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中国南北朝時代の南朝は日本、北朝は高句麗、で中国の代理戦争。 中国が統一されると日本は隋に使者を送るようになった。
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大陽義沖(だいようぎちゅう) 1282~1352 鎌倉末・南北朝時代の僧。 出身は筑前国。 無為昭元に師事して出家し、 のち鎌倉へ赴いた。 1338年、筑前国承天寺の住持。 さらに東福寺・実相寺を経て、 1350年、南禅寺の住持となる。 日頃から金剛経を読誦を行った。 文和元・正平7年1月11日、寂す。 71歳。
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大本良中(だいほんりょうちゅう) 1325~1368 南北朝時代の僧。 建長寺の東林友丘に師事して出家、 その法を嗣ぐ。 貞和元・興国6年の頃に元へ留学。 帰国後は上野国長楽寺や 信濃国善応寺などの住持を歴任。 応安元・正平23年11月、寂す。 44歳。
平資幹(たいらすけもと) 生…
2024/10/27 20:55
平資幹(たいらすけもと) 生没年不詳 鎌倉時代前期の武将。 別に馬場資幹・大掾資幹。 名は助幹とも書く。 通称は馬場次郎・小次郎・馬場大掾。 陸奥国長岡郡地頭。 父は平家幹。 常陸国大掾氏の一族で、資幹を 大掾氏の祖とする史料もある。 1193年、八田知家の訴えによって 罪を受けた多気大掾平義幹の所領や 所職を賜り、大掾氏の惣領となる。 頼朝の鶴岡八幡宮参詣や上洛に供奉。 1211年4月、長岡郡小林新熊野の 社領を停止させられる。 1214年、常陸国府中地頭職となり、 大掾氏を名乗った。 大掾氏は鎌倉・南北朝時代にかけて 常陸国内で勢力を広げたが、次第に 近隣の諸勢力に圧された。 戦国時代末期、佐竹義重によって 大掾氏一族のほとんどが滅ぼされた。