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『茜唄』読み終わりました。 いや~なかなか良かったです。 最後は一気に読みました。 歴史は常に勝者が作るから、平家物語のような文学がずっと伝えられたのは珍しい事です。 平家物語を西仏に伝授した人物をXとしましょう。 Xは誰なのか推理小説的興味も最後まで引っ張りますね。 私はXは本当は〇んでいない知盛かと思いました。 しかし下編最初のころででそうではないと解りました。 ではだれなのか?、戦いの場にいた人でなければいけません。 それで思い浮かばなかったです。 戦いの話だから男性だという先入感があったので。 本の表紙の裏に挟んであるの宣伝の紙に「今村翔吾画描く夫婦愛」と・ それにしては希子が出てくるシーンが少なくて、最後に出て来るのかなと思いながら読んでいました。 平家物語の文章を作ったのは知盛でそれを編集して西仏に伝えたのが希子ということですね。 それならすべての戦いにいなかった希子でも西仏に伝えられるという二重構造だから、推理できなかったです。 これは事実のほうの話として、どうして平家は滅びてしまったのだろう? 義経がいなかったら平家が勝っていたのだろうか? しかし世の中の趨勢として長くかかっても源氏が勝ったのかもしれません。 その頼朝政権も3代で滅び、それも息子を〇したり、もう一人の息子は甥に〇されるし、悲劇的。 両方とも政権としてはぜい弱だったということですね。 旧体制を壊す最初の勢力は長続きしない、第二の勢力が新しい体制を作るようです。 鎌倉時代なら鎌倉幕府を倒した足利政権、その足利政権を倒したのは信長だけど、再度に新体制を作ったのは徳川家康だったように。
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関俊平(せきとしひら) 生没年不詳 平安末・鎌倉時代初期の武将。 常陸国出身。 秀郷流藤原氏で常陸関氏の祖。 通称は関次郎。 父は大方五郎政家。 弟は関政嗣ら。 『保元物語』によると、 1156年、保元の乱では源義朝に従う。 1181年2月、志田義広が頼朝に背いて 兵を挙げると、俊平もこれに参加した。 俊平については以後委細不明だが、 弟達はのちに鎌倉幕府へ出仕している。
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素敵な旅行程 いいですね。 けいさん、ありがとうございます♪ いい感じの街並みみたいだし、温泉は皮膚に神経痛、まるで私を呼んでいるみたいです。別府温泉からこのドライブしていいなぁ。 写真も撮っていただきありがとうございます♪ 妹さんのご主人様いい旅企画ですね。しかも運転までしていただき、ありがたい…今の時代になっても、こんなに仲良しきょうだいいるんだなあ!素敵です。 とにかく、夏ごろまでには計画立てて行きたいです。あの山口萩コースも良かったですが、別府もいいなぁ。もう一つ新しいヤクモに乗って山陰もいいですが、蟹が終わったからね。 と夢物語. さて先週の金曜日に昔からの同僚先輩で4歳年上の友達宅に久しぶりにたけのこお届けしてきましたが、ちょっとお茶飲んで帰るつもりが長々と… 彼女のご主人様はIT関係で自分で会社立ち上げ社長さん、昔からかなりの方で裕福ですが、彼女は退職後もずっと仕事してやっと今はやっと趣味講座に行き出しました。娘さんは鎌倉住まいで東京でお仕事、息子さんも東京でお医○さんしていますが、なんと昨年12月に息子さん宅に5番目の孫が誕生したらしく。 私たちは、お互いに忙しくなると全く連絡しなくなって、きっとご主人のお母様が悪いのかななんて勝手に思っていたら。ビックリ‼️しかもお嫁さんは100mしか家が離れていない同級生だから、出産前から帰省していたのに、今回は友人夫婦が昨年5月から東京に出かけてお手伝いしていたらしい。 私も娘の出産で忙しくしていたけど、あちらはもう凄いことに!お嫁さんはつわりで入院するほどだから、4人の子育て支援らしいけど、今も月二回程度飛行機で✈️通うらしい。 いやあ!楽しいですね。 彼女のご主人は1人っ子、現在のところお孫さん8人!ご主人のお母様は100歳超えてひ孫8人。 家は2ヶ所にあり、その別荘化しているご主人の実家をお邪魔してきましたが、夫婦と近所の方とで田んぼの掃除して田植えの準備していました。
ララさん >『茜唄』読み終わ…
2024/05/03 16:44
ララさん >『茜唄』読み終わりました。 > >いや~なかなか良かったです。 > >最後は一気に読みました。 それはお勧めした甲斐がありました。 上下巻に分かれているから、上下一気に読みたかった事でしょう。 >歴史は常に勝者が作るから、平家物語のような文学がずっと伝えられたのは珍しい事です。 >平家物語を西仏に伝授した人物をXとしましょう。 > >Xは誰なのか推理小説的興味も最後まで引っ張りますね。 > >私はXは本当は〇んでいない知盛かと思いました。 > >しかし下編最初のころででそうではないと解りました。 > >ではだれなのか?、戦いの場にいた人でなければいけません。 > >それで思い浮かばなかったです。 > >戦いの話だから男性だという先入感があったので。 > >本の表紙の裏に挟んであるの宣伝の紙に「今村翔吾画描く夫婦愛」と・ > >それにしては希子が出てくるシーンが少なくて、最後に出て来るのかなと思いながら読んでいました。 > >平家物語の文章を作ったのは知盛でそれを編集して西仏に伝えたのが希子ということですね。 今村翔吾さんの筆の力ですね。 新しい平家物語の解釈が面白い。 >これは事実のほうの話として、どうして平家は滅びてしまったのだろう? > >義経がいなかったら平家が勝っていたのだろうか? > >しかし世の中の趨勢として長くかかっても源氏が勝ったのかもしれません。 > >その頼朝政権も3代で滅び、それも息子を〇したり、もう一人の息子は甥に〇されるし、悲劇的。 > >両方とも政権としてはぜい弱だったということですね。 >旧体制を壊す最初の勢力は長続きしない、第二の勢力が新しい体制を作るようです。 > >鎌倉時代なら鎌倉幕府を倒した足利政権、その足利政権を倒したのは信長だけど、再度に新体制を作ったのは徳川家康だったように。 そう思うと、徳川幕府はよく15代まで続きました。 それ以後は近代化の時代で滅びる事は無くなった。 そして明治、大正、昭和、平成、令和と天皇制が続いていますね。