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第2次世界大戦で日本が勝っていたら、西九州新幹線は国費で建設されていたかも しれません。 呼子線は、唐津~伊万里の本線のほかに、呼子分岐線~壱岐勝本~対馬厳原~ 対馬上県~釜山が開通していたかもしれません。 全線高架と橋梁と上県~釜山の海底トンネルは画期的。 奉天近くの撫順炭鉱から九州、本州に向けての貨物列車の運行もあったでしょう。 武雄温泉は、西九州新幹線接続の特急列車の発着駅となり、伊万里、呼子、対馬厳原 対馬上県、釜山、京城、奉天、長春を結ぶ在来線特急が走っていたでしょう。 のぞみは、この特急のために残しておいた伝説もあるそうです。 武雄温泉は、メジャーになっていたでしょう。 以上、 現実離れをした夢物語でした。
のぞみが停車すれば、いいね! …
2024/04/29 22:55
のぞみが停車すれば、いいね! 国鉄時代にのぞみが登場しなかった理由がある。 その前身、鉄道省時代に呼子線計画があった。 呼子線は、唐津~伊万里の本線のほかに、呼子分岐線があり、呼子~壱岐勝本~ 対馬厳原~対馬上県~釜山もあり、全線高架と橋梁とトンネルで走行。上県~釜山は海底トンネルで、ボーリング調査は終わっていたそうです。 奉天近くの撫順炭鉱の貨物輸送のほかに、博多~呼子、釜山、京城、奉天、長春を 結ぶ特急電車が計画されていて、のぞみは、その特急の愛称に起用する予定だった。 そうなれば、西九州新幹線は佐賀県の税金負担は関係なく、国費で開通させたはず。 先の戦争で敗北が無ければ、西九州新幹線接続の特急電車として、武雄温泉~呼子、 厳原、上県、釜山、京城、奉天、長春に向けて、毎時1本ののぞみが走っていたと 思われます。 武雄温泉駅は、西九州新幹線と特急のぞみの接続駅としてメジャーになっていた でしょう。 呼子線計画が完全に白紙になったので、東海道新幹線の列車名になったようです。