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雪村友梅(せっそんゆうばい) 1290~1346 南北朝時代の僧。越後国出身。 臨済宗一山派。 別に幻空と号す。 一山一寧に参じ、のちその法を嗣ぐ。 1307年、元へ渡る。 元叟行端・虚谷希陵らについて学ぶ。 1313年、ゆえあって投獄されたが、 無学祖元の故事(臨刃偈)を用いて 赦され、のち翠微寺に住す。 1328年、帰国。 信濃慈雲寺に住し、のち徳雲寺を開山。 1337年、播磨法雲寺を開く。 1343年、万寿寺住持。 1345年、建仁寺住持。 貞和2・正平元年12月2日、寂す。57歳。 著書に、 『宝覚真空禅師語録』・『岷峨集』 がある。 法嗣は雲渓支山・太清宗渭ら。
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絶崖宗卓(ぜつがいそうたく) ?~1334 南北朝時代の僧。 南浦紹明に参じて法を嗣ぐ。 豊後万寿寺、筑前崇福寺に住んだあと、 1306年、京都万寿寺の住持。 のち竜翔寺の住持になる。 文保年間、南禅寺に入寺。 1333年、勅によって鎌倉浄智寺の 住持となる。 建武元年6月27日、寂す。 勅諡は広智禅師。 法嗣に明室宗喆・岩叟本中らがいる。
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尊氏の野望 建武新政伝 シナリオは 鎌倉打倒 尊氏の乱 正成の絶望 南北朝時代
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関宗祐(せきむねすけ) ?~1343 鎌倉末・南北朝時代の武将。 常陸国結城郡関城主。 父は関政祐。 民部少輔・大輔。 1338年、南朝方の北畠親房を迎え、 北朝方の佐竹・結城氏と戦う。 1343年、味方の小田城が陥落し、 親房と共に南朝方最後の拠点となった 関城に移る。 同年11月、孤立無援の中で奮闘したが、 子息の宗政らと共に敗死した。
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石室善玖(せきしつぜんきゅう) 1294~1389 鎌倉末・南北朝時代の僧。筑前国出身。 諱は善玖。号は石室。 別称は金剛幡下。 1318年、元に渡る。古林清茂に師事。 1326年、清拙正澄の来日に従って帰国。 のち万寿寺・天竜寺・円覚寺・建長寺の 各住持を歴任。 また甲斐国海岸寺や備前国康徳寺、 さらに武蔵国平林寺の開山となる。 康応元・元中6年9月25日、寂す。96歳。
世良田義政(せらたよしまさ) …
2024/05/14 14:18
世良田義政(せらたよしまさ) ?~1364 南北朝時代の武将。 父は岩松政経。 伊予守。 上総守護。 貞治3・正平19年7月27日、 足利基氏の勘気に触れて追討を受け、 翌日28日に兄弟や梶原景安とともに 鎌倉の如来堂で自害した。 所領は弟の岩松直国が引き継いだ。