検索結果 スレッド コメント 最新の投稿順 古い投稿順 1件中 1件 - 1件を表示 FX、為替全般> ☆せんちめんたる・じゃーにー☆ 「星野富弘(ほしのとみひろ)死… 周防 久美子 2024/05/09 06:38 「星野富弘(ほしのとみひろ)死去」 星野さんって分かる人いるかな?という気持ちだが、星野さんは20代の時、中学校に赴任早々、体育の時間に跳び箱の失敗で落下。首の下から麻痺が残り、50年少々を寝たきりで過ごして来た人だった。ご本人は大変な努力家で、口に筆を加え、今日まで詩歌を書いてこられた。 今、私の目の前に星野さんの「速さのちがう時計」「風の旅」「鈴の鳴る道」の3冊がある。1冊目は色も黒・白だけだが、2冊目には段々色もついてきて、3冊目は本物の咲いている花のように、色鮮やかできれい。大変な努力をされただろうと毎回思う。その後、カレンダーや、しおりも作られ買わせてもらった。 富弘さんの独身の頃は、お母さんが世話をされていた。富弘さんは不自由な身の上に、癇癪(かんしゃく)を起こし、母親に八つ当たりする時もあったが、息子のため、じっと耐えて来られた。途中からは富弘さんが結婚されたんで、亡くなるまで奥さんがお世話された。 私がまだ以前の会社にいた頃、富弘さんが車椅子で散歩している時に、買い物帰りの自転車の奥さんとすれ違ったが、奥さんが知らん顔をした。というページをコピーして、数人の同僚に配ったことがあった。いつもおもしろいことを言う人たちが、しゅんと首をうなだれたことがあって、誰しも思うところがあるんだと、今もハッキリ覚えている。奥さんは手のかかる毎日に疲れておられたんだと思う。 個人的には何もつながりはないけれど、富弘さんのご冥福をお祈りします。 https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98+%E7%8F%BE%E5%9C%A8+%E5%A4%AB%E4%BA%BA&fr=top_ga1_ext1_bookmark_sa&ei=UTF-8&ts=18961&aq=0&oq=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98&at=s&ai=45fd14df-b431-4e75-ae08-2ca7f35aabba
最新の投稿順 古い投稿順 1件中 1件 - 1件を表示 FX、為替全般> ☆せんちめんたる・じゃーにー☆ 「星野富弘(ほしのとみひろ)死… 周防 久美子 2024/05/09 06:38 「星野富弘(ほしのとみひろ)死去」 星野さんって分かる人いるかな?という気持ちだが、星野さんは20代の時、中学校に赴任早々、体育の時間に跳び箱の失敗で落下。首の下から麻痺が残り、50年少々を寝たきりで過ごして来た人だった。ご本人は大変な努力家で、口に筆を加え、今日まで詩歌を書いてこられた。 今、私の目の前に星野さんの「速さのちがう時計」「風の旅」「鈴の鳴る道」の3冊がある。1冊目は色も黒・白だけだが、2冊目には段々色もついてきて、3冊目は本物の咲いている花のように、色鮮やかできれい。大変な努力をされただろうと毎回思う。その後、カレンダーや、しおりも作られ買わせてもらった。 富弘さんの独身の頃は、お母さんが世話をされていた。富弘さんは不自由な身の上に、癇癪(かんしゃく)を起こし、母親に八つ当たりする時もあったが、息子のため、じっと耐えて来られた。途中からは富弘さんが結婚されたんで、亡くなるまで奥さんがお世話された。 私がまだ以前の会社にいた頃、富弘さんが車椅子で散歩している時に、買い物帰りの自転車の奥さんとすれ違ったが、奥さんが知らん顔をした。というページをコピーして、数人の同僚に配ったことがあった。いつもおもしろいことを言う人たちが、しゅんと首をうなだれたことがあって、誰しも思うところがあるんだと、今もハッキリ覚えている。奥さんは手のかかる毎日に疲れておられたんだと思う。 個人的には何もつながりはないけれど、富弘さんのご冥福をお祈りします。 https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98+%E7%8F%BE%E5%9C%A8+%E5%A4%AB%E4%BA%BA&fr=top_ga1_ext1_bookmark_sa&ei=UTF-8&ts=18961&aq=0&oq=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98&at=s&ai=45fd14df-b431-4e75-ae08-2ca7f35aabba
「星野富弘(ほしのとみひろ)死…
2024/05/09 06:38
「星野富弘(ほしのとみひろ)死去」 星野さんって分かる人いるかな?という気持ちだが、星野さんは20代の時、中学校に赴任早々、体育の時間に跳び箱の失敗で落下。首の下から麻痺が残り、50年少々を寝たきりで過ごして来た人だった。ご本人は大変な努力家で、口に筆を加え、今日まで詩歌を書いてこられた。 今、私の目の前に星野さんの「速さのちがう時計」「風の旅」「鈴の鳴る道」の3冊がある。1冊目は色も黒・白だけだが、2冊目には段々色もついてきて、3冊目は本物の咲いている花のように、色鮮やかできれい。大変な努力をされただろうと毎回思う。その後、カレンダーや、しおりも作られ買わせてもらった。 富弘さんの独身の頃は、お母さんが世話をされていた。富弘さんは不自由な身の上に、癇癪(かんしゃく)を起こし、母親に八つ当たりする時もあったが、息子のため、じっと耐えて来られた。途中からは富弘さんが結婚されたんで、亡くなるまで奥さんがお世話された。 私がまだ以前の会社にいた頃、富弘さんが車椅子で散歩している時に、買い物帰りの自転車の奥さんとすれ違ったが、奥さんが知らん顔をした。というページをコピーして、数人の同僚に配ったことがあった。いつもおもしろいことを言う人たちが、しゅんと首をうなだれたことがあって、誰しも思うところがあるんだと、今もハッキリ覚えている。奥さんは手のかかる毎日に疲れておられたんだと思う。 個人的には何もつながりはないけれど、富弘さんのご冥福をお祈りします。 https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98+%E7%8F%BE%E5%9C%A8+%E5%A4%AB%E4%BA%BA&fr=top_ga1_ext1_bookmark_sa&ei=UTF-8&ts=18961&aq=0&oq=%E6%98%9F%E9%87%8E%E5%AF%8C%E5%BC%98&at=s&ai=45fd14df-b431-4e75-ae08-2ca7f35aabba