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源氏物語「ノート」発見 北野天満宮、神職が学ぶ 学問の神様、菅原道真を祭る北野天満宮(京都市上京区)は27日までに、安土桃山時代に神職が「源氏物語」を学んだ際に書き残した「ノート」や、江戸時代前期とみられる写本が見つかったと発表した。特集展示「天神様と源氏物語―知られざる関係―」で公開している。6月30日まで。 詩歌に秀でた道真の慰霊のために、北野天満宮では連歌が代々献上されてきた。そのため神職は古典文学の教養を身につける必要があり、源氏物語の学習が重視されたという。 今回発見されたノートに当たるものは「源氏物語聞書」。1597年作成とみられ、連歌師から伝受された内容を書き残していた。主人公・光源氏は、平安貴族の源高明がモデルとされるという内容の記述もある。 貴族たちの華やかな日常と愛憎を描いた文学を神職が学んだ理由について、禰宜の東川楠彦さんは「心の動きを知り、感性を豊かにしなければ詩歌は作れない。そのために選ばれたのが源氏物語などの古典だったのではないか」と話した。 特集展示は宝物殿で開催。拝観料は大人千円、中高生500円、小学生・修学旅行生250円。〔共同〕
「星野富弘(ほしのとみひろ)死…
2024/05/09 06:38
「星野富弘(ほしのとみひろ)死去」 星野さんって分かる人いるかな?という気持ちだが、星野さんは20代の時、中学校に赴任早々、体育の時間に跳び箱の失敗で落下。首の下から麻痺が残り、50年少々を寝たきりで過ごして来た人だった。ご本人は大変な努力家で、口に筆を加え、今日まで詩歌を書いてこられた。 今、私の目の前に星野さんの「速さのちがう時計」「風の旅」「鈴の鳴る道」の3冊がある。1冊目は色も黒・白だけだが、2冊目には段々色もついてきて、3冊目は本物の咲いている花のように、色鮮やかできれい。大変な努力をされただろうと毎回思う。その後、カレンダーや、しおりも作られ買わせてもらった。 富弘さんの独身の頃は、お母さんが世話をされていた。富弘さんは不自由な身の上に、癇癪(かんしゃく)を起こし、母親に八つ当たりする時もあったが、息子のため、じっと耐えて来られた。途中からは富弘さんが結婚されたんで、亡くなるまで奥さんがお世話された。 私がまだ以前の会社にいた頃、富弘さんが車椅子で散歩している時に、買い物帰りの自転車の奥さんとすれ違ったが、奥さんが知らん顔をした。というページをコピーして、数人の同僚に配ったことがあった。いつもおもしろいことを言う人たちが、しゅんと首をうなだれたことがあって、誰しも思うところがあるんだと、今もハッキリ覚えている。奥さんは手のかかる毎日に疲れておられたんだと思う。 個人的には何もつながりはないけれど、富弘さんのご冥福をお祈りします。 https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98+%E7%8F%BE%E5%9C%A8+%E5%A4%AB%E4%BA%BA&fr=top_ga1_ext1_bookmark_sa&ei=UTF-8&ts=18961&aq=0&oq=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98&at=s&ai=45fd14df-b431-4e75-ae08-2ca7f35aabba