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お早う御座います。利食い…て言うより、一瞬為替が153円台を見ましたね。また今朝ほどのNHKニュースでトヨタを始め一連の不適切行為取り上げてましたし…自動車の出庫停止が、景気全般の足腰を折る事に繋がる…、そんな所が嫌気されてるんでしょうか。 日経平均全体が同じ様に売られてますから、仕方ないですね。さほどの深押しにはならないと思いますが。後場、多少戻って落ち着けばと思います。🏮
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何度も何度も叩かれすぎて ルネ随分足腰鍛えられたなぁー ホルダーの握力も相当鍛えられたなぁー 他ハラハラやのにここ安心!
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ありがとうございます。 日本エスコンは、私が存命中、足腰が立つうちに、私のの目標株価を実現していただけるものと信じております。 経営者が、5年後、10年後の日本エスコンの経営状態を絶えず考えての経営をされておるものと推察いたします。 IR情報におきまして、開発案件の完売情報、及び新規開発案件の土地取得情報他を勘案しまして・・・。 日本エスコンの株主に幸あれ!!
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アルソック介護株式会社が介護付有料老人ホームを運営してますね。2025年問題(高齢者問題→足腰不自由、認知症、独居老人)もあり、徐々に老人ホームは空きが埋まり、入居したくても入居できない状態になっていきます。アルソックは介護施設だけでなく見守りサービスも手掛けてるから、来年以降は今の価格では買えない株価になっていると思います。現物長期保持が良さそうですね!!
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ホンマ そう思うわ ----- 「年を取ってから自由を手に入れても遅すぎる」… 1億円貯めて早期退職した張本人が語る、FIREを決断する前に考えたこと THE GOLD ONLINE6/1(土)11:45 「年を取ってから自由を手に入れても遅すぎる」…1億円貯めて早期退職した張本人が語る、FIREを決断する前に考えたこと 1億円もあったら会社を辞める決断なんて簡単にできる、そう思うかもしれません。しかし実際にはそうともいえず、FIRE実行前にさまざまなことを考え、後悔や失敗のないよう準備しておく必要があるといいます。実際にFIREを達成した寺澤伸洋氏による著書『ぶっちゃけFIRE 手取り25万円で子育てしながら1億円ためる方法教えます』(主婦と生活社)より一部を抜粋して、実際FIREにいたる前に何を考えたかをご紹介していきます。 死ぬときに1億円を抱えていても仕方ないと気づいた FIREを決断する少し前、妻が僕にこういいました。 「あなたはお金を貯めたいってずっと言ってきてるけど、死ぬときに1億円抱えててもしょうがないからね」 それを聞いて、それまで「お金を使わずに貯め続けることが美徳だ」と考えていた僕は、頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃を受けました。 それまでの僕は、とにかくお金を使わない、使えない人でした。しかしこの妻の言葉で、「生涯を閉じるときになお、一生懸命貯めた1億円を後生大事に抱えているであろう生き方」に、ようやく疑問を持てるようになってきました。 もちろん、子どもたちにお金を残すという考え方もありますが、僕は子どもたちに資産を残すために頑張ってきたわけではありません。あくまでも自分の人生を楽しむために、自分の時間を投じて頑張ってきたのです。 さらに、貯めすぎたところで、今度は相続税として国に支払うことになってしまいます。ですから僕たちは、次のポイントを忘れずにいようと話し合っています。 ・死ぬときに1億円抱えていても、意味がない ・持っている資産を、できる限り自分の人生で有意義に使うべきである お金は生きている間にしか使えませんから、お金を貯めるフェーズとお金を使うフェーズそれぞれにおいて、明確にいつ、どうしていきたいかを計画していくことが重要になってきます。 1億円を抱えていても、意味がないこう考えていくと、資産の総額は、年齢が上がるにつれて右肩上がりになるのではなく、どこかでピークを迎えて、最後死ぬときに自分たちのお葬式代くらいを残して0円に近くなる「山の形」になるようにしたいですね。 この考えを突き詰めていくと、「いつまで会社員として働くのか」という問題にぶち当たることになります。きっと、妻が僕に伝えた一言が、FIREに向けて動き出す原点となったのでしょう。 健康寿命を意識した それから僕は、健康寿命をかなり意識するようになりました。健康寿命とは、読んで字のごとく「人生において健康でいられる期間」のことです。なお日本人の平均的な健康寿命は、男性72歳、女性75歳だそうです。 72歳なんて、定年退職してからたった数年後。その後は健康でいられなくなる可能性があると考えると、まさに人生を会社に捧げているようなものだと感じたのです。 僕たちは何のために生きているのでしょうか。行きたいところに行き、食べたいものを食べ、会いたい人と会い、やりたいことをやり、楽しく生きるためです。 人は老いますし、体力や気力も衰えていきます。足腰も弱くなり、あまり長時間出歩けなくなるかもしれません。だんだん目が見えなくなってきたり、ものがわからなくなったりもするでしょう。 70歳、80歳、90歳になった自分を想像してみてください。「好きに時間とお金を使っていいよ」と言われたところで、きっと今より欲しいものもなければ、今と同じように繁華街に出かけたり、夜な夜な友人たちと飲み歩いたり、美味しいものをたらふく食べたり、遠いところに何度も旅行に行ったりする体力はないのではないでしょうか。 こうして年齢とともに人生を楽しむ機会は減っていき、いくらお金があってもだんだん使えなくなってくるのだと思います。 だからこそ、「まだ健康な40代のうちに自由な人生を選びたい」と強く思い、FIREの道を意識したのです。 「高齢になってから自由を手にしても遅すぎる!20年後に得られる自由と今の自由はまったく価値が違うはず。まだ若くて元気でやりたいことがいっぱいある今のうちに自由を手に入れたい!」そう思いませんか? FIRE後にどう過ごすかを考えた また、「このくらい貯蓄があればFIREできるんじゃないか?」と考えはじめたときに、あらためてFIREをしたあとの自分の生活に思いを馳せました。というのも、ありあまる時間を手にしたときに、僕は一体何をして時間を過ごすことになるのかを、具体的に想像できていなかったからです。 そこで、次のようなふたつの視点で考えてみました。 ・手にした時間で何をするのか ・どういった友だちと遊ぶことになるのか 手にした時間で何をするのか なぜ「手にした時間で何をするのか」を先に考えるのか。それはヒマな時間は忙しい時間よりも苦痛だからであり、僕にはそれで苦しんだ実体験があったからです。 23歳のとき、新卒で入社した1社目の会社を10か月で辞め、次の仕事まで数か月空いたことがありました。もちろんまわりの友だちは仕事をしているわけですから、彼らと遊べるのは毎日夜から。結局ひとりぼっちで何もすることがない日中は寝て過ごし、夕方から起きて友だちと飲みに行き、また朝になると寝るという最悪の生活パターンにおちいったのです。 今は家庭を持っているので、そんな腐った生活になることはありませんが、当時感じた「何もすることがない」という感覚は忘れることができません。 そして20年以上の時を経て、僕は再びタイムリッチになる決心をしました。これからの僕には通常の定年退職者よりも15年も長く時間があるわけです。しかし、タイムリッチなだけではまた苦しんでしまうことでしょう。 そこで、次こそは長すぎる時間に溺れてしまわぬよう、事前に「人生をかけて何に取り組むか」を明らかにしておきたいと考えたのです。 こうした考えを話したとき、友人たちの中には、「会社の仕事は人生のヒマつぶしだよ。それでお金までもらえるなんて最高じゃん。辞めることないんじゃない?」という人もいました。 しかし、僕はヒマなのはイヤですが、ヒマだから仕事したいと考えるような気質から脱却したかったので、その考えにはまったく賛同できなかったのを覚えています。 そして僕が結論づけたのは、「ゼロから価値を創造し続けていくこと」に人生をかけたいというもの。今までの自分の経験を書籍にしたり、講演で人々に伝えたりしていくことで、多くの方の人生に影響を与えるような価値を生み出し続けようと決めたのです。 どういった友だちと遊ぶことになるのか 読書やゲームなどのコンテンツに没頭するのはそれなりに楽しいことだと思いますが、基本的にこれらはひとりで完結してしまうもの。これまでにFIREした先人たちも、3年もするとゲームにも飽き、孤独感を感じたといいます。 僕は家族が一緒にいるので、そうした孤独感はありません。しかし、きっとFIREしたあとの平日の昼間は友だちと会えない寂しさを覚えるだろうなと思い、先に手を打っておこうと考えたのです。 会社員の友人たちと日中に会うのは難しいだろうから、FIREしたら積極的に同じようにFIREした人たちとつながりを強めていくべき。そこで考えたのが次のふたつの戦略です。 ・得意分野の電子書籍でFIREについて執筆し、世の中に出そう ・XなどのSNSで、FIREしていると発信し、同じ価値観の仲間とつながろう このように意識して発信をし続けることで、FIREをしたあと、少しずつ同じ価値観の友だちが増えてきたのです。 特に出版戦略はじわじわと効いていき、僕よりあとにFIREされた方々とは、電子書籍を読んでもらえたことがきっかけとなってつながるケースが増えてきました。 また、Xなどで呼びかけて交流会を開き、FIREをした人やFIREに興味がある人など価値観の近い方々と会える場を作ることで、さらに友だちの輪を広げることにしました。 こうした例は僕だけではありません。妻も会社員をしているときには会社員の友だちが多かったのですが、会社を辞めて自営業をはじめて7年経った今、まわりは経営者や同じ自営業の人ばかりで、平日によくみんなでゴルフに行っています。 このように、FIREをして環境が変わるタイミングで自らつき合う友だちを変えようと動かなければ、一生読書やゲームでの時間つぶしに頼ってしまう人生になりかねません。 ですから、FIREを目指しているなら、今まで以上に多くの人と会うように心がけてみてください。 寺澤伸洋 作家/講演家
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ああ、今も大阪で株主総会やっているんですね。まだ足腰が元気だった10年余り前、当時は大相撲春場所も開催していた何とか体育館に総会出席のため行ったことを覚えています。当時はアリナミンのお土産がありました。懐かしいです。
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現物で貸し株OFFよろしくです。 海はんの優待の届くのを待っています。🪿🐐 再掲 足腰の 自由に動く 有り難さ 我健康の 証とするや by shi子より 間もなく時の挨拶回りです。 われ家族 農家さんへの 恩返し 季節変わり目 無駄なき始末 by shi子より。 健康は 右脳左脳の バランスを 日々考えて 我身に生かす by shi子より。 熊鈴は我身の保身です。 また10時頃お邪魔🐞予定です。
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統計によりますと、私の残存寿命は、後5年です!(日本人男性の平均値) 残り5年です。 テンバガーの実現を目標にしております。 目標株価、「2110円」です。 株投資をして、マンデべでヒットした銘柄の代表格です。 最大持ち株数は、35,000株でしたが、現在は、2万株です。 株価が、テンバガーになるま、持ち続けたいと考えております。 (家庭の事情でやむなく売却しなければ、ならないことをご承知おきください。) 生活に余裕ができた際には、北海道旅行をしたいと考えております。 石狩・厚岸およびエスコンフィールド北海道を訪問したいと考えております。 足腰が元気なうちに、旅行ができることを祈りつつ!! 運だけが頼りの老い耄れ投資家より!!!
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増山江威子さんは義母と同じ1936年生まれです。(義母が1月増山さんは4月生まれ) バカボンのママ役もこの人だった。 生前の声優紹介で顔を見せなかった。不二子とイメージが違うのを嫌がってた。 もうこんなお歳になるといつ逝ってもかしくない。 義母はかなり足腰が弱ったけど、食欲があるだけマシ。😽ポンちゃん😽の世話係。 いつも一緒にるし、膝に乗ってる時間が長い。 お母さん、大事にしてあげてください。 私は父親は充分やったつもりだったけど、 実母は突然亡くなったので後悔ばかりです。亡くなった時に親の存在がわかります。
だってぇ〜、20〜25円を逹磨…
2024/06/06 11:06
だってぇ〜、20〜25円を逹磨修行して尻に根が 生えてた株やで! それが足腰弱いまま90の遠出は無理やった! ゼンモの30円割れにごく自然戻る❣️ 其の後で足腰リハビリして済んだら 今度はジム通いや❣️ そう言う株価企業とちゃう❓ 何を美人❓社長に夢のせてんのか! 経営陣は顔とちゃう!オツムの中身や❣️