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「5月5日」端午の節句 今は、あまり見かけなくなりましたが「5月5日」の端午の節句には、あちこちに「鯉のぼり」や「幟旗」がひらめいたものです。 この「のぼり」を立てる風習は江戸時代から始まり、紙で作った幟に、家の定紋をつけたものや鍾馗さんの絵を描いて、家の外に建てる「紙幟」が広く行われていましたが、現在では、布製やビニール製が多いようです。 その「鯉のぼり」は「吹き流し」とともに竹竿に飾られ、テッペンの矢車のカラカラという音とともに五月の薫風にはらんで、大空に泳ぐ姿は、いかにも元気な男の子の姿にふさわしいものです。 笈(おい)も太刀も五月(さつき)に飾れ紙幟 芭蕉 はたはたと幟の陰の打つ如し 中村汀女 もともと「鯉」は「出世魚」なので、子供の成長と立身出世を願ってその「初節句」に建てるのを「初幟」と言います。 江戸住みや 二階の窓の初幟 一茶 最近は、アパート暮らしが多いので、二階だけでなく、あちこちの窓に小型の鯉のぼりが立っているのをよく見かけます。 5月5日の端午の節句によく食べるのが三角形の「粽・ちまき」ですが、これはうるちの粉と、もち米を練って、笹の葉に包み、糸や藁で縛って蒸したもので、関東地方では「柏餅」を食べるように、関西ではこの「粽・ちまき」を食べるのが風習になっています。 これは、古代中国の憂国の詩人「屈原」が汨羅(べきら)の河に身を投じて死んだのを弔って、5月5日に「粽を汨らの河に投げ込む」という中国の習俗が日本に伝わって、旦木の節句と結びついたものです。。
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〇風月抄「聴診器の起源」5月5日 今日「5月5日」は、五節句の一つの男の子の節句「端午の節句」ですね。今は「子供の日」として祝日になっています。 この日には、粽(ちまき)を食べる慣習がありますが、これは、古代中国の憂国の詩人「屈原」が、「汨羅・べきらの河」に身を投じたとき、その体を魚の餌にならないようにと、人々がその代わりに、もち米で作った餅を草の葉で包んだ「粽・ちまき」を川に投げ込んだという故事から、この端午の節句と結びついて、5月5日に「粽」を食べるという風習が出来ています。 「せいくらべ」 ♪柱のキズは おととしの 5月5日の せいくらべ ちまき食べ食べ 兄さんが はかってくれた 背いのあと そういえば子供のころ、傷はつけなくても、柱に背もたれして、よく竹製の物差しで背の高さを計ったものです。 また、二つの紙筒に糸紐をつけて電話ごっこをしてよく遊んでいましたが、世の中には、こんな無邪気な子供の遊びがヒントになって思わぬ大発明が生まれた例が多いですが、「聴診器」もその一つです。 お医者さんにとって、一日も手放せないのが、聴診器ですが、もともと、聴診器を発明したのは、フランスの病理学者「R・T・H・ラネンエック」です。 彼は1916年に、子供たちが、このように長い棒を耳に当てて遊んでいるところを見て思いつき、翌日、さっそく細い紙筒を作って、心臓病患者の胸に当てて、耳をその一端に当ててみると、なんと心臓の鼓動がはっきりと聞こえるではありませんか。 そこで、「ラネンエック」はさらに研究を進め、直径3センチの杉の棒に直径5ミリの穴を縦に通して、よりはっきりと内診が出来る聴診器を完成させたのです。 この完成によって、内科の診察技術は画期的な進歩を遂げましたが、皮肉なことに、「ラネンエック」自身が、自分が発明した聴診器によって自分の胸の異常を発見して、1826年に肺疾患のために死亡しています。。
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>麦飯嫌いなの?とろろかけて食ったらめっちゃうまいのに 僕はもち米が 好きです😍
おはようございます。 ぜんざい…
2024/05/08 05:09
おはようございます。 ぜんざい日持ちするよね。ただ、忘れてしまうから早めに食べてね。そうだ、夫婦ぜんざいてなかった?あれ、話? dayちゃん粒派なんだね。わたすはこし餡派。 小さい時に、お彼岸にね、必ず、叔母さんが沢山ぼたもちを作って祖母にもってくるわけ、、祖母はあまり食べないから、お下がりで、わたすや姉様に食べろてね。 かなり大きいぼたもちで、粒あんともち米で作るんだ。 そのぼた餅は、もち米のご飯の原型が残るし、粒の部分も皮が残ってるんだ。ご飯に粒あんが乗ってる感じ…😨。母も父も、その叔母に断われず(祖母宛だし)、、いつも、処理はわたすでした。 あんまり美味しくなかった記憶しかない。しかも、粒あん、トラウマかも…(笑)。