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>今の何が狂乱物価高なんだ? >適正な値上げが有ってこそ、仕事も続けられるし給料も上げられる。>働く者が正当な報酬を貰える社会にしないと誰も働かなくなる。 「批判は悪い事」「オトナシイ日本人」と、権力や企業を批判すらせず、労働に見合った賃金高すら要求しないニホンジン。「正当な報酬」の主張/批判しなさい! >「狂乱物価とは」 総合卸売物価は1973年15.6%、1974年31.4%上昇し、消費者物価指数は1973年11.7%、1974年で23.2%上昇。春闘賃上げ率は73年20%、1974年33%上昇。 東大渡辺教授は「原油高はきっかけ、当時の日銀金融政策が主因だとみる」。 ※ギャロッピングインフレは年数十%、ハイパーインフレは月50%を超える猛烈なもの。 アメリカはハイパーで、日本は賃金上った73年狂乱物価 時より酷いスタグフ状態。 今回も、政府自民党と日銀が主因。家計より株価優先政策は73年より更に酷い。 株価が下っても、>「正当な報酬を貰える社会にしないと」。
大島浩 父の旧制高校の日記に出…
2024/06/12 10:54
大島浩 父の旧制高校の日記に出てくる。駐ドイツ大使が文官の東郷茂徳から武官の大島浩に変わったニュースに、父は怒っている。 ネットで調べてみた。 興味深い記事があった。 > ■「私は失敗者、弁解しない」 ◇大戦で動乱の国際情勢を回想 明治大学名誉教授の三宅正樹さん(84)が茅ケ崎市の海岸近くに居を構えたのは半世紀近く前。国際政治や外交の歴史が専門で、日本が米国との戦争に踏み出す大きな契機となった日独伊三国同盟の研究に取り組んでいた。しばらくすると思いがけない人が近くに住んでいることに気付いた。 大島浩。陸軍出身でナチス政権下のドイツに駐在武官や駐独大使として勤務した。政権の首脳と親交を結び、「ヒトラーは本大使にこう語った」というベルリン発の電報は日本の政策に大きな影響を及ぼした。A級戦犯として東京裁判に訴追され無期禁錮の判決を受けた。1955年に保釈され茅ケ崎に住んでいた。 訪ねると話を聞かせてくれた。「私は失敗した人間だ。何を言っても弁解ととられる。だから私の語ったことは外に出さないでほしい」との条件がついた。通ううちに録音を認めてくれた。そうしたインタビューテープを三宅さんは大切に保管してきた。大島が亡くなった後、「お好きにして結構です」と夫人の了解を得ていたが、これまで発表したことはなかった。 そのテープを聞かせてもらった。73年の録音で十数時間分。大島は亡くなる2年前で87歳だった。 興味深いのは独ソ戦だ。39年に不可侵条約を結びながら、41年にドイツはソ連に攻め込んだ。 「ヒトラーはソ連の軍事力を低く見ていた。39年にフィンランドに攻め込んだソ連軍がさんざんな目に遭ったのを見て、その戦力はたいしたもんじゃないと見くびった」 「開戦から間もなく前線を視察した。捕獲したソ連の大砲を試すと、命中精度が高い。兵もよく訓練されていた。私もソ連軍は弱いと考えていたから驚いた」 独ソ戦を「ドイツが必ず負ける戦争だったのか」と振り返っている。純軍事的に戦力を集中しモスクワを攻めれば結果は違っていただろうとの見方だ。そうしなかったのはヒトラーの判断で、コーカサスの石油を手に入れる政治的思惑があったからと説明している。>