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次に『逐条解説 国会法・議院規則 国会法編』(森本昭夫)には以下のような記述があります。 (『逐条解説 国会法・議院規則 国会法編』引用開始) 政府の統一見解は、「内閣の予算提案権を侵害しない範囲内において可能」とし、項の新設やその内容が全く変わってしまうような習性は問題があるとして限界があるとの説によっているが、国会では、かつて両院法規委員会(引用者注:昭和23年2月26日)において、「国会は予算の増減又は予算費目の追加もしくは削除等すべて内閣の提出した予算に関して最終かつ完全な権限を有する」との勧告を決定した。すなわち、無制限に修正できる権利を有するとの立場を採ったものである。 (中略)予算の修正に限界を設けると、それによって立法の内容にも制約が及びかねない。財政民主主義の観点だけで無く、立法府としての権能を守る立場からも、予算の増額修正に限界はないと解する。 (引用終わり) これらの憲法解釈によれば「予算修正に限界を設けてはならない」のであり、これは論理的には「上書き修正」も可能という見解となります。 そして実際に「上書き修正」の前例として、すでに述べたように、昭和28年の衆議院における修正案が存在します。 例が少なく、しかも古い例ではありますが、 この先例を確認した上で、「上書き修正」は技術的にも憲法的にも可能であると考え、 手続きを熟知する部署と相談しながら、れいわの勝手な解釈ではなく 政府案のゼロ化、「上書き修正(全とっかえ)」に必要な以下を行いました。 消費税廃止をはじめとするれいわ新選組の緊急歳出項目を、 「歳入・歳出補正」の書式において新しい「項」を立てる。 これにより政府の補正予算はゼロ、上書きされる手続きとなります。 れいわが提出した予算総則補正と甲号歳入歳出補正を見れば(添付画像のとおり)、 そこにあるのは、歳入、歳出とも、すでに成立し執行中の「令和5年度成立予算額」と、れいわ新選組の「補正予算額」である新規国債53兆円分とそこから消費税廃止分とガソリン税ゼロ分をさし引いた金額。そして、それらを足し合わせた額のみです。 政府の補正予算案がゼロになっていなければ、上記以外の金額が書面上に残ることになりますが、そうなっていません。 ❸
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1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)にかけて製造発行された無孔の五円黄銅貨、1949年(昭和24年)から1958年(昭和33年)にかけて製造発行された有孔・楷書体の五円黄銅貨(いわゆる「フデ五」)、そして1959年(昭和34年)以降継続して製造発行されている有孔・ゴシック体の五円黄銅貨の3種類が存在する。 仕様の差異については、後述の「#歴史」参照。3種類とも法定通貨として有効である。 素材 黄銅 品位 銅 60% - 70% 亜鉛 40% - 30% 量目 4.0 g 直径 22.0 mm 孔径 なし 図柄 国会議事堂(表面) 鳩、梅花(裏面) 周囲 ギザあり 発行開始 1948年(昭和23年)10月25日 製造終了 1949年(昭和24年) 素材 黄銅 品位 銅 60% - 70% 亜鉛 40% - 30% 量目 3.75 g 直径 22.0 mm 孔径 5 mm(穴あき) 図柄 稲穂、歯車、水(表面) 双葉(裏面) 周囲 平滑 発行開始 1949年(昭和24年)9月15日 製造終了 1958年(昭和33年) 素材 黄銅 品位 銅 60% - 70% 亜鉛 40% - 30% 量目 3.75 g[2](= 1 匁) 直径 22.0 mm 孔径 5 mm(穴あき)図柄 稲穂、歯車、水(表面) 双葉(裏面)周囲 平滑 発行開始 1959年(昭和34年)9月1日
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> 日本は朝鮮を植民地になどしていません! > 第二次世界大戦で、朝鮮は、日本と一緒に中国と戦いました! > > 日本軍に所属していた朝鮮人は 24万2,341人 > > 朝鮮人は、自ら国を売り飛ばして、挙句に日本に併合してくれと頼んできた。 > その後、日本が戦争に負けると、朝鮮は敗戦国・加害国である事実を誤魔化し > 隠すために、『植民地にされた被害国である』と際限なく嘘を吐き散らして、 > 全ての戦争の責任を日本に擦り付けて、卑劣にも被害国に成りすましている。 > > 当然、従軍慰安婦とか強制労働とか嘘だ。 > 一つ二つが嘘なのではない、『全部』が嘘なのです。 東條 英機(とうじょう ひでき、1884年〈明治17年〉12月30日 - 1948年〈昭和23年〉12月23日)は朝鮮民族二世か、朝鮮民族三世です。
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税率増やせ 胴元からとるのが筋だろうに 低すぎる 公営競技納付金制度について 関係法令 地方財政法(昭和23年法律第109号)(抄) 附 則 (公営競技を行う地方公共団体の納付金) 第32条の2 地方公共団体は、昭和45年度から平成27年度までの間に法律の定め るところにより公営競技を行うときは、地方債の利子の軽減に資するための資金 として、毎年度、政令で定めるところにより、当該公営競技の収益のうちから、そ の売得金又は売上金の額に1,000分の12以内において政令で定める率を乗じて 得た金額に相当する金額を地方公共団体金融機構に納付するものとする。 h ttps://www.soumu.go.jp/main_content/000336544.pdf
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サムライがいない政治家界隈 と朝堂院さんが嘆いていたが、最近よくそう思える。 サムライが、対峙したらユダ金ビビるわ。 マッカーサーの寝所に、殺されること覚悟で談判した日本人ちょっと探したけどなかった。 変わりにこれ > 太平洋戦争終結後、1948年(昭和23年)に「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という偏見から、GHQのジョン・ペルゼル[4]による発案で、日本語をローマ字表記にする計画が起こされた。同年3月、連合国軍最高司令官総司令部に招かれた第一次アメリカ教育使節団が3月31日に第一次アメリカ教育使節団報告書を提出し、学校教育の漢字の弊害とローマ字の利便性を指摘した。正確な識字率調査のため民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田武に全国的な調査を指示(統計処理は林知己夫が担当)、1948年8月、文部省教育研修所(現・国立教育政策研究所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み書き能力調査」が実施されたが、その結果は漢字の読み書きができない者は2.1%にとどまり、日本人の識字率が非常に高いことが証明された。柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱね[5]、日本語のローマ字化は撤回された[6][7][8]。
金の卵というのは大事にされたわ…
2024/05/30 14:00
金の卵というのは大事にされたわけではなく 使用者側に都合が良い労働者だということを誤解している人も 金の卵日本の高度経済成長を支えた若年(中卒)労働者のことをいう。1948年(昭和23年)に新制中学が誕生した際に小学校卒業までであった義務教育の期間が中学校卒業までの9年間に延長された。この学制改革を契機に、戦後の「金の卵たる中卒者」が誕生した。 戦前の高等小学校(基本は2年制)が1948年に新制中学として義務教育化されたことで、中学卒業後すぐに社会に出る若者が生まれ、彼らが金の卵と呼ばれた。後には、「ダイヤモンド」、「月の石」などとも言われたとされる。 高度経済成長を支えた「金の卵」であったが、学力が高いにもかかわらず家庭の経済的理由で全日制高校進学が困難となった若者も多く、公立中学校卒業後に企業で働きながら定時制高校・通信制高校に進学することも多かった。さらに大学の夜間学部・通信教育部に進学するものもいたが、逆に仕事はあくまでも単純労働であったことと、仕事と学業の両立が難しいことから、定時制高校のみならず、仕事も(15 - 22%の高確率で)やめるものもいた。中卒・高卒の男女は大卒と比べ給与が低く、社宅など福利厚生の面でも大きな差があった。