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善慶(ぜんけい) 生没年不詳 鎌倉時代前期の仏師。 善円・善慶・善春らと同じ善派に属す。 はじめ般若寺の文殊菩薩の頭部を つくり、法橋に叙せられる。 1249年、清涼寺式釈迦像を製作。 1258年の初秋頃に没したという。
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禅暁(ぜんぎょう) ?~1220 鎌倉時代の僧。 父は源頼家。 母は昌寛法橋の娘。 『尊卑分脈』や『承久兵乱記』では、 童名を善哉とするが、兄である公暁と 同じであるので定かではない。 承久2年4月11日、実朝を暗殺した 公暁と同意の嫌疑をかけられたため、 京都東山辺りで北条義時に誅殺された。
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禅観(ぜんかん) 生没年不詳 鎌倉時代の僧。 長聖と号す。 常喜院覚心に従う。 大和国海住山に住み、 のち如意輪寺に移る。 建長年間に戒壇院円照に招かれて 梵網経の緒論を講じたほか、 諸寺でも招かれ講座を開いた。 著書に、 『鈔三巻』『文集』十九巻 がある。
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仙華門院(せんかもんいん) ?~1262 鎌倉時代の皇族。 曦子内親王。 父は土御門天皇。 母は源有雅の娘、大宮局。 1244年12月、親王宣下を受け、 斎宮に卜定される。 1246年、御嵯峨天皇の退位に伴い、 退下。 1248年8月、御嵯峨上皇の准母となり、 皇后として入内。 1251年3月、院号宣下があり、 仙華門院と号す。 弘長2年8月21日、崩す。
潜渓処謙(せんけいしょけん) …
2024/05/26 14:34
潜渓処謙(せんけいしょけん) ?~1330 鎌倉時代後期の僧。武蔵国出身。 はじめ円覚寺の仏光禅師に師事、 のち東福寺の聖一国師に参じる。 1320年、筑後承天寺に住したが その後帰京して東福寺住持となり、 さらに南禅寺へ歴住する。 後醍醐天皇の帰依を受け、 普円国師の号を賜る。 その後は播磨宝光寺・摂津澄心寺、 さらに伊勢浄法寺を開山。 元徳2年5月2日、寂す。 著書に、『潜渓録』がある。