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徒然草の掲示板

もう日本に「カジノ施設」は永遠にできないのか
横浜市長選であぶり出された「IR」の無理な構造

かんべえ(吉崎 達彦) : 双日総合研究所チーフエコノミスト

シンガポールのマリーナベイ・サンズ。横浜市長選挙では「IR推進派」が敗北。そもそも今の構造では、外国人も日本に投資しない?

8月22日の横浜市長選挙はなんと「ゼロ打ち」だった。つまり開票作業を待つまでもなく、午後8時ちょうどにNHKが「当確」を出すという大差であった。

もともと「市民の7割」がIRに反対だった横浜

この連載は競馬をこよなく愛するエコノミスト3人による持ち回り連載です(最終ページには競馬の予想が載っています)。記事の一覧はこちら
立憲民主党が推薦した山中竹春候補が、50.6万票を超えるぶっちぎり。対する自民党公認の小此木八郎候補は32.6万票にとどまり、文字通り「秒殺」ということにあいなった。

しかるに、現職の林文子市長が19.7万票を獲得しているので、両者を合計すれば52万票を超える。保守分裂がなければ、果たしてどうなっていたことか。さらに元長野県知事の田中康夫氏が19.5万票、元神奈川県知事の松沢成文氏が16.2万票と続いたが、これらは「どちらにも入れたくない人」の受け皿となった模様である。

横浜市長選挙が保守分裂となったのは、横浜市におけるIR(複合型リゾート)誘致をめぐって意見が割れたからだ。現職の林市長はIR推進派。「横浜イノベーションIR」という公式ウェブサイトを見れば、横浜市がどれだけ本件に力を入れていたかがよくわかる。

横浜市は約370万人と人口が多いわりに大企業の本社や工場が少なく、行政サービスの需要が大きいのに財源が乏しい。この点は隣の川崎市とは対照的で、中学校給食でもワクチン接種でも横浜市が後塵を拝している。「これから少子・高齢化が進む中で、横浜が都市としての活力を維持し、新たな財源を確保していくためにもIRを実現する必要がある」と横浜市のウェブサイトは訴えている。

ところが世論調査によれば、横浜市民の7割以上がIRには反対であった。小此木候補も「横浜には作らない」と宣言していたので、選挙戦のテーマとしては徐々に後退した。

終盤戦では、もっぱらコロナ対策が論戦の中心となっていた。なにしろ神奈川県も連日、新規感染者数が2000人を超えるようになっていたからだ。そして横浜市立大学医学部の元教授で、データサイエンスの研究者である山中候補が、「コロナ対策唯一の専門家」としてリードを拡大していったのである。

さて、民意は出た。たぶん横浜市のIR推進室は、近日中に解散ということになるのだろう。これまで横浜IRには、カジノ運営会社としてシンガポールのゲンティン、マカオのメルコの2グループが審査を通過していたが、計画の白紙撤回に伴って、彼らも「お疲れさま」ということになるはずだ。

IRビジネスの枠組みも再考の必要性あり
まことに興味深いことに、ゲンティンと組んでIR事業参入を狙っていたセガサミーホールディングスの株価が、選挙の翌日から上昇に転じている。普通だったら売り込まれるはずのところ、こういう反応が出るところがいかにも株式市場である。果たしてマーケットは同社に「IRなんて儲かるはずがないのだから、本業に専念しろ」と言っているのだろうか。

かねてカジノの愛好者で、IRビジネスにも関心を持ってきた筆者としても「まあ、この結果はしょうがないな」と思っている。昨年来の世界的なコロナ感染の蔓延を受けて、IRやツーリズムをめぐる状況は一変してしまった。

「アフターコロナ」の時代が到来して、インバウンドの需要が戻ってくるまでには、まだまだ時間を必要とすることだろう。そしてカジノで得られる収益で「MICE」(会議、研修旅行、国際会議、展示会などの英語の頭文字をとったもの)と呼ばれる巨大施設をともなった「集客装置」を作り、都市に多くの人の往来と消費と財源をもたらそう、という目論見も、時代の要請に合わなくなりつつある。

ただしそれ以前に、現行のIRビジネスの枠組み自体も再考の必要があろうかと思う。横浜IRにおいても、昨年、アメリカのラスベガス・サンズ社が撤退宣言をしたことが痛かった。申し訳ないけれども、アジアのカジノ運営会社では所詮、大きな投資になりそうにないのである。この間の事情は、あまり知られていないのではないかと思う。

サンズ社が日本市場から撤退したのは昨年5月のこと。同社はかねて100億ドル(約1.1兆円!)の対日投資を検討していた。何しろ彼らには、サンズ・マカオとマリーナベイから上がる巨額の収益がある。それらを株主に配当するよりも、「アジアにおける最後の市場」たる日本にぶち込みたい、と考えていたのである。

ちなみに同社のオーナー、シェルドン・アデルソン氏はドナルド・トランプ大統領(当時)の大スポンサーであり、「政治力を使って、日本のIR市場に割り込んでくる」などと囁かれていたものだ。一部では、日本政府はその片棒を担がされるに違いない、などという観測まで飛び交っていた。

「三方よし」にほど遠い現状のIRビジネス体系
しかるにアデルソン氏の経営判断は、きわめて合理的なものであった。ブルームバーグ社の記事”Las Vegas Sands Gives Up on $10 Billion Japan Casino Project”(ラスベガス・サンズ社は、日本のカジノ1兆円計画を断念)を基に、この間の事情を説明しよう 。

* 世界最大の富豪の1人であるアデルソン会長は、ラスベガスやマカオやシンガポールに建設したのと同様なギャンブル、ホテル、展示場を含むリゾート施設に100億ドルを投資したいと言っていたが、このたび撤退声明を発表した。
* 最大の障壁のひとつは、営業許可期間がわずか10年に限られていることだ。この期間内であっても、政府や自治体が条件を変更して企業利益を阻むかもしれない。サンズ社のリゾート施設はマカオでは20年、シンガポールでは30年のライセンスを与えられている。
* リゾート建設に5年程度を要することを考慮すると、10年間の営業許可は投資規模を回収するリターンを得るには満たない。日本における地価や労働力は高価であり、銀行は建設コストの半分を超えて貸そうとはしない。日本での課税ベースは、ギャンブル総収入からの30%取り立てに加えて、法人税も31%であるという。
* 日本政府は、日本の市民がカジノを訪問する回数を制限し、入場料を1日55ドル程度にする計画である。しかも外国人顧客が勝った場合には、勝ち分に対して課税されるかもしれないという。

近江商人の経営哲学に、「三方よし」の教えがある。「売り手よし、買い手よし、世間よし」というもので、そうでないとビジネスは長続きしませんよ、という教えである。しかるにこのIRビジネスは、「三方よし」ではないのである。

カジノ会社にはやけに大きなリスクがあり(営業許可期間は短く、課税ベースも高い)、ファンにもいろいろ負担があり(3割のテラ銭はJRAよりも高い)、社会への貢献ばかりが大きくなっている。

逆に言えば、横浜市がこれまでIR計画に入れ込んできた理由がよくわかる。地元にとって、非常に有利な内容なのだ。おそらくは財務省主税局が「ギャンブルは悪である」との信念から、いびつな制度設計に関与をしてしまったのかもしれない。

  • >>34

    今後、大阪やそれ以外の候補はどうなる?
    だいたい「ギャンブルの勝ち分に課税する」とはどういう了見なのか。もっとも、それで1兆円の対日直接投資の機会を失ったのだとしたら、「貧すれば鈍する」という言葉がピッタリである。

    シェルドン・アデルソン氏は今年1月、87歳であの世に旅立った。ラスベガス・サンズ社は本件について、正しい経営判断をしていたことになる。なにしろ日本におけるIRビジネスは、1度の地方選挙で不可能になりうることがわかったのだから。

    アデルソン氏は、ボストンのタクシー運転手の息子として生を受けた。幾多の職業を経験したのち、見本市の運営で財を成した。1995年にコンピュータの展示会COMDEXをソフトバンクグループに売却し、それで得た8億ドルでカジノ業に参入した。

    60代で始めた事業が成功を収めて、世界最大のカジノ運営会社のオーナーとなり、総資産350億ドルの大富豪になったのだが、その人生は「ギャンブル」とは程遠いものであった。少なくとも自分のメンツを守るために、巨額の投資を強行するようなことはしなかった。

    問題は今後のIRビジネスだ。大阪では、間もなくMGMリゾートとオリックスがIR事業者に正式決定する見込みだ。大阪は2025年の関西万博開催後に、会場となる夢洲でIRを開業したい意向である。幸いにも大阪府と大阪市は、首長も議会も「維新」がガッチリ押さえているから、「IR推進」の方針は当面揺るがないだろう。しかし事業者の立場からみれば、ある日突然、「ギャンブル反対首長」が誕生するリスクは残ることになる。

    それ以外には、和歌山県と長崎県が名乗りを上げている。和歌山は観光族である二階俊博自民党幹事長の肝いりプロジェクトであり、長崎はハウステンボスへのIR誘致を目指している。それぞれカナダとオーストリアのIR事業者を選定済みだ。政府は当初IRの開業地を3カ所に絞る方針だが、この2カ所は大阪に比べて小さめのIR開業となるだろう。

    世間的には、「いずれ東京都がIRに参入するのでは?」との観測も絶えないところである。なにしろ東京五輪とコロナ対策で過去の剰余金を使い果たした、という事情もある。こちらはまず民意を確認したうえで、将来の2次選抜の機会を待つことになるだろう。

    いずれにせよ、横浜市長選挙はIRビジネスにとって大きな転機となる。ここは考えどころで「ウィズコロナの時代」のIRビジネスはどんな形をとるべきか、「仕切り直し」が必要ではないか。IR法案自体はすでに成立している。そして将来の財源を求める自治体は、今後も現れることだろう。

    その場合、事業者とファンと地元がもう少し「三方よし」の関係にならないと、このビジネスは持続可能なものにならないと思うのである。