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宣光門院(せんこうもんいん) 1297~1360 鎌倉末・南北朝時代の皇族。 藤原実子とも。 父は正親町実明。 母は三条公貫の娘。 祖父洞院公守の養女となる。 花園天皇の後宮に入り、南御方と称す。 寿子内親王・源性入道親王らを生む。 1332年1月、従三位。 同年12月、准三后。 1338年4月、院号宣下を受け、 宣光門院と号す。 1348年11月、落飾。法名は遍照智。 延文5・正平15年9月5日、崩す。64歳。
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千家孝宗(せんけたかむね) 生没年不詳 南北朝時代の豪族。千家氏の祖。 出雲国造。 父は千家孝時。 千家氏は天穂日命の後裔で 代々出雲国造として出雲大社の 神職を世襲している。 兄清孝の死後に、弟貞孝との間に 継嗣争いが起こり、双方が互いに 神事を奉仕することが決まった。 孝宗は千家、貞孝は北島と称して 国造の家は分立した。
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世良田義政(せらたよしまさ) ?~1364 南北朝時代の武将。 父は岩松政経。 伊予守。 上総守護。 貞治3・正平19年7月27日、 足利基氏の勘気に触れて追討を受け、 翌日28日に兄弟や梶原景安とともに 鎌倉の如来堂で自害した。 所領は弟の岩松直国が引き継いだ。
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雪村友梅(せっそんゆうばい) 1290~1346 南北朝時代の僧。越後国出身。 臨済宗一山派。 別に幻空と号す。 一山一寧に参じ、のちその法を嗣ぐ。 1307年、元へ渡る。 元叟行端・虚谷希陵らについて学ぶ。 1313年、ゆえあって投獄されたが、 無学祖元の故事(臨刃偈)を用いて 赦され、のち翠微寺に住す。 1328年、帰国。 信濃慈雲寺に住し、のち徳雲寺を開山。 1337年、播磨法雲寺を開く。 1343年、万寿寺住持。 1345年、建仁寺住持。 貞和2・正平元年12月2日、寂す。57歳。 著書に、 『宝覚真空禅師語録』・『岷峨集』 がある。 法嗣は雲渓支山・太清宗渭ら。
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絶崖宗卓(ぜつがいそうたく) ?~1334 南北朝時代の僧。 南浦紹明に参じて法を嗣ぐ。 豊後万寿寺、筑前崇福寺に住んだあと、 1306年、京都万寿寺の住持。 のち竜翔寺の住持になる。 文保年間、南禅寺に入寺。 1333年、勅によって鎌倉浄智寺の 住持となる。 建武元年6月27日、寂す。 勅諡は広智禅師。 法嗣に明室宗喆・岩叟本中らがいる。
千秋親昌(せんしゅうちかまさ)…
2024/06/01 14:53
千秋親昌(せんしゅうちかまさ) 生没年不詳 南北朝時代の神官。 父は千秋範広。 摂津守。 父の跡を継ぎ、尾張熱田大宮司となる。 1335年、北条時行配下の三浦時継が 尾張に逃れてくると捕縛、京都へ送る。 足利尊氏が建武の新政から離反すると、 新田義貞軍に加わって尊氏を破り、 また箱根で直義軍と戦う。 1338年、北畠顕家の西上軍に従い、 以後は南朝方として転戦した。 のち剃髪し、源雄と称す。