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投稿コメント一覧 (10984コメント)

  • >>No. 343

     就中、頭に鳳凰を載せて、とありますが、153ページの馬頭(さんが
    いて)、馬頭の頭頂に「ガルーダ王」がいる。となっています。
    ――――
     不動尊の法(観法)によると、迦楼羅炎(かるらえん)「ガルーダの炎」でこの宇宙の(悪)を焼き尽くして、青白い月輪、これを【ハーン(カン)】と呼び、
     ハーンの字を基に、不動尊の観を深めていきます。
    (後に、記すことがあるかもしれません。)
    ――――
     慈光 敬具。

  • >>No. 342

     同本、151ページの前には、【忿怒三尊を合一した】金剛手を画が、その前頁には同金剛手の念誦という、これからの基になるページがあります。
    ――――
     左手で金剛の鉤(かぎ)と縄を持ち、右手で金剛杵金剛所を持ち、やや左側を前に突き出し、両眉の間に第三の眼を、見開き、瓔珞(ようらく)を首、顔の周りに引っ提げ、荒れ狂う髪をして、トラのふんを纏い、左足は地を踏みしめ、右足は重力に負けまじと雲の中で、七葉蓮華の台(うてな)にその威力を共に、頭に鳳凰を載せて、立ってらっしゃいます。
    ――――
     
     それ程、左様に金剛手(われ自身)は、世界、あらゆる生き物にとって
    大事な存在なのです。
     
     みんな、一緒。
     我が、仏の道を説かないと、みんなの成仏は「ない」から。
     衆生の中から、菩薩は生まれ、菩薩が覚りを開かんとした時でしか、その先にある「仏陀」の境地はないから。

    ――――
     すぐ、そこにありますよ。

     慈光 敬具。

  • >>No. 341

    (続き)
    文殊菩薩の成就法について
    ――――
     (十一面)観音さまの成就法に続いて、文殊菩薩(マンジュシュリー)の成就法がタントラ(儀軌)として我々自身に対して「仏の拝むその様」として書かれている。
    ――――
     ゲールク派の所作タントラのまだ1であります。
     しびれてしまいます。
    ――――
     49ページの前に文殊さんのお姿があります。
     右手に蛇の巻き付いた(軍荼利)光る剣を持ち、左の親指とお姉さん指で経典を載せた蓮華の青首を持ち、結跏趺坐(けっかふざ)で上半身は少し左を前にして頭頂の上に髷、その上に頂輪(マニ宝珠の先)を載せて、微笑んでいらっしゃいます。
    ――――
     93ページの前、92ページまで読み進みました。
     次は、【智尊招入】(ちそん しょうにゅう)からであります。
    ――――

     皆様に、幸多からんことを。

     慈光 敬具。

  •  きのう、チベット仏教普及協会から、チベット仏教 所作タントラ成就法 1 が
    届きました。
    ――――
     昨年末、斎藤保高先生のおかげで、チャト・リンポチェ 猊下(げいか)を総本山善通寺にお招きして、「薬師如来 許可灌頂」と「秘密集会大灌頂」をお授けいただきました。
     何という、幸せでしょう。
    ――――
    ・・・・
     所作タントラ成就法 1 より

     11ページの前、十一面観世音菩薩が、柔らかな微笑みとともに描かれています。
     11ページからは、タントラになります。
    ――――
     27ページ 【我生起】より
    ・・空に、八葉蓮華の中心に「月」、上に「白色のフリーヒ」から光明を放ち、
    観世音菩薩の境地、即ち、光りと鉤(かぎ)を放つことにより、
     十方の仏と菩薩の一切を招いたのである。
    ――――
     行者が聖観音として起ち上がった。
    ――――
     齋藤先生ならびにこの本の関係の皆様に、感謝申し上げます。

     慈光 礼拝。

  •  三宝に帰依する。
    ――――
     オーム アーハ フーム というのは、
    ――――
     大日経によるマンダラと金剛界マンダラの内、大日経によるマンダラの
    真ん中、八葉の中心の仏たちの『真言』なのです。
    ――――
     金剛界マンダラでは、オーム (マハー) ヴァザラ ダードゥ ヴァン となり
    (みんな、一緒、大楽よ広がれ)⇒ 一切所、平等・平安 即身成仏であれ
     【熊野山 虚空蔵院 石手寺 先代 俊生 山主による】
    ーーー
     なお、一層、大日経の曼荼羅の中心仏の八葉の曼荼羅は、
     ア ヴィー ラ フーム キャン // フーム フリーヒ アフ という
     8大尊挌の(何と言うか)種字の集まりで、胎蔵界マンダラの極秘なのです。
    ――――
     このことは、師匠から受けたものではなく、大正大蔵経から解釈したものです。
     (念のため。)
    ――――
     敬具。

  •  何と幸せなことか。
    ――――
     この掲示板を見ていらっしゃる皆さま、お一人お一人は、
     お釈迦さまの愛に包まれていらっしゃる。
    ――――
     どうしてか、
     三宝(仏、法及び僧(サンガ))、即ち、お釈迦様、そのお説きになった法及び僧侶が4人以上組織された集団に身を寄せていらっしゃるからです。

     三宝に帰依しないとすれば、仏教とは言えません。
     それ程に最も重要なことなのです。
    ――――
     どうか、皆さま、三宝に帰依し、法に帰依し、歩みを続けていって欲しいと望みます。

     『聖者流 吉祥秘密集会 32尊の儀軌要集』より
     30 オーム アーハ フーム
     「歓喜」

     31
     ・・・持金剛・・・光明により・・・
     ・・自分に溶け込んだ。

     32 普回向
    ――――
     聖者流秘密集会の灌頂は受けないと、ダメですよ。
    ――――
     という流れになっています。

     慈光 敬具。

  • へんじょう、第48号(善通寺だより)より。
     9ページ、松本 峰哲(—― みねのり)さんのご寄稿より 
    ――――
     ヒンドゥー教(現在進行形のインドの宗教)においては、
    ①ブラフマー
    ②ヴィシュヌ
    ③シヴァ
     の三神が最高神とし、世界の創造、維持、破壊を担っているとのこと。
    ――――
     観音さまは、例えば、千手観音さまであれば、「サハスラーラ プジャ」と発音されますが、ヴィシュヌの異名の一つの形態であります。
     また、馬頭観音は「ハヤグリーヴァ」と呼ばれ、やはり異名の名前と一致します。
     さらに、大悲心陀羅尼の翻訳の中の記述の中に、4つの物がすべてヴィシュヌの持ち物なのです。
    ――――
     三十三観音も、十化身と関係しているのかも知れません。

     慈光 抜粋。

  • >>No. 334

     「聖者流吉祥秘密集会三十二尊の儀軌要集」
    を読み終わった。
    ――――
     皆様が、この「聖者流吉祥秘密集会三十二尊の儀軌要集」を手にしたもうことを。
    ――――
     真言では、十八の本山があると言うけれども、この儀軌によれば金剛界三十二尊の「深秘(ズィンピ)」は、本山に行かずとも、マスターできる。
    ――――
     ご自宅で、ありとあらゆる場で、感得できる。
    ――――
     どうか、ここまで「ポタラ・カレッジ」で学んだ皆さま、その未来に幸あれ、お釈迦さまの「願い:サマヤ」あれ、サハスラーラ チャクラの開花あれ、長寿あれ・・・
    ――――
     皆、一緒、世に幸福あれ、みんなが幸せあれと
    お釈迦さまは、願っておられるのである。
    ――――
     慈光 敬具。

  • >>No. 19452

     いろいろな見方があって、相場は形成されていくものと思う。
    ――――
     色んな意見があって良いのではないか。

  • >>No. 335

     一粒の麦
     地に落ちて死なずば
     一粒だにあらん
    ――――
     ググれば、すぐに分かるでありましょうが、
     ご自分で考えて欲しい。
    ――――
     慈光 敬具。

  • 19ページまで読み終わった。

     慈光 敬具。

  •  今は、「聖者流吉祥秘密集会三十二尊の儀軌要集」を見ている。
     これでも、一所懸命に見ている。
     なお、「一生懸命」の表記は、間違いである。
    ―――
     11ページまで進んだ。
    ――――
     11ページの下から10行目、
     八母尊(四仏母と四金剛女)は、長い髪を半分に束ね、
     流し目で見るなどの、表情も麗しい妙齢である。
    とある。
    ――――
     仏眼母から降三世まで、三面六襞で部族の宝冠を戴いている。
    ――――

     今回は、ここまで。

  •  皆さま、今日は。
     お元気で、お健やかに、春の日を迎えられたかと、お慶び申し上げます。
    ――――
     総本山 善通寺では、3月に六座グルヨーガの講習を齋藤 保高 先生をお招きして実施するとのこと。
     私としては、このカキコの読者の皆様に、「ご参加」してください、と呼びかけたい。
    ――――
     非常に書くのが難しい事ですが、これまでの読者の皆様に訴えたい。
     あなたは、どうしてこの世に「生まれて来たのか」
    ――――
     生まれて、母親のお腹の中で育って、母親にこの世との紬を与えて貰って、おぎゃーと生まれ、育てて貰ったから現在の自分が「息をしている」。
    ――――
     私は、不思議で不思議で、仕様がない。
    ――――
     宇宙の、太陽の第三(地球という水の)惑星に生まれたことが、奇跡としか言いようがない。
    ――――
     あなたの生命も同じことでしょう。
    ――――
     どうか、あなたの命もお大事に、この講習を受けていただけますよう・・・・。
    ――――
     私=仏=一切の衆生、一切の生き物。
     山川草木、悉有仏性 なのです。

     慈光 敬具。

  • >>No. 453

    うそこけ。
    ――――
     日本語になっていない。
    ――――
     もう一回、幼稚園からの復習を!!!

  •  皆さま、明けましておめでとうございます。
    ――――
     私にとりましては、新年が明けました。
    ――――
     昨日、後輩のM.Mさんが亡くなりました、謹んでお悔やみ申し上げます。
    ――――
     朝の勤行の中で、一切の衆生の皆さんと、一切の生き物の皆さんと幸せにと願っています。
    ――――
     亡き、石手寺第42世、俊生 山主と「みんな、一緒」の契りを約束した者としての覚悟です。
    ――――
     どうか皆様、お元気で、ほがらかに、どんな北風にも負けることなく、ご長寿でありますように。
     全ての存在が、幸多かれとのぞみます。
    ――――
     皆が、幸せでありますように。

    (慈光 敬具。)・・・

  • チベット密教 修行の設計図 齋藤 保高 先生著、㈱春秋社 2003年10月30日
    ――――
     5ページ2行目、「何が幸せか」。
     ・・・・
     6ページ7行目、不幸の根源として、「自己愛着」に起因すると・・・
    ――――
     8ページ12行目、それを断ち切る手段は、「他者に対する大きな慈悲の心を育む」ことだと断定しておられます。

     それ程に、大慈・大悲は肝心要とされています。

     慈光 敬具。

  •  妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 について その2
    ――――
     観音経について、
    ――――
     不思議な経であり、読みこんでいく毎に、魅了される。
    ――――
     もしかすると、日本に仏教が伝えられてから、初めての大乗経典ではないかとの
    思いがさざめく。
    ――――
     先に、般若 理趣経(禁断の経典)を読誦のため表したが、観音経であれば皆さまに読誦、理解、願えると存じます。
    ――――
     どうか、これを機会に本国に伝来した経典に、お馴染みを。

     皆様の未来に明るく輝く星々となって、燦然と雨降ってくることを願って止みません。
    ――――
     亡き師匠の言葉に、「虚空蔵」さんは、「打ち出の小槌」さんであるとのこと。
    ――――
     皆様が、打ち出の小づちさんとなりますように。

    (慈光 敬具。)

  •  妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五 について
    ――――
    【観音経の妙所】

     読んで、読んで、読み込んでいけば、今は分からずとも、冬の氷が春の暖かさを浴びて解けるように、分かってきます。
     ゆっくり、ゆっくり読んでいけば、必ず至ります。
     
     焦らないように。
    ――――
     衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦。
     
     具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身。
     
     種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅。
     
     真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰。
     
     無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間。
     
     悲体戒雷震 慈意妙大雲 澍甘露法雨 滅除煩悩炎。

     諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散。
     
     妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念。
     
     念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙。
     
     具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼。
     
    参考文献
    「訓訳妙法蓮華経並開結」平楽寺書店版 昭和32年発行

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