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東京海上さま 日経225銘柄 決算でしくじり保険だしてください 損失利益の25%を保証しますとか 外交員の営業成績あがるとおまいます 何卒よろしくお願いいたします
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下ろしの動きも出てますよね、、 下ろした所で変わらんのでアメリカよろしく流石にブチ切れるまで行って中世ヨーロッパのゲロチンの系みたいになるのか、、 メロリンニキもやるなら大塩平八郎みたいな感じで散ってほしいわ、、 議員などいらんもん入らなくて外交員みたいな外交専門の有能な人を置いて 今は市長様のほうが真っ当で優秀だから各自治体で運営するとか、、 小野田議員英語もできて実直っぽいので採用、、 余計な事で国民を56すいじめるような動きそれが自覚なくてもいらん! んー、これは答えになってないか、、 まあまー日本国民ブチ切れて何か怒るような気はするかと、、
>仕手と言えば加藤さんが有名で…
2024/05/09 21:34
>仕手と言えば加藤さんが有名でしたね。 >大物政治家ともパイプがあり、誠備グループとして派手に活動していた時に脱税容疑で逮捕されましたが、検察の狙いは、誠備グループの仕手株投資に加わっている政治家の名前をゲロさせることだったそうです。 そんな凄い相場師が居たのですか。 <ウィキペディアより> >1973年、黒川木徳証券の歩合外交員として兜町に復帰。ここで説得力のある弁舌と、明晰な頭脳、また人間的魅力で顧客を獲得していった。特に総会屋を通じて、大企業の経営者、政治家に近づいたと言われる。 1976年から1977年にかけてのヂーゼル機器株および岡本理研ゴムの仕手戦で、笹川良一の信頼を得てから、さらに力を付けたものらしい。このヂーゼル機器株の場合は、平和相互銀行系の資金のほかに自ら個人客も結集して株を買い集め、その名義を隠すために1976年10月、誠備投資顧問室の前身「日本橋信用」を発足させたとされる。玉置和郎と昵懇になりグループを結成したという説もある。 1977年、「誠備」の前身ともいうべき、「ダイヤル・インベストメント・クラブ」を結成、銀座スポニチビルに事務所を開く。加藤はこれ以前、笹川グループや平和相銀グループなどの仕手株を扱う兜町の窓口的存在に過ぎなかったが、この事務所を開いて後、独立した仕手筋として兜町でのし上がっていく。 1977年暮れ「ダイヤル・インベストメント・クラブ」を解散させ「誠備」として発足、あるいは1978年11月「誠備」として発足、1979年6月「誠備グループ」として名称変更。本拠は日本橋茅場町に置いた「誠備投資顧問室」であった。