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いや、やっぱり違う 本当のラストは祥子とカラオケでデュエットするシーン。 きっと祥子は生きていた。 その事に気付いた栩谷は 再び会えた愛する女性の姿に 感極まって涙が溢れた のかも知れない。
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例えば、ラストシーンで扉の前に立つ栩谷が幽霊だったと仮定すると、扉の向こうに自分の亡骸を目にして涙するだろうか... 半分落ちぶれてしまった自分の亡骸に、安堵しはしないだろうか。 安堵の涙などあの場面では溢れないのではないか。 それなら、 亡骸のそばに明らかに幽霊の祥子がいたのなら、話は別。 祥子の存在に安堵して涙する栩谷。 有り得るかも・・・
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ん? もしかしたら、キノコ栽培による幻覚で、自分の書いた物語が現実よりも先立ってしまって、祥子と、栩谷の親友が心中したと言うのも強い思い込みだったのか。 ふと我に返り、カラオケでは祥子と2人で歌い、親友に祥子は俺の女だと、親友に強く印象つけたかったのか。 歌の後半は、栩谷の必死の歌声が響き渡っていた。
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〖 花腐し 〗のラストで、かつて祥子が飲み屋でカラオケを歌うシーンが現れる。 かつて? かつては祥子1人で歌っていた。 ラストシーンでは、栩谷と2人で歌う。 これは何なのか。 こうしておけば良かったという栩谷の思いなのか。 または、パソコンの文章を書き換えたことにより、過去が変わったということなのか。 不可解・・・ 監督は、人それぞれがそれぞれの感性で、ラストの物語をつむぎ出せばいいと思っているのだろうか。
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① 結局、伊関の部屋だと思っていた部屋は本当は栩谷の部屋で、キノコ栽培をしていたことによる何らかの影響で、長い間幻覚を見ていたのではないか。 その中で、祥子のために書くと約束した物語を書いていたから、目覚めた時に部屋のパソコンに、映画内の今までの話が全て書かれていたのではないか。 つまり、伊関は最初から存在しない幻覚か、またはもう1人の自分の人格。 幽霊だと思われる祥子を追って、アパートの伊関の部屋に戻り戸を開け、そこに見た光景はなんだったのか。 涙が瞬時に溢れるほどの何を見たのか。 ② 栩谷がアパートの扉の向こうに見たものは、もしかしたら、自分の亡骸か。 または伊関の亡骸か。 ③ または、祥子は本当は生きていたのか。
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本当に悩みました・・・ 自分自身に失望し、一旦、FXから身を引く決意をしました。 何もかも嫌になっちゃいました・・・ 人生疲れちゃいました>< この掲示板で多くの無駄なアドバイスをいただき、ありがとうございました。 ここの大衆FX愛好家の投稿を読むことで、多くの無駄なことを学びました。 感謝してもしきれません・・・ みなさんの損失と失敗を本当に心の底から祈ってます。 街で逢ったら声くらいかけてよね・・・ あれ? なんだろう・・・書いてて涙がでてきました・・・ 板主不在となることは申し訳ないと思いますが、大衆レベルのみなさんで盛り上げてください。 さようなら・・・ そして ありがとうございました。 祥子
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流石祥子さんです(*^^*) >Lボタン壊したらカウンターのL入れられなくて >介入の時、困ると思うけど。 そうですね…笑笑
祥子はさとうほなみ。 脱いだ…
2024/05/03 22:22
祥子はさとうほなみ。 脱いだ時のからだが綺麗。 以前何かのドラマで見た時には、気の強そうなイメージに見えたけど、今回は綾野剛と柄本佑のそばで演技しているせいか普通に見えた。 それも演技のせいなのか・・・