検索結果
-
おはようございます 久しぶりの投稿です。 株の事は忘れて 秋を満喫した生活中です。 最近の一汗作業 サツマイモ堀リしました。紅はるかと紅あずまです。 ねっとり系とホクホク系の様です。 紅はるかは 蔓ボケも少し出て収穫量は想定の7割くらいでしょうか 大きなものは1個で900g以上の芋もあり掘り上げるのに一苦労ですが 楽しみながらの収穫作業でした。 その他 ・長年乗ったSUV車を小回りの利く小型車に更新し納車がありました。 今は小型車と言えどもフル装備で200万円を超える価格ですね。 気に入った希望ナンバーつけてこれから10年はど私の行動の足として活躍 してくれるとおもいます。車種はN-Boxです。 ・紅葉シーズン到来で オープンカーでドライブ楽しむ予定。 4年前に買ったこの車は生産後既に35年以上経過したクラッシックカー。 フルレストアして、年間春秋の季節の良い時だけ乗ります。 雨天時は乗ったことありません。幌を開けてオープンカーで高原を走行 したり高速道路走ってます。 ・神社の秋祭り(私は神社総総代です)を執り行います。 境内の掃除とのぼり 旗の掲揚 神事 そして地域の皆さんとの直会で交流深めます。 ・先週は子供たちを集めて 家族会議行い。 満期になった通帳を渡し相続の 一貫を行いました。生きてるうちに 思いを伝えながら渡したいと40年ほど 前から始てめていた郵便積立貯金。その間郵便局長さんは何人交代したんでし ょう? いろいろ考えながら少しずつ 歩みを進めています。 私の農園は【歩み・農園】となずけています。歩みという字は少し止まると 書きます。時には立ち止まって 横を見たり足元見たりして自然と対峙して 生きていきたいですね。新たに名刺も作りこの文言入れてあります。 では15日ザラ場でお会いしましょう。
-
自分なら農園は今後も伸びしろあるし2026年には雇用率のUPもあるので今期が底とみて買いを入れます。 配当も10円あるし
-
ここは農園の伸びだけみてればいいことに気づいた
-
バナナ農園の令嬢はあくまで現地担当の話で、日本国とフィリピン国との各種調整だったり、フィリピン内の他の競合品との性能比較だったり細かい工程を終えないと正式に輸入まで至らないと思いますよ。
-
サンプル使用… バナナ農園の令嬢が来てくれたとか言ってたけど、まだ契約云々は先の話だね。
-
農家は農家で汚い事するし 畑で楽な部分だけ仕事して 日雇いに押し付け 田舎のシルバーじゃよく聞く話 だから田舎じゃ農家仕事は嫌がられる こんなのいくの何も知らない都市部の人間だけ 今なら柿とか栗農園の評価低くて レビューがありがとうございました ってのが並んでるのはそう言う事
-
岡本さん引退早めて バナナ農園リベンジした方がいいですよ これマジ(本気)でw
-
・京成、JR佐倉駅から送迎バスの運行を自治体が肩代わりする。市内の他の観光施設等も経由し、平日40分間隔、土休日20分間隔。鉄道ダイヤに合わせるのが望ましい。 ・東京駅からの高速バスを朝・昼・夕の3往復体制とし、バス会社に補助を行う(一往復だけでは少なすぎる!)。 ・駐車場と自然散策路・広場は佐倉市がDICから借り受ける形とし、駐車場有料化への設備投資を行う(園内で買い物や美術入場料を払った方は4時間まで無料とする)。 ・隣接する私有地(国道51号交差点付近にあるトラックの車庫など)を佐倉市が購入し、道の駅・観光物産館・イモ掘り体験などができる農園を整備し、集客に努める。 最低でもこれくらいの投資を自治体にはやって頂きたいかな。佐倉市、千葉県協働で。その上で、DICに撤退をしばらく見合わせるようお願いすれば… (単に署名集めました!って、それじゃ只の無意味な「やりました!」ポーズに過ぎないでしょうね。) あと、先日行った時に気が付きましたが、国道交差点脇に、ダイワハウスが巨大物流倉庫を建設しているのに気が付きました。工業団地?なんでしょうけれど、もったいないなぁ。確かに高速インターからそんなに遠くないし、国道沿いではあるけれど、あの国道未だに対面通行で渋滞しがちだし、あんなの作るくらいだったら美術館とセットで楽しめるような集客施設でも誘致すればよかったのに。成田空港や酒々井アウトレットにも遠くないのだから、庭園型リゾート施設(ホテル&スパ)でも作って、あの一帯で優雅な非日常を過ごせるようにするとか。
-
では松本市に行こう。。。。 有名な温泉街があります、わさび農園、北アルプス、ガイドはサロやん。笑 百歩さんの高級車で観光。。、わはは。。。。 一度に掲示板の三家族が。。。。 松本には飛行場も有る。。。。
1885年:日本からハワイ王国…
2024/10/14 19:57
1885年:日本からハワイ王国に集団移民した労働者達が、サトウキビ農園の雇われ労務者として海を渡りました。 1885年から1924年:一世と呼ばれる約20万人の日本人がハワイに、18万人がアメリカ本土に集団移民しました。 1899年:日本人がペルーに移住しました。 1908年:日本人がブラジルに移住しました。 1973年:日本からの最後の移民船がブラジルに到着しました。