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GWも終わったので戻ってきました。 介入はないと思っていましたが。まさかまさかで2回ありました。 神田財務官は漢ですね。 とはいえ、イエレン財務長官の直近の発言だと、米国と事前協議なしの単独介入だったみたいですね。6月末退官→アジア開発銀行総裁就任のシナリオは大丈夫なんですかね? 剃髪する手間もなさそうなので、出家して余生を過ごされた方がいいんじゃないかと思います。 いずれにしても、押し目買いのチャンスを作っていただけた神田財務官には感謝の言葉しかないです。ありがとうございました。
絶海中津(ぜっかいちゅうしん)…
2024/05/10 20:48
絶海中津(ぜっかいちゅうしん)~1~ 1334~1405 室町時代初期の僧。 土佐国高岡郡津野出身。 在地豪族津野氏の一族。 建武元年11月13日生まれ。 はじめ道号を要関とする。 のち明に渡って李潭宗泐から 絶海の道号を受けて改称。 別に蕉堅子・蕉固道人と号す。 義堂周信と同郷。 1348年、上洛して天竜寺に喝食。 1350年、剃髪して沙弥となり、 1351年9月30日、夢窓疎石に参じて 彼が没するまで付き従った。 1353年、建仁寺の竜山特見の会下に 参加した。 1354年、南禅寺に移り、大林善育の もとで湯薬侍者を勤める。 1364年、鎌倉建長寺の青山慈永に 参じて学び、さらに大喜法忻の会下に 蔵主・焼香侍者を任される。 1365年5月、義堂周信の鯖見善福寺に 入り、衣鉢侍者を勤めた。 1368年2月、明に渡り、杭州天竺寺の 李潭宗泐に師事する。 ついで霊隠寺・護聖万寿寺に赴き、 用貞輔良・清遠懐渭に会う。 1376年、明の洪武帝との謁見を果たし、 熊野三山詩を披露した。 1378年、帰国。