の塩を製造、販売する。太陽光で作っているので、(競合と違い)環境にやさしい。 リサイクル事業にも注力……また、ニッチ市場を生かしながら、リサイクル事業を展開する。まず廃硫酸、脱塩素のリサイクル。硫酸の廃液は170万トンあるが、リサイクルに回っているのは7万トン。そのうち当社は3.3万トンをリサイクルしている。今まで燃やしたり、埋めたりしていたがコストが高くなり、リサイクル市場が急激に伸びている。半導体からの廃液が多いので、それを当社で引き取ってリサイクルする。脱塩素はセメントメーカーと一緒にやっている。次に電池領域のリサイクル。電池自身でなく、電池を作るときに出てくる廃液をリサイクルする。蓄電池用で今のところ競合はおらず、すぐにカネにならないが、5年かけて技術確立に集中する。 樹脂で東レと提携……それからPPS樹脂。すごく軽く、一番使われているのは自動車の軽量化。それから最近急激に増えているのはメガネのフレーム。これから大きく伸びる。この原料は水硫化ソーダ。水素と硫酸と活性ソーダでこの3つの原料を持っているのは日本では南海化学だけ。そこに目を付けたのが東レ(3402・P)で業務提携をしている。苛性ソーダは今3万2,000トンぐらい、PPSはそのうちの3,000~4,000トン。水硫化ソーダをもっと作るとなれば増産する。
ララさん② >昨日いただいた…
2024/05/18 20:59
ララさん② >昨日いただいた友人のお土産すごかったです。 >土佐日記・・高知県の銘菓、私も好きなお菓子です。 >小さめの栗饅頭と黄身餡の饅頭2個づつ。 >小さいおせんべい。 >200Gコーヒー豆。 >友人は心からあげたいと思って持ってきてくれるみたいと昨日感じました。 ララさんに喜んでもらえる時思われて用意されたのでしょう。 >でも面倒だなとは思わずに、自分のペースでお土産を用意しようと思いました。 素敵なお友達ですね。 以前、ランチ会の時に小型のドライフルーツ入りのカンパーニュを焼いて持って行きました。 でも、美味しかったとかの返事は無し!2人とも。 たとい美味しく無くても翌日に一言あって欲しかったとか思いました。