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テスラ【TSLA】の掲示板 2024/05/11〜2024/05/16

>>510

「裁判に勝つためには(1)・・・証拠が大切」
https://ogawalaw.hatenablog.com/entry/2014/05/25/110311

証拠が全てであると言ってもよい。

裁判は、当事者が

 (1)主張と

 (2)立証を

交互に闘わせることによって進んでゆく。主張と立証はワンセットだ。そしてこの主張と立証を、レフェリー役の裁判官が黙ってじっと見ていて、最後にどちらかに軍配を上げる。これが裁判の基本的なしくみだ。

■「立証」とは、主張を支える証拠を出すこと
ここで裁判の仕組の中で、最も重要なことを言う。

およそ裁判は「証拠裁判主義」といって、当事者が証拠を提出しなければ絶対に勝つことはできない。当事者にしてみれば、自分が経験したことなんだから、証拠なんてどうでもいいと考えがちだ。このため、裁判官に切々と訴える主張に凝りがちだ。

しかし、裁判は、裁判官という第三者に、どちらの主張が正しいのか、その一方を選択させる作業だ。当事者がいかに真に迫ってもっともらしい主張をしたとしても、それが並立していたら、第三者の裁判官としてはどちらが真実なのかはわからない。なんとなくこっちのほうが真に迫ってもっともらしいから採用!などという浪花節な裁判は許されない。ヤマ勘で裁判されたらたまったものではない。このため、専ら証拠に基づいてどちらの主張が真実らしいのかを判断すべし、という仕組になっているわけだ。これが証拠裁判主義。

このように裁判は、自分の主張の正しさについて、見知らぬ他人(=裁判官)を説得する作業だから、それを真実だと思ってもらうための証拠が最も大事だと言うことになる。

■演説したい気持ちはよくわかる👈こればっかり!
素朴な感覚では、証拠という過去の抜け殻を出すよりも、自分の話を聴いて欲しいと思うだろう。だから証拠よりも主張の方に熱が入りがちだ。しかし極論すれば、主張は必要最小限でいいのだ。裁判は、およそ当事者の言いたいことを全て判断するわけではなく、法的な権利があるかないかを判断する作業だから、裁判官は必要最小限の部分しか見ないし考えない。

【結論】
証拠の提示のない主張は

議論の俎上に上がる

こもないことを正しく認識することから始めよう。