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〇今日の出来事「4月19日」阿片の話 1868年(*慶応4年)の今日「4月19日に、日本での阿片の喫煙が禁止されました。 麻薬の阿片(アヘン)は、ケシの実に傷をつけ、そこから分泌する乳液を乾かしたもので、紀元前後からギリシャ人の間で、麻酔剤として使用されていたようです。 それが西洋人の東洋への来航にともなって、まず中国にもたらされ、初めは薬用の鎮痛剤として珍重されましたが、特に台湾ではマラリアに特効があるというのでこれを煙草に混ぜて喫う習慣が始まり、台湾から中国の福建省を経て中国全土に広がりました。 この阿片は連用すると中毒症状となり、肉体的にも精神的にも廃人同様になってしまいます。そこで中国では1720年代にすでに阿片禁止令が出されていますが、阿片を吸う習慣は全く止みませんでした。 逆に、禁令が厳しくなるほど、かえって隠れて吸う人が増え、一度この麻薬のとりこになると、それがもたらしてくれる快感が忘れられなくなるのです。この悪習が一番ひどい時には、中国の全人口の10%が阿片を吸うようになっていたそうです。金持ちは贅沢な喫煙室を作り、貧民は阿片屈(あへんくつ)に足を運び、皇帝までもが、阿片を吸っていたので、禁令も何もあったものではありません。 そこで清の時代の大臣、「林則徐」がイギリス商人が持っていた阿片を焼き捨てて、密輸業者を処刑したので、これに怒ったイギリスとの間に「いわゆる「阿片戦争」が起こりました。 その時、日本は中国の前例を目の当たりに見ていたので、事前に阿片の害を警戒することが出来まし た。 明治維新前後にも、密輸が行われていたに違いありませんが、明治 新政府誕生と共に、この阿片禁止令が出来て阿片の害を防ぐことが出来たのです。。 (阿片屈) しらん
江戸(えど、旧字体:江戶) は…
2024/05/16 08:14
江戸(えど、旧字体:江戶) は、現在の東京の前身・原型に当たる都市を指し、その旧称である。現在の東京都区部の中央部に位置した。 平安時代後期に東京湾の日比谷入江に面する小地名として現れ(武蔵国豊島郡内)、そこに秩父氏の一族の武士が移り住んで江戸氏を名乗り勢力を伸ばし、江戸郷と呼ばれることとなった。 徳川家康が1590年に入府し、1603年(慶長8年)から1868年(慶応4年)まで江戸幕府が置かれた。 日比谷入江(ひびやいりえ)は、現在の東京都千代田区東部に江戸時代初頭まであった入り江である。 この入江は、江戸湾(東京湾)北西奥に、新橋付近を湾口として北に伸びていた。最奥部は現在の大手町で、徳川家康の関東入国以前、北から流れる平川(現神田川)の河口があり、入江は低湿地となっていた。 西は武蔵野台地の東端である本丸台地(江戸城)に、東は武蔵野台地が北から回りこんだ本郷台地からさらに南方に(現在の山手線沿いに)延びる半島である江戸前島に囲まれていた。 入り江(いりえ)とは、海岸や湖の一部が侵食作用によって陸側にえぐるように入り込んでできた地形のことである。浦(うら)、入り海(いりうみ)ともいう。