相場の格言にも色々ありますが、
野球の語録にも色々あります。
最も有名なものの一つに、
漫画『ゼニグラ』の語源にもなった
「グラウンドには銭が落ちている」。
鶴岡一人の名言です。
鶴岡さんの経歴を。
南海ホークスで23年間にわたって指揮を執り、通算1773勝・勝率.609という日本プロ 野球史上最多勝利の記録を打ち立てた監督。リーグ優勝11回、日本シリーズ優勝2回(1959年・1964年)を達成し、500勝以上の監督として唯一6割を超える勝率を記録した。
1954年には日本で初めて専属スコアラーを招聘してデータ野球を実践するなど、後の野村克也が体系化した「ID野球」の先駆けとなる革新的な手法を次々と導入した。
選手としても一流。
法政大学野球部で東京六大学野球リーグの首位打者に輝き、1939年に南海軍に入団すると新人ながら主将に抜擢され、本塁打王(10本)を獲得。
翌年から5年間の召集で戦地へ赴き、知覧飛行場で終戦を迎えた後に現役復帰。通算754試合で打率.295・61本塁打・467打点を記録し、MVP3回(1946・1948・1951年)を獲得。
ファーム制度の整備(1949年)、全国への常駐スカウト配置、1967年のリトルホークス創設、1970年のボーイズリーグ創設など、日本野球の裾野を広げる組織づくりにも尽力。
鶴岡の指導者としての特徴は、選手の個性を見極めて長所を伸ばす育成力にあった。「グラウンドにはゼニが落ちている」という言葉は、広く浸透した。
練習の量と質への強いこだわりは、南海ホークスをパ・リーグの強豪として定着させた原動力でもあった。23年間のチームカラーは「頭を使う野球」であり、その哲学は鶴岡が育てた野村克也を通じて「ID野球」として後世に引き継がれた。昭和の日本プロ野球において、選手育成と組織運営の両面で模範を示した指導者。
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