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投稿コメント一覧 (4018コメント)

  • >>No. 5964628

    日本はその当時、金本位制度の確立を目指している。
    1894年~1900年間に朝鮮が輸出した総額は1,465万3652円。その内日本向け952万2875円(約65%)。

    1876年日朝修好条規が締結されてから、日本の銀行が進出してきた。
    1878年には第一銀行、1889年には第十八銀行、1891年第五十八銀行などと次々と日本の銀行が上陸していった。

  • >>No. 5964624

    日本を通して西洋から学ぼうとした。一方で日本の侵略は日に日に強化されていった。日本に学びつつ日本に抵抗しようとゆう二重の姿勢は近代以後朝鮮史を貫いていた底流である。この様な意味で日清戦争後どのように進出してきたを経済的な側面から取り上げてみた。

  • 1908年3月にほ、アメリカ人外交顧問として日本帝国政府が朝鮮政府に送り込んでいたステイーブンスが、サンフランシスコで亡命朝鮮人 田 明雲、張 仁煥によって「あんさつ」された。
    ステイーブンスが伊藤博文の要請で朝鮮統監政治の「善政」をアメリカの世論に訴えている最中だった。
    そして、1909年10月26日についに伊藤博文がハルピン駅で安 重根によって「あんさつ」された。

  • >>No. 5964529

    戦争したって何の得にもならないという事。

  • >>No. 5964520

    ある意味理解できますが、日本は長い歴史で文化を取り込んで馴染んでいた事柄を、180度転換した事を丁重に説明しないと他国には無理な注文だったと思うね。それと相手国の自主性に任せないと、侵略行為になるよね。

  • @pinpinkiri: 上村愛子さんのコメント。点も見ずに泣いてしまいました。すがすがしい気持ち。 http://t.co/yMSlMyPE0b

  • >>No. 5964475

    <台湾や朝鮮は、いわずもがなであるが、中国、これも実は日本化によって、なんとか近代化を成し遂げた。>

    日本化と言っても、朝鮮に朝鮮総督府が朝鮮神社に天照大神と明治天皇を祭祀したのは行き過ぎだと思うよ。他国を侵略している。

  • >>No. 5964478

    確率という言葉に引きずられて言えば、ひとつだけ絶対に確実なことは中国人も韓国人も日本人も戦端を開けば、同時代で戦争に関わった世代は一生の終わりには必ず後悔するに違いないことで、なぜなら、民族的な憎悪は魂の奥まではいってゆくことは稀で、人間は、お互いを国籍も人種もないただの素の人間としか見ない本性が組み込まれている。
    人間は結局人間を人間としてしか見られない場所にもどってゆく。
    民族対立の結果戦争の当事者になってしまった世代が悲惨なのは、魂に届かないはずの「憎しみの乗り物」に乗り込んだだけで乗り物は発車して戦争は始まるのに、戦争のなかの殺戮や強姦、友の死、家族の死、というものに遭遇して、当事者だけは観念的な熱病としての憎悪ではなく、全霊をことごとく憎悪で埋め込まれてしまうことがあるからであると思う。

  • >>No. 5964472

    いまの日本の中国や韓国の対立との対立を見ていると、日本の人びとはやがて、自ら望むように韓国人と永遠に袂をわかって、中国とは限定した戦争を始めるだろう。
    ほんとうに限定できるかどうかと言えば、戦争が(アメリカの睨み据える視線の怖さに打ち勝ってどちらかが戦端を開く確率が9割かた、それが限定されたもので終わるのが五分五分、限定するつもりの戦火が中国の巡航ミサイル一斉射撃のような(机上の論理においてはアメリカの介入のヒマを与えないで日本の主要都市に壊滅的な被害を与えうる)戦争を全面化することによって短期終結をめざす「短期決戦」になる確率が開戦後に3割、3番目のこれは最も考えにくいがベトナムのように中国人民解放軍にとっては悪夢の泥沼戦争になる確率が1%内外、というような感じだろうか。
    泥沼戦争もゼロと言えないのは軍隊組織は究極の「お役所」で「お役所」のなかで純粋培養された人間は途方もなく体面だけを信奉して、体面のためなら自国の人間が全滅しても構わないとまで思い詰めるからである。

  • >>No. 5964474

    ふふ、いつ迄同じネタで投稿しているの、サンケイで

  • >>No. 5964471

    一方で、韓国人は嫌いだ、なんであんなに日本を貶めたがるのか、と嫌韓人に同調しながら「ヨンさまは別だ」と述べるおばちゃんにも、会った事があって、この日本では上流層にあたるおばちゃんの、軽井沢にあるチョーでかい別荘の客間でおばちゃんの話に耳を傾けると、おばちゃんはどうやら「いまの日本社会からは失われた」ひたむきさや、ストレートな恋愛感情、男のやさしさ、女の一途さ、というようなものを韓国ドラマのなかに発見して陶然となるらしかった。

    ここでもおばちゃんにとってはヨンさまの姿が見えれば、「韓国人」である相手の姿がポロリと落ちて、中身の人間だけが見えてしまっているのであるらしい。

  • >>No. 5964468

    韓国人憎悪にたぎりたつような人びととツイッタで何回か話してみたことがあるが、このひとたちに共通なのは、その憎悪の退屈さと凡庸さで、まるでりかちゃん電話に電話して、りかちゃんとお話をしているようなもので、なんなら、これからきみがいうことをぼくがかわって言ってあげようか、と相手の発言を請け負いたくなるくらい退屈な憎悪の繰り返しに終始する。

  • >>No. 5964465

    昨日まで全身全霊でアメリカ人を憎み殺そうと考えていた人が、今日は戦争に負けたのをきっかけに、アメリカ人に手をふり、アメリカ人たちに似た服で着飾り、ジャズに身体を揺らせたのは、「アメリカ人の暮らしはかっこいい」と感じるほうの自分は人間対人間としてアメリカ人を見ていて、昨日までの大和民族としてアメリカ人を見ていた自分の退屈さと軽薄にうんざりしたからだと思われる。

  • >>No. 5964464

    「鬼畜米英」というような政治上観念上の社会的な思い込みは、瘧というか、一時の急性の熱病のようなもので、人間の精神の芯の部分には影響しないことを傍証する逸話は、他にもたくさんあって、たとえば60年代ですら南部のKKK(クー・クルックス・クラン)のパーティには、たいていアフリカン・アメリカンのブルースバンドが招かれ、(B.B.Kingもインタビューで「自分も雇われて演奏したことがある。ちゃんと払ってくれたよ」と笑っていた)アフリカ人たちがつくった曲に酔いしれたそうだが、より深刻には、かーちゃんたちの家作に入っていたマレーシア人大学教授の夫婦が、「自分達を人間扱いしないイギリス人たちが憎くて仕方がなかったが、自分達も、いつかはああいうふうに暮らしたいと抗いがたく感じていた」と静かに述べていたのをおぼえている。

  • >>No. 5964463

    そこで、「ほうら見たことか、おまえらの文化なんて日本のものじゃないか」と言い出す下品を下品で塗りつぶしたような低劣な日本人が雲霞のように存在するから、そう思いたくないだけのことで、50年代60年代になにをやってもアメリカ人のなかの同種類の人間に「サルマネ」と言われて、ポップスの世界ならば、弘田三枝子を頂点とするような、驚倒的な質の高い面白い文化をもっていたのにやがて捨て去ってしまって、(弘田三枝子がジャスへの情熱を失ってしまったのは頭のわるいアメリカ人に「英語が出来ないのに、なぜジャズの心が判るのか?」と揶揄されたからだった)、歴史をたどってゆく人間に、バカタレなアメリカ人に退屈な悪態をつかれたくらいで途方もなくもったいないことをしたものだ、という感想を抱かせる、日本の「自分達をアメリカ人とみなしておとなになった」団塊の少し上の世代ともちょっと似ている。

  • >>No. 5964461

    特に韓国人たちを眺めていると、これほど日本由来、あるいは日本的な文化に馴染んでいて、「日本人を憎む」ということがほんとうに出来るだろうか?と思う事がある。
    やや誇張した言い方をすれば、いまの若い韓国人たちは、あとで述べるかつて日本人たちが自分達をアメリカ人だと自然とみなしていたというのと同じ意味において、自分達を日本人だと(日本、という言葉が意識にのぼらないまま)自然に感じておとなになったのだとも言える。

  • >>No. 5964454

    現代の社会に住んでいるので韓国系や中国系はもちろん、韓国人や中国人の友達もたくさんどころではない数でいるが、いままで彼等と話していて、日本の話が出て、日本人に対する「生な敵意」を感じたことはない。
    例外はあって、中国人達のなかでもエリート中のエリートである若い人間たちは、政治的信念によって、日本人は皆殺しにすべきだ、あるいは日本という国は(共産主義妄想に怯え出す前のアメリカがそう考えていたように)解体・無力化されるべきだと明瞭に言う。
    日本は無力化され解体されるべきだと述べる若い中国人グループのひとりは、いまではわしのたいへん仲の良い友達のひとりだが、話を聞いてみると、「日本という国が存在していては中国の安全保障が根本のところで保障されえないのは歴史が教えている」ということらしいが、しかし、このひとにしても、いいとしこいて、「ドラゴンボール」が好きなのである。

  • 1945年に戦争が終わったときにアメリカ軍が恐れられたゲリラ戦に遭遇するどころか笑顔と歓呼の声に迎えられて、あっけにとられるような楽ちんな占領になったのは、もともと日本人はアメリカ人とその文化が好きだったからだ、という根強い説がある。
    ほんの先週までマスメディアが躍起になって刷り込もうとしていた「鬼畜米英」、アメリカ人やイギリス人は鬼にも劣る畜生のたぐいなのだ、というのは前半の「八紘一宇」につづく日本人全員が信じるに至った国家的なキャッチフレーズだったが、しかし、戦争の前に人気があったのはチャップリンでありバスターキートンで、益田喜頓という戦前には国民的な人気があった浅草「あきれたぼういず」出身の有名なコメディアンの名前が「バスターキートン」から来ていることは、説明されなくても、どんな下町のおかみさんでもすぐに了解された。

  • >>No. 5964436

    <日本の秀吉の拉致を 棚に上げ 拉致拉致言う資格なし>

    封建社会と現代の比較など何の意味もない。歴史を学ぶこと以外は。

  • >>No. 5964425

    <拉致は お相子、秀吉の陶工拉致は 拉致の先駆者、拉致なかった 土井孝子は 国益発言>


    そんな封建社会の事柄を比較してもナンセンスと思うよ。

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