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本社は笹塚の百均の上やろ? 良くマイバッハ止まってるが、なんぼ上場企業って言っても、この規模の会社にしちゃ贅沢じゃね?
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(株)博報堂DYホールディングス【2433】 博報堂出身の長谷部健渋谷区長 笹塚・幡ヶ谷・初台を「ササハタハツ」とか言うて、 いろいろ開発しようとしとるけど、 相変わらず、反対者も多いみたいやな 渋谷区長から、不動産デベロッパ-に転職したほうがええんとちゃう
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INした。 GW中、京王線内がかなり混雑していて驚いた。 インバウンドの観光客と、円安で近場しか行かない日本人が増えているから、陸運業系の会社はこれから伸びてくると思う。 最近笹塚辺りが再開発されて、住みやすさがアップしているのも期待できる要素。
夕刊フジから ワタミはおかげ…
2024/05/24 15:31
夕刊フジから ワタミはおかげさまで今月16日に創業40周年を迎えた。今週と来週の2回にわけて、40周年の節目の気持ちを記しておきたい。前編は40年で一番の出来事を振り返りたい。 まず一番うれしかったことは1996年の店頭公開だ。上場するまでは個人としても億単位の借金を背負っていたが、それから解放されたことはほっとした。一番苦しかったことは間違いなく、つぼ八(フランチャイズ)から和民(自社ブランド)に転換したときだ。5億円の利益を捨て、和民に転換するたびに1店舗300万円の赤字になっていく。地獄だとわかっているのに進むしかなかった。夜中になんども冷や汗で目が覚めた。 一番の恩人はつぼ八創業者の石井誠二さんだ。創業のチャンスを与えてもらい、和民転換時の赤字の危機には、つぼ八から離れて自分の店を経営していた石井さんが「俺の店は黒字で利益が出ている。社員をうちの店にいれて、盗めるノウハウをすべて持っていけ」と言ってくれた。おかげで和民は黒字化した。石井さんなくして、今のワタミはない。 一番思い出の場所は、和民1号店の東京・笹塚だ。失敗できないと思い、笹塚の商店街を何度も歩いた。あの時ほどプレッシャーを感じたことはない。今でも鳥メロ笹塚店に行くとタイムスリップする感覚になる。 一番忘れられない光景は、一部上場記念パーティーの帝国ホテルだ。壇上から見た社員とその家族の表情は忘れられない。達成感と100億円調達してステージが変わるという「わくわく感」があった。40年で一番迷ったことも振り返ったが、本当に迷っていない。バブルの時に銀行から「お金を貸すので、ホテルを経営しませんか」といわれた。突き進んだが、銀行の最後の審査で落ちた。もし経営していたら、バブル崩壊と一緒に終わっていただろう。 今思えば、もう少し迷えよと自分にいってやりたい。本当にワタミは運のいい会社だと思う。新しく生まれた会社が、プライム企業となり、40年続く確率は、「100万分の1」といわれている。 その奇跡は、居酒屋でも最上級のおもてなしをしようと、ひざをついて接客したところからはじまった。13日の決算会見でも、祖業居酒屋の好調などで、41・9億円の黒字を報告したが、数字には載っていないワタミ最大の財産は「お客さまを思う心」だ。