検索結果 スレッド コメント 最新の投稿順 古い投稿順 1件中 1件 - 1件を表示 精密機器> CYBERDYNE(株) これで上がっとんの❓ ※… Charlie What? 2024/06/05 16:01 これで上がっとんの❓ ※以下、日経電子版より引用 本庶佑(京都大学がん免疫総合研究センター長) 私の履歴書(1)幸運な人生 2024年6月1日 2:00 [会員限定記事] 2018年10月1日夕、研究室にある私の部屋で数人のスタッフと論文の校正作業をしていた。午後5時ごろだったと思う。普段、論文校正の最中には電話を取り次がないようにと言ってあるが、この時だけは秘書がルールを破って飛び込んできた。 「先生、でていただかないと困ります」。ノーベル生理学・医学賞を選考するスウェーデンのカロリンスカ研究所からの電話だった。「(ノーベル賞を)受けますか」との問いかけに「もちろん」と答え、そして「念のためメールも送ってほしい」と伝えた。悪戯(いたずら)かもしれない。以降、いまだかつてなかった多忙な日々が半年以上も続いた。 ノーベル賞をとるにはどうすればいいか? よくそんな質問をされる。秘訣やコツなどもちろんない。物理学、化学含め自然科学系で毎年最大9人選ばれるが、それでもたった9人だ。賞に値する研究を成し遂げても確実に受賞できるものでもない。ノーベル賞はノーベルショー(Show)だと思う。 振り返ると、60年に及ぶ研究人生は幸運に恵まれていた。基礎医学へと進んだ学生時代に生化学者の早石修氏と西塚泰美氏に出会い、師事した。1970年代の学生運動の影響で研究が滞り、米国へ飛び出した。そこで生涯の師となるカーネギー研究所のブラウン博士、米国立衛生研究所(NIH)のレーダー博士の指導を受けることができた。 「がん治療に革命をもたらした」と授賞時に評された免疫チェックポイント療法。そのきっかけとなるPD-1分子の発見も、研究室にやってきたばかりの若手研究者の熱意から始まったものだ。当初はがんの画期的な治療につながるとは思いもしなかった。 DNAの二重らせん構造の発見によって、生物学、生命科学は1970年代以降、ドラスチックに進展する。かつてブラックボックスだった生命の正体に遺伝情報から迫れるようになったのだ。 生化学から分子生物学、免疫学へ。思えば、科学者として常に目指してきたのは「生命の謎解き」だった。この未知の世界は新たな知見が得られれば、また、新たな疑問が生まれてくる。旺盛な好奇心が満たされることはない。 つづく
最新の投稿順 古い投稿順 1件中 1件 - 1件を表示 精密機器> CYBERDYNE(株) これで上がっとんの❓ ※… Charlie What? 2024/06/05 16:01 これで上がっとんの❓ ※以下、日経電子版より引用 本庶佑(京都大学がん免疫総合研究センター長) 私の履歴書(1)幸運な人生 2024年6月1日 2:00 [会員限定記事] 2018年10月1日夕、研究室にある私の部屋で数人のスタッフと論文の校正作業をしていた。午後5時ごろだったと思う。普段、論文校正の最中には電話を取り次がないようにと言ってあるが、この時だけは秘書がルールを破って飛び込んできた。 「先生、でていただかないと困ります」。ノーベル生理学・医学賞を選考するスウェーデンのカロリンスカ研究所からの電話だった。「(ノーベル賞を)受けますか」との問いかけに「もちろん」と答え、そして「念のためメールも送ってほしい」と伝えた。悪戯(いたずら)かもしれない。以降、いまだかつてなかった多忙な日々が半年以上も続いた。 ノーベル賞をとるにはどうすればいいか? よくそんな質問をされる。秘訣やコツなどもちろんない。物理学、化学含め自然科学系で毎年最大9人選ばれるが、それでもたった9人だ。賞に値する研究を成し遂げても確実に受賞できるものでもない。ノーベル賞はノーベルショー(Show)だと思う。 振り返ると、60年に及ぶ研究人生は幸運に恵まれていた。基礎医学へと進んだ学生時代に生化学者の早石修氏と西塚泰美氏に出会い、師事した。1970年代の学生運動の影響で研究が滞り、米国へ飛び出した。そこで生涯の師となるカーネギー研究所のブラウン博士、米国立衛生研究所(NIH)のレーダー博士の指導を受けることができた。 「がん治療に革命をもたらした」と授賞時に評された免疫チェックポイント療法。そのきっかけとなるPD-1分子の発見も、研究室にやってきたばかりの若手研究者の熱意から始まったものだ。当初はがんの画期的な治療につながるとは思いもしなかった。 DNAの二重らせん構造の発見によって、生物学、生命科学は1970年代以降、ドラスチックに進展する。かつてブラックボックスだった生命の正体に遺伝情報から迫れるようになったのだ。 生化学から分子生物学、免疫学へ。思えば、科学者として常に目指してきたのは「生命の謎解き」だった。この未知の世界は新たな知見が得られれば、また、新たな疑問が生まれてくる。旺盛な好奇心が満たされることはない。 つづく
これで上がっとんの❓ ※…
2024/06/05 16:01
これで上がっとんの❓ ※以下、日経電子版より引用 本庶佑(京都大学がん免疫総合研究センター長) 私の履歴書(1)幸運な人生 2024年6月1日 2:00 [会員限定記事] 2018年10月1日夕、研究室にある私の部屋で数人のスタッフと論文の校正作業をしていた。午後5時ごろだったと思う。普段、論文校正の最中には電話を取り次がないようにと言ってあるが、この時だけは秘書がルールを破って飛び込んできた。 「先生、でていただかないと困ります」。ノーベル生理学・医学賞を選考するスウェーデンのカロリンスカ研究所からの電話だった。「(ノーベル賞を)受けますか」との問いかけに「もちろん」と答え、そして「念のためメールも送ってほしい」と伝えた。悪戯(いたずら)かもしれない。以降、いまだかつてなかった多忙な日々が半年以上も続いた。 ノーベル賞をとるにはどうすればいいか? よくそんな質問をされる。秘訣やコツなどもちろんない。物理学、化学含め自然科学系で毎年最大9人選ばれるが、それでもたった9人だ。賞に値する研究を成し遂げても確実に受賞できるものでもない。ノーベル賞はノーベルショー(Show)だと思う。 振り返ると、60年に及ぶ研究人生は幸運に恵まれていた。基礎医学へと進んだ学生時代に生化学者の早石修氏と西塚泰美氏に出会い、師事した。1970年代の学生運動の影響で研究が滞り、米国へ飛び出した。そこで生涯の師となるカーネギー研究所のブラウン博士、米国立衛生研究所(NIH)のレーダー博士の指導を受けることができた。 「がん治療に革命をもたらした」と授賞時に評された免疫チェックポイント療法。そのきっかけとなるPD-1分子の発見も、研究室にやってきたばかりの若手研究者の熱意から始まったものだ。当初はがんの画期的な治療につながるとは思いもしなかった。 DNAの二重らせん構造の発見によって、生物学、生命科学は1970年代以降、ドラスチックに進展する。かつてブラックボックスだった生命の正体に遺伝情報から迫れるようになったのだ。 生化学から分子生物学、免疫学へ。思えば、科学者として常に目指してきたのは「生命の謎解き」だった。この未知の世界は新たな知見が得られれば、また、新たな疑問が生まれてくる。旺盛な好奇心が満たされることはない。 つづく