当時、戦闘機や軍艦を増産していた三菱重工業などの軍需企業は、増資(新株発行)によって巨額の資金を集めています。株価が暴落すると新株が売れなくなり、軍需生産がストップしてしまうため、株価の下支えが絶対条件でした。株価の暴落は国力の衰退を連想させ、戦意喪失につながるため、戦況が悪化しても株価だけは「健全」に見せる必要がありました。太平洋戦争中の戦時金融金庫による株価維持政策は、軍需企業の資金調達を維持し、国民の動揺を防ぐために国が主導した徹底的な「市場の価格統制」でした。 戦時金融金庫(1942年設立)による介入は、戦況の悪化に伴いエスカレートしていき、1942年〜1944年初頭は、日米開戦当初は株価が堅調だったため、急激な変動を抑え込むための部分的な買い入れに留まっていましたが、1944年6月のマリアナ沖海戦の敗北や7月のサイパン島陥落により、資産家が軍需株を一斉に売り始め、市場崩壊を防ぐため、戦時金融金庫は民間から大量の株式を買い取る「量的介入」を本格化させ、1944年7月から1年間で投じた買い入れは約8.9億円(当時の国家予算から見ても巨額)に達している。1945年3月10日の東京大空襲により市場が麻痺すると、政府はさらに過激な政策へ踏み切り、空襲前日(3月9日)の最終株価(3・9価格)を下回る売りが出た場合、戦時金融金庫がその価格で無制限に買い取るという決定を下し、これにより、株価の下値が完全に固定され、事実上の「価格保証制度」となった。
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