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夕刊フジから ワタミはおかげさまで今月16日に創業40周年を迎えた。今週と来週の2回にわけて、40周年の節目の気持ちを記しておきたい。前編は40年で一番の出来事を振り返りたい。 まず一番うれしかったことは1996年の店頭公開だ。上場するまでは個人としても億単位の借金を背負っていたが、それから解放されたことはほっとした。一番苦しかったことは間違いなく、つぼ八(フランチャイズ)から和民(自社ブランド)に転換したときだ。5億円の利益を捨て、和民に転換するたびに1店舗300万円の赤字になっていく。地獄だとわかっているのに進むしかなかった。夜中になんども冷や汗で目が覚めた。 一番の恩人はつぼ八創業者の石井誠二さんだ。創業のチャンスを与えてもらい、和民転換時の赤字の危機には、つぼ八から離れて自分の店を経営していた石井さんが「俺の店は黒字で利益が出ている。社員をうちの店にいれて、盗めるノウハウをすべて持っていけ」と言ってくれた。おかげで和民は黒字化した。石井さんなくして、今のワタミはない。 一番思い出の場所は、和民1号店の東京・笹塚だ。失敗できないと思い、笹塚の商店街を何度も歩いた。あの時ほどプレッシャーを感じたことはない。今でも鳥メロ笹塚店に行くとタイムスリップする感覚になる。 一番忘れられない光景は、一部上場記念パーティーの帝国ホテルだ。壇上から見た社員とその家族の表情は忘れられない。達成感と100億円調達してステージが変わるという「わくわく感」があった。40年で一番迷ったことも振り返ったが、本当に迷っていない。バブルの時に銀行から「お金を貸すので、ホテルを経営しませんか」といわれた。突き進んだが、銀行の最後の審査で落ちた。もし経営していたら、バブル崩壊と一緒に終わっていただろう。 今思えば、もう少し迷えよと自分にいってやりたい。本当にワタミは運のいい会社だと思う。新しく生まれた会社が、プライム企業となり、40年続く確率は、「100万分の1」といわれている。 その奇跡は、居酒屋でも最上級のおもてなしをしようと、ひざをついて接客したところからはじまった。13日の決算会見でも、祖業居酒屋の好調などで、41・9億円の黒字を報告したが、数字には載っていないワタミ最大の財産は「お客さまを思う心」だ。
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さっき焼肉の和民に行ってきたけど、満席で15分ほど待たされたわ。平日の18時で満席だし今期も調子良さそう
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鳥メロやミライザカも焼肉の和民も普通に客が入ってるから第一四半期決算も黒字でそろそろ株主優待を改善してもらえないだろうか?
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とりあえず岡山の和民で反省会開こか。
1913(大正2)年、創立30…
2024/06/03 15:29
1913(大正2)年、創立30周年記念祝典において、総長大隈重信(当時)は早稲田大学教旨を宣言しました。 早稲田大学の教育の基本理念を示す基本文書としての早稲田大学教旨は、高田早苗、坪内逍遥、天野為之、市島謙吉、浮田和民、松平康国などが草案を作成し、大隈重信が校閲の上祝典で発表したものです。1937(昭和12)年に教旨の碑文が早稲田大学正門前に設置され、今日に至っています。