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投稿コメント一覧 (1039コメント)

  • 「5人死亡のユッケ食中毒から10年」

     経営者が不起訴?そんな馬鹿な~!そこの店の生肉が原因で、死亡者や病人が出たことは間違いない。私は元々、生肉や生卵が大嫌いで、外では食べない。家で作るときは、しっかり火を通すので「真っ黒やん!」と思うぐらい(笑)ラーメン店で「こってりラーメン」を食べた人が、「お腹が痛くなった」と聞いた時は、店でラーメンを食べるのもやめた。信用できるのは自分で作ること。

     だいたい裁判官たちは、自分の身内のことやないので、法律がどうとか通り一遍で、サラ~ッと済ましてしまう。これが自分の家族の事やったら、もっと細部にわたって調べると思う。

    「光市母子殺人事件」の弁護士団長は、自分の妻が殺人事件で殺された。そしたら「今まで弁護を仕事として、ただやっていたが、自分の身内となったら、力を入れてやった」とハッキリ言っていたのを覚えている。世の中そんなもんよ。裁判官といえど人間で、人のことはたいして力を入れてない。

    ●5人死亡のユッケ食中毒から10年、遺族「誰も謝罪にも墓参りにも来ない」
    読売新聞 4/27(火)

     2011年に5人が死亡した焼き肉チェーンの「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件は、27日で発覚から10年となる。富山地検が昨年10月、運営会社の元社長ら2人を再び不起訴として捜査は終結。遺族は「10年たっても事件を忘れることはできない」と、苦しみは癒えていない。

     「この10年、誰も謝罪にも墓参りにも来ず、起訴もされなかった」妻(当時43歳)と義母(同70歳)を失った富山県砺波市の小西政弘さん(58)は自宅の仏壇前でつぶやいた。写真の息子の笑顔に、私たち家族の時間はあの時で止まっている」
     
     ◆「焼肉酒家えびす」集団食中毒事件=2011年4月27日、富山県が「焼肉酒家えびす」砺波店でユッケによる食中毒被害が発生と発表。富山、福井、石川、神奈川の4県の6店舗で計181人が発症、5人が死亡。富山地検は16年5月、業務上過失致死傷容疑で書類送検された運営会社元社長ら2人を不起訴(嫌疑不十分)とした。これに対し富山検察審査会は「不起訴不当」と議決したが、地検は20年10月、再び不起訴とした。

    https://news.yahoo.co.jp/articles/361fa468bda554ce3e8f49107d9f6b7c7b14e096

  • 「男性に覆いかぶさるクマ発見」

     今度は秋田県で、また熊の出没事故。動物カメラマンで、ツキノワグマを30年撮り続けている横田博さんは、慎重にカメラを向けてるが、目ざとく見つけた熊が、近寄ってくることがあるそうな。独特の野太い声で「ウォ~」というと、熊が一目散に逃げていく。熊も異物の人間が怖いのである。だから声か、何か音を出すのが一番よいが、いきなり襲われてしまうと、どうなるのか。

     私はシロクマが大好きなので、赤ちゃんを見つけようものなら、無意識に寄っていくかもしれないと、危険を意識している。子ザルでもそうだが、可愛いので、つい触りたくなるが、絶対親が近くで見てるので危険。

     どこからか熊のオスが出て来て、発情をするとメス熊が子育て中でも、おかまいなく、その子を殺してまで、自分の子孫を残そうと迫る。母熊は必死に抵抗するが、我が子を殺されてしまう。子熊を殺したしつこく迫る殺人犯のオス熊と、いつの間にか引っ付いて、次の子熊を生んでいた。ここらが人間とは少し違うかも。

     しかし映画にもドラマにもなった「八日目の蝉」のように、日野不倫殺人事件の北村有紀恵に子供2人を焼き殺されながら、この浮気夫と別れもせず、次の子どもを産んでいる女もいるけどね。無期懲役の北村も27年収監され、早ければ、あと3~5年で出てくるかも。

    ●悲鳴聞いて山林見上げたら…男性に覆いかぶさるクマ発見、大声上げたら逃げる
    読売新聞 2021/04/21

     20日正午頃、秋田県大館市比内町独鈷の山林で、山菜採りをしていた同市内の無職男性(75)がクマに襲われ、右頬を骨折する重傷を負った。

     大館署の発表によると、一緒にいた友人の男性が悲鳴を聞いて山林を見上げると、男性にクマが覆いかぶさっていた。クマは体長約1メートルで成獣とみられる。友人男性が大声を上げるとクマは逃げたという。

     現場は集落の民家から約300メートル。県自然保護課によると、クマによる人身被害は今年初めて。今年は気温が高く雪解けが進み、クマの行動も早まっているという。

  • 「星出さん、野口さんと宇宙で合流」

     野口さんは時々Youtubeで見てるので親近感がある。家族によく電話をしてるとのことで、「なんちゅう時代になったんやろ?」と毎回不思議に思う。最初の打ち上げの頃の服装を見ると、エスキモーが着るようなモコモコの大きな服だったが、今や地上でも着ている普通のポロシャツに、ズボン姿でリラックスな感じ。

     星出さんと野口さんとの出会いの動画を見たが、戦う戦士の意気込みを見た。何人もが次々と抱き合う笑顔満面のシーン。中にはフワフワと浮きながら天井付近で抱き合ったり、逆立ちで抱き合ったり笑えた。かつては世界で一社だった、宇宙ゴミの回収社「アストロスケール」だが、今や次々と回収をするベンチャーが名乗りを上げてるというニュースも見た。科学技術の進歩は本当に目覚ましい。私の脳では文字を追っても、とても理解できない(笑)

    ●クルードラゴンがISSとドッキング
    毎日新聞 4/24(土)

     星出彰彦宇宙飛行士(52)ら4人を乗せた米スペースX社の宇宙船「クルードラゴン」が日本時間24日午後6時過ぎ、国際宇宙ステーション(ISS)へのドッキングに成功した。星出さんは約1日の飛行を終え、ISSに滞在中の野口聡一飛行士(56)と合流、約半年間の長期滞在を始めた。日本人飛行士がISSに同時滞在するのは2010年の野口さんと山崎直子さん(50)以来、11年ぶり。

     星出さんの宇宙飛行は3回目で、今回は日本人2人目となるISS船長を務める。滞在中の飛行士を指揮する立場で、科学実験やISSの補修作業などを地上と調整しながら進める。

     ISSには野口さんを含め7人の飛行士が滞在中で、星出さんら4人の合流で計11人になった。星出さんはISS到着後、「11人のチームのメンバーでスクラムを組み、一丸となってミッションを果たしたい」と語った。

     野口さんは今月29日未明(日本時間)、昨年11月からISSに係留中の別のクルードラゴンに乗って米フロリダ半島沖に帰還する予定。星出さんが搭乗したクルードラゴンと打ち上げロケットの一部は、昨年の有人飛行で使われた機体が再使用された。
    https://news.yahoo.co.jp/articles/19584096e030290907d01b92f556643a6636bf6d/images/000

  • 「火野正平の こころ旅」

     4/22(木)では、出発前に、目の前にある急坂を、スタッフが自転車で駆け上がっていた。65歳のスタッフもスイスイとあがった。日頃、自転車に乗って長距離を走ってるお蔭かな?正平さんは下で見ていた。

     最近サッカーの前園 真聖(まえぞの まさきよ)さんが、同じように自転車で走るようになったのか、先日初めて見た。正平さんは視聴者から来た手紙で、思い出の場所を尋ねるが、前園さんはインスタ映えのするところを、やはり視聴者に送ってもらって、その場所を尋ねるようである。正平さんは71歳で、伴走のスタッフは映る人だけで5人。前園さんは47歳と若いので伴走のスタッフは3人。

     番組上、次々と新しいものが出来るのは仕方ない。正平さんの方が人気はあるけど、いつまで続くかやなぁ。ちょっと坂があると「ハァ~ハァ~」言ってるもんね(笑)しかしテレビを見ている、年寄りには元気を与え続けている。

    ●スタッフが上っていた坂
    https://www.nhk.or.jp/kokorotabi-blog/100/447562.html#more

  • 「新人警察官の研修?」

     何でもない四辻に警察官が3人。向かいに1人。「ん?なんか事件でも?」と思ったが、急いではいない様子。よく見ると2人の警察官の制服が真新しい。「あぁ~新人研修か」と思った。向かいの1人が、カモを捕まえるのかなと思いながら、「あたしゃ関係ない、くわばら~くわばら~と、そそくさと通り過ぎた(笑)

     昨日の「新・必殺仕事人」で、田中様(山内としお)が、中村主水(なかむらもんど=藤田まこと)に、いつも、おねぇのように腕を後ろに組んで、首をかしげて「中村さん!このところ検挙数が全くなしですね」というと、主水が「と言うことは、世の中が平穏無事ということですな」と返すと、田中様が「検挙件数が低いと、私の成績にひびくんです。たとえ万引きでもいいから、足を使って検挙してきなさい!」というセリフがある。結局、上に上がるためには、検挙率しか考えてない。

     白バイが「ウ~ウ~」と鳴らしながら、日に何回か見ると「検挙数が足らんのかな?」と私など思ってしまう(笑)先日も堀川通りで、女子の白バイがバイクを止めていた。信号待ちの私は「あ~ぁ1点取られて7千円ぐらいかなぁ~かわいそうに!」と、ついつぶやいた(笑)

  • 「水俣病(みなまたびょう)」

     俳優のジョニー・デップ(57)で「水俣病」がアメリカ映画になると、昨日もテレビで言っていた。「え?水俣病って日本独自の症状やないの?」と思った。

     偶然だが、このニュースの前に「水俣病」を思い出していた。朝から500円の商品券が出てきて、かつてバイト先で棚卸を手伝って500円の商品券をもらったことがある。私が「500円ぐらい貰っても、たいしたもん買えへんわ」と言ったら、ペアーを組んでいた男の子が「100円均一なら5個買えますわ」と言ったので「あんた、えらいなぁ」と話したことを思い出していた。

     ペアーを組んだ男の子は母親も一緒に働いていた。この男の子は穏やかで優しい子だったが「みつくち(口唇裂=こうしんれつ」で、言葉が今いち分かりにくい。三人兄弟の末っ子で、真ん中の男の子は肢体不自由で寝たきり。長男だけ普通の子だった。この母親が15年ほど前の話だが、「真ん中の子は水俣病で、その話し合いがある」と言っていたことがある。「へぇ?水俣病って大昔の話やないの」と私など思っていた。

     母親はガタイの大きい人で、万引き男を張り倒すような、口も気も荒い人だった(笑)はっきりは分からないが、胎児水俣病ではなさそう。母親は鹿児島出身だったが、水俣病は熊本県水俣湾周辺らしいので、そこに住んでいたかは、今となっては分からない。

    ●主演ジョニー・デップさん 「水俣病」題材の映画に
    テレビ朝日系 4/22(木)

     四大公害病の一つで、現在まで補償などの問題が続く「水俣病」。その存在を世界に知らしめた写真家が映画になります。アメリカの報道写真家、ユージン・スミスさんを演じるのはハリウッド俳優のジョニー・デップさん(57)。

     1975年に発表された写真集「MINAMATA」に影響を受けたデップさん自身の強い思いで映画化が実現しました。ジョニー・デップさん:「水俣に関する記事を読み、知識を深めていくうちに実際にそれが起こったという事実に衝撃を受けました。この歴史は語り継がなければならないと思いました」

     共演するのは真田広之さんや浅野忠信さんなど日本を代表する豪華俳優陣。映画「MINAMATA」の日本公開は9月。

  • 「吉本新喜劇 チャーリー浜さん死去 78歳」

     チャーリーさんは大酒飲みと何かで聞いたことがあるので、それが原因じゃないかな?チャーリーさんは少し大村崑さんに似てる。「ごめんくさい、あ~くさ!」とか、おもしろいギャグがあった。

    「京都花月劇場」が、新京極通(しんきょうごくどおり)にあった。自分の稼いだお金で、気兼ねなく見に行けるわと喜んでいたら、劇場が閉鎖された。まだ2回しか見に行ってなかった。あの頃のお笑いはホントにおもしろかった。芸人も大人だった。

     劇場の裏に出て、出演者の人がタバコ吸ったり時間をつぶしていた。ちょうど船場太郎さんがいて、話しかけたら「コーヒー飲みに行こう」と気さくに誘ってくれた。何の話をしたか覚えてないが楽しかった。あの頃、船場さんは背が高くてイケメンだった。その後、船場さんは大阪市会議員に立候補して、長いこと議員をしていた。残念ながら昨年亡くなったが81歳と知ってビックリした。若いイメージしかない。

     八坂神社の斜め前に「祇園よしもと」ができたが、女の子たちがたむろしていた。「祇園よしもと」ができる前は映画館だった。入れ替えがないし映画好きな私は弁当2個持って1日いた。1日に2本しかないので、同じものを2回見た。今は入れ替え制でおもしろくない。

     「祇園よしもと」の隣が「マハラジャ」だった時がある。裸に近い薄い服を着た女の子が、羽の付いた扇子で踊っていた。私はテレビでしか見たことがない。ものすごくはやってたらしいが、アッというまに閉店になったような気がする。京都は夜遊ぶとこがない。

    ●チャーリー浜さん死去 「…じゃあ~りませんか」ギャグ
    4/21(水)

     吉本新喜劇座員・チャーリー浜(本名:西岡正雄)さんが4月18日に、呼吸不全、誤嚥性肺炎のため、大阪市内の病院で逝去した。78歳。葬儀はすでに近親者のみで執り行われた。

     チャーリー浜さんは1962年、吉本新喜劇に入団。新喜劇を中心に、テレビCMや舞台などでも活躍。代表的なギャグ「…じゃあ~りませんか」は、1991年の『新語・流行語大賞』の年間大賞に選ばれ、1992年には『上方お笑い大賞』金賞を受賞。
    https://news.yahoo.co.jp/articles/af63d9000a1d82e574f65fc1c3bd6500cb8bbfc8/images/000

  • 「下半身不随 高校生チア元部員」

     松本清張ドラマ「黒い画集〜証言」で石野貞一郎( 谷原章介)の娘が、高校でチアガール部員。娘にせがまれ演技を見に行く。貞一郎は医師で寄付が多く、女校長が揉み手で近づいてくるのがおもしろかった。

     3月初旬番組の中で「田村けんじの学校に行こう」が終わるので、かって訪問した女学校のチア部員が、子どものいる年齢だが内緒で集まって、当日田村にチアダンスを見せた。みんな揃って綺麗だった。田村は感激して涙を流していた。

     今から50年前、中学校の体育教師だった星野 富弘(ほしのとみひろ)さんは、授業中に「とび箱」で首から落ち、脊髄損傷で寝たきりになった。入院中、他の患者の見舞いに来た孫を連れたじいさんが「大学を出てもあれではなぁ」と言ってるのが聞こえ、腹が立ったと書いていた。星野さんは努力して、口に筆を加え、綺麗な詩や野花を描いた。書店で売られた、本、詩集、絵葉書、カレンダーなど、たくさん買った。どれも綺麗。今は74歳になられ存命。自身の富弘美術館も出来、安泰で暮らしておられると思う。

    ●「習熟度合わぬ練習で下半身不随」 チア元部員、高校を賠償提訴
    毎日新聞 2021/4/19

     岡崎城西高校(愛知県岡崎市)のチアリーディング部の練習中に下半身不随の大けがをしたのは、安全対策が不十分なまま、習熟度に見合わない危険性の高い練習をさせられたため、元女子部員(18)が同校を運営する学校法人を相手取り、介護費など約1億8300万円の損害賠償を求め名古屋地裁に提訴。元女子部員は入部4カ月目で、部の顧問ら監督者の不在中に大技の練習をして事故に遭った。

     提訴は2月15日付。元女子部員は1年生だった2018年7月、低い場所での宙返りも完全に習得できていないにもかかわらず、高度な技術が必要な、2人の先輩に両足を握られて肩の高さまで持ち上げられた状態から前方宙返りをして飛び降りる練習を体育館でした際、前方のマットに首から落ち、脊髄(せきずい)損傷などで下半身が動かなくなり、排せつも自力でできなくなる後遺症が残った。

     元女子部員の両親は「学校側からきちんとした説明がなく、事の重大さを分かっているのか疑問。残念でならない」学校法人の担当者は「責任を痛感し反省している。裁判所に公正な判断を仰ぎたい」と答え、第1回口頭弁論が21日に開かれる。

  • 「エージェント契約」

    「エージェント契約」と「マネージメント契約」?私にはよく分からないが、日本では、まだまだ給料制だと思っていた。ハリウッドなら有りかと思うが、給料体制が全然違う。かつては島田洋七が揉めていた。洋七の祖母を書いた「がばい婆ちゃんが大ヒット、吉本が一手に取りこもうとしたため、洋七は吉本を離れた。洋七の懐には少ししか実入りがないから。

     吉本は元々芝居小屋から出発している。「エージェント契約」はピンとこない。「友近」は水谷八重子という、架空の人物になりきり、稼いだから「エージェント契約」にしたのか?近藤春菜なんて、ろくに実力もない身の程知らず。

     吉本興業創始者「吉本せい」の自伝を読んでいたら、せいの本心は、貧乏人には「恩を売り、出る杭は打つ」というやり方だった。老婆になってからの、あのタバコを吸う顔、小柄ながら勝ち誇った顔をしている(笑)

     吉本せい夫婦を「南田洋子夫婦」が演じたと読んだ。見てみたいがもうフィルムはないかなぁ。南田洋子が一番、せいの感じに似てる。演技もうまいし。

    ●横堀川 (1966) 吉本興業の祖、吉本せいの半生がモデル

     この物語のヒロインである多加が昆布商の老舗「浪速屋」の「いとはん」(お嬢さんを表す大阪弁)であったという設定は原作者山崎豊子の自伝的要素を盛り込んでいる。

    「横堀川」はNHKの連続ドラマとして1966年4月から一年間放映されて、好評を博した。同じ年に公開された映画化されたのがこの作品。NHKドラマで多加を演じたのは、南田洋子であり、旦那役は夫君の長門裕之。映画は倍賞千恵子、中村扇雀(四代目坂田藤十郎)。

     多加(倍賞千恵子)は昆布商の老舗「浪速屋」のいとはん、呉服商「河島屋」の若旦那、吉三郎(中村扇雀)に嫁ぐ。吉三郎は道楽者で、商売には顔をそむけ続ける。多加は夫の代わりに商才を傾けていく。「河島屋」は株取引で大穴をあけ看板を下ろす。多加は吉三郎の道楽好きを逆手にとり、寄席を稼業とし小屋を開いて、小屋を一軒、一軒と増やしていく。

     夫は夫、妻は妻という雰囲気で、吉三郎が急死する場面など、妻の哀しみが心底哀しんでいるように見えない。元々が、独りで生きる女ではないか。浪速千栄子の「金貸し」婆さんは、浪速女の気概と人情を象徴する名演。落語の桂小米を名のっていた桂枝雀が、落語を演じているのは面白い。

  • 「ミズバショウはカラー」

    「趣味の園芸」という番組の3/31(日)分を、たまたま録画してあったが、見ていなくて、今日、何気に見たら、花の「カラー」を栽培してる農家が映った。「え?これやん!」私が小学生の頃、学校帰りに毎日眺めていた白い花は、今は「カラー」と言うのだった。子供ながら、ずっと思っていた「テッポウユリ」は、ある日、全然違うことが分かった。ほんまは、「ミズバショウとも似てるけど、違うかなぁ~」と思いながら、他に分からないので、ミズバショウと人にも話していた。しかし今は「カラー」と言って、これが一番形としてシックリする。もちろん当時は「カラー」という言葉などなかった。

     花は「綺麗やなぁ」といつも思うが、品種改良ばっかりして、あまりにも名前が多くて分からないことが多い。昨今のような西洋かぶれ(古ッ)の名前が多いと、もう言葉に発するのも難しいし覚えきれない。いつものように「ほらあれ、あれやん!」で済ませてしまう(笑)

     今朝8時半からの「趣味の園芸」に、新しく歌手の氷川きよし君が「月1」で出て、1年間、園芸指導を受けるそう。氷川君も日増しに「おねぇ」化してる。辞めた付き人に「どんな下着つけてる?」としつこく聞いていたと読んだが、裏では『そっちの気(け)』が出てたんやなぁ(笑)今は髪を”おかっぱ”にして、化粧を少し濃くして、徐々に世間に解放している。美川さん風で、私も個人的には美川さん好きだし、いいんやないの?

     氷川君はお年寄りの女性に一番好かれている。番組的に盛り上がるかも。番組のナビゲーターも新しくなり、スェーデン出身の「村雨 辰剛(むらさめ たつまさ)」君32歳らしい。帰化の名前も、庭師という職業も古風で笑える。私は初めて見るが、テレビにはタレントとしてもチョコチョコ出てるらしい。偶然「村雨」と知って、また「村雲」を思い出すわぁ(笑)

    ●趣味の園芸 氷川君
    https://www.oricon.co.jp/news/2187260/full/

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