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あれは何年前やろう。 俺は昭和記念公園でこのくらいの時期、秋桜を見た。 午前の暖かさが嘘のように午後に公園はしんしんと冷え込んだ。 パークトレインという公園をゆっくり小一時間一周する乗り物に乗った。 乗っている間中、その人は寒さで震えとった。 あまりの寒さに二人で笑った。 肩に掛けてやれるものはなく俺自身が薄着やった。 普段、利用しない立川駅に着いて我々がしたのは温かいものを一緒に食べることやった。 立川の街は匿名性を帯びていた。 未来都市のような、無機質な、過去を感じさせない街は逃亡者の街のように見えた。 23区にはいつも「江戸」が見える。ちょっと目を凝らすとあちらこちらに江戸が潜む。 ほんの薄皮一枚で俺は江戸の影をみつける。 立川には江戸はまるで見えんかった。 温かなものを食べ、軽くお酒を飲み、その間、 彼女は三島由紀夫の話をずっとしとった。 彼女にはそんなところがあった。俺はそれを面白いと思った。 それからカウンターの中の女将さんと雑談になって永田町から昭和記念公園までを繋ぐ「地下通路」の話を聞いた。政府要人の避難通路やと言う。 都市伝説のような話。ほんまか嘘か分からんけれどありそうな話でもある。 それから我々は地下通路でなく電車で新宿まで移動して、ジャズバーですこしカクテルを飲んでさよならをした。 トニーベネットのAs Time Goes Byが流れていた。ふと思い出す。通り過ぎた時間。
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知らん大学、外者、高卒の面々、敵前逃亡者を特別顧問にする経営者たち。臨総まだ?早よ一掃して、配当出して。
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榎戸誠の情熱的読書のすすめ 戦後、元ナチスたちがアメリカでのうのうと暮らせたのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(490)】 【amazon 『ナチスの楽園』 カスタマーレビュー 2016年8月18日】 https://enokidoblog.net/talk/2016/08/18326#:~:text=2010%E5%B9%B4%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%A1 「第二次大戦のヨーロッパ戦線が終結を迎えた際に、ナチスの残党の多くはすでにドイツとその占領地域から脱出していた」。 「ヒトラーの手先となっておぞましい犯罪を重ねていた連中が何千人も、何者にも邪魔されることなく、アメリカ合衆国へと向かっていたのだ。元ナチスたちは、正規のビザを発給され、渡航先で新たな生活を始める予定でいた」。 「アメリカの入国管理制度の裏をかいて、忍び込むようにしてアメリカ入国を果たした元ナチスは、数千人にも及んだであろうか。だが国防総省やCIAなどの情報機関の高官たちの手引きを得て入国した元ナチスが、さらに数百人いた。こちらは、ナチスとの繋がりがあったからこそ、アメリカがソ連という脅威と対決するうえで役に立つと信じられていた」。 「何千人もの元ナチスは、ワルシャワやトラヴニキ、アウシュヴィッツのような恐怖にまみれた土地を自分たちの履歴からきれいに消し去ることで、自分たちの身分を戦時難民に作り変え、戦後のアメリカ合衆国に歓迎され、ついにはアメリカ人になりおおせたのである」。 「ドイツの敗北とともに、元ナチスたちのアメリカへの逃亡は加速するばかりだった。逃亡者の総数は、永久にわからないであろう。ただ、ナチス党とはっきりした結びつきのある戦後のアメリカ移民だけでも、1万人以上だったと推計されている。その中には強制収容所の看守もいればSS(ナチス親衛隊)の将校もおり、第三帝国の政策決定の頂点近くにいた者もいれば、ナチス・ドイツの傀儡国家の政府首班をはじめとするナチスの協力者たちもいた」。 →こんなにたくさんアメリカに渡っていたとは知らなかった。アメリカはナチズムを重んじる国という一面があるのは間違いなさそうだ(-_-;)
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撫さん!見つけようとして見つかったら逃げられるぞ!追われてることを知ってる逃亡者の心理を考えて慎重にな!目立たないように叫ぶんだ! 上げ上げホイホーーーイ!!!
Re:まともなアメリカ人
2024/10/27 15:21
アメリカ人は 逃亡者