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>仏教は、魂やあの世の存在を否定している訳ではなく、「考えてもしょうが >ない。」という立場。 「考えてもしょうがない。」とは仏教のどこの立場ですか?始めて聞きます。 「仏教は魂を否定している」との指摘に対する最近の言い訳ですか? 何故なら、信長の時代には「魂」を語る者を仏教高僧が殺そうとまでしていたのです。 以下、引用。 1568年5月にフロイスとロレンソ了斎(日本人イエズス会員、琵琶法師)は、織田信長を訪問した。その時彼は、織田信長や重臣の前で、日蓮宗の僧侶朝山日乗と論争を行う。ロレンスは、創造主である神の存在と人格について語り、このゼウスを信じ、従うことが究極の幸福であると説くが、日乗の立場は、目に見えないものは存在しないという唯物論的立場。日乗が、「拙僧に、この眼で見えもせぬ天主とやらをほめ讃え、拝まねばならぬと申さるるは、いったいいかなる根拠があってのことか」と質問したことに対して、ロレンソは、「貴僧は、眼に見えないものは存在せぬとでも思いなのかな。貴僧は、どのような証拠によって、この世に空気というものがあることをたしかに証明することがおできになろうか」と反論。フロイスが魂の不滅を語った時に、日乗は、逆上し、「しからば汝の弟子ロレンソをこの刀で殺してやろう、その時、人間にあると汝が申す霊魂を見せよ」と言って、鞘から刀を抜いた。 これでわかる事は、少なくとも、信長の時代の仏教は「魂」の存在を否定している。
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エーテル体は、神智学の『シークレット・ドクトリン』では、「魂の体、創造主の息」であり、ソフィア・アカモートが最初に顕在化した形態、7つの粗大順の物質のうち最も粗大で塑性の物質であり物質の骨格であるとしている。アストラル光とも。 ウィキペディア
神の存在。と言うより、万物の創…
2024/05/13 11:07
神の存在。と言うより、万物の創造主。これを崇める必要性についてだな。 そもそも今の常識的な意見は宇宙は基本無で闇の世界。という意見が大半と思う。 その中でなぜ星という存在があるのか?さらにこの地球みたいな生命体があるのか?ビッグバンから生まれた。なんてとんでも論があるが、これも何があってビッグバンが生じたのか? 無から有は生まれない。宇宙はいまだ謎に包まれている・・・。