「本質観取」とは、文字通り、物事の“本質”をつかみ取るための思考法です。
たとえば、幸せとは何か? 自由とは何か? 正義とは、愛とは、友情とは、希望とは、よい社会とは、よい教育とは何か? こうした問いに、「なぁるほど、それは確かに本質的だ」と誰もがうなってしまうような考えを見つけ出し、それを言葉に紡いでいくこと。それが本質観取の営みです。
今回は、この本質観取について綴った苫野一徳氏、岩内章太郎氏、稲垣みどり氏の3者による新刊『本質観取の教科書 みんなの納得を生み出す対話』(集英社新書)から、フランスの留学生らと考えた「幸せ(ボヌール)とは何か」についての実践的な議論と、辿り着いた“答え”をご紹介します。
ここでは、本書で論じてきた本質観取の手順やファシリテーションのコツを振り返れるようコメントを入れながら、私たちがこれまでに実施してきた本質観取の模様をご紹介したいと思います。
■「幸せ(ボヌール)」とは何か?
日本語教育の現場での本質観取の例を挙げます。以下は、フランスから来た留学生2人と、稲垣、岩内の4人で行った「幸せ(ボヌール)の本質観取です。
留学生の日本語のレベルは、中級から上級(日本語能力試験 【JLPT】のN2[2級]からN1[1級])。ファシリテーターは稲垣が務めました。
興味深かったのは、対話を続けているうちに、日本語の「幸せ」からフランス語のBonheur(ボヌール)へと、本質観取の中身が変化していったことです。
確かに、辞書的には「幸せ=Bonheur」です。 でも、対話が重ねられる中で、両者は単純なイコールでは結べないことが見えてきたのです。
そこで、まずはBonheurの本質観取を行うことになりました。できれば続けて日本語「幸せ」の本質観取を行いたかったのですが、この時は時間切れでそこまでたどり着きませんでした。
でも、これはこれで、意義深い本質観取になりました。日本語とフランス語の微妙なニュアンスの違いや共通点の理解を深める時間になったからです。本質観取は、やはり最良の外国語教育・言語教育になりうることを実感した時間でした。
■「幸せ」を感じるのは、どういう時?
稲垣:では、まずは具体的な体験例をどんどん挙げていきましょう。みんなはどういう時に「幸せ」だなあって感じますか?
Aさん(学生1):好きな音楽を聴いている時は幸せですね。
Bさん(学生2):家族や友達と一緒に時間を過ごしている時、幸せを感じます。
岩内:自分はおいしいものを食べている時かな。一番幸せなのは、風呂上がりにビールを飲んでる時。みんなもそうじゃないですか?
Aさん・Bさん:(ちょっと首をかしげる)
岩内:あれ、感じないのかな。
Aさん:風呂上がりのビールが幸せかって言われると、ちょっと違和感がありますね。
岩内:へぇ、そうなんだ。何でだろう。ちなみに、フランス語では「幸せ」は何て言うんですか?
Aさん・Bさん:(しばらく2人で話し合って)Bonheur……かな。
稲垣:ボヌールね。じゃあ、おいしいものを食べた時にボヌールって言いますか?
→本書のなかで「類似概念と比較する」というコツを述べましたが、日本語と外国語の比較もまた、本質観取したい言葉の本質をいっそう明らかにするよい方法です。 外国語教育の現場で本質観取を行うことの、1つの醍醐味と言えるでしょう。
■「幸せ」「嬉しい」を表すさまざまな単語
Aさん:いえ、それはないですね。おいしいものを食べたりおいしいビールを飲んだりした時は、Bonheurとはちょっと違います。むしろ Contente(コンタント)ですね。日本語だと「嬉しい」や「満足」かな。たとえば、明日の火曜日は休講なんですが、明日は休講で嬉しいの場合に使うのはContenteですね(笑)。
岩内:なるほど。確かに、日本語でも「幸せ」と「嬉しい」はちょっと違いますね。その違いの本質がつかめたら、「幸せ」の本質が際立ってきそうです。
→ここでも「類似概念との比較」に目を向けています。
Aさん:そう言えば、似たような言葉にHeureux(ウルー)という言葉もあります。これもよく「幸せ」と訳されますね。
稲垣:なるほど。Bonheur Contente Heureux類似概念が3つ出てきましたね。Heureuxはどういう時に使う言葉なんですか?
Bさん:Heureuxは、たとえば大学を卒業する時とか、明日家族と会える、といった場合に使いますね。
岩内:やっぱり「嬉しい」に近いのかな。
Aさん:そうですね。 でも単にその状態に満足しているContenteとは違って、日本語「幸せ」に近い意味も持っていると思います。その喜びが続いていく感じでしょうか。
稲垣:じゃあBonheurはどういう場合に使うんですか?
Aさん:未来を思い描く時とか、将来の夢を話す時とかによく使いますね。
稲垣:Aさんの将来の夢は?
Aさん:教師になることです。
稲垣:ということは、Aさんは、教師になるとBonheurを感じられる、ということなんですね。
Aさん:それだけじゃなく、その夢に向かって努力していることにも、Bonheurを感じますね。
稲垣:なるほど。Bさんはどうですか?
Bさん:私も、将来好きな人と一緒になるとか、家族を作るとか、そういうことがBonheurでしょうか。
岩内:なるほど。Bonheurは、未来に向かう時間的な契機が入った「幸せ」なんですね。未来への感覚がある。明らかに、Contenteとは別格な感じがしますね。もうちょっと聞いてみたいんですが、たとえばお金があればBonheurを感じられそうですか?
Aさん:そうとも限りません。たとえば、フランスにはこういうことわざがあります。「L'argent ne fait pas le bonheur(お金は幸せをもたらさない)」。Bonheurは、お金があるとかいう「一時的な状態」の満足じゃないんです。もっと、自分の気持ちというか。
稲垣:なるほど、お金があるのは「状態」だけど、そんな状態にあるからといって、気持ちが幸せとは限らないですもんね。
Aさん:その意味では、日本語の「幸せ」もそうじゃないですか? お金持ちは幸せであるとは必ずしも言えない気がします。フランス語のBonheurと同じで、長い時間の中で、自分がどう感じているかというのが「幸せ」の本質にはあると思います。
岩内:確かに。フランス語のContenteや日本語の「嬉しい」や「満足」は、どちらかと言えば瞬間的な感情や状態という感じがするね。 それに対して……。
Bさん:Bonheurは、未来も含めてもっと長い時間の中に浸っている感じですね。
Aさん:うん、その感じ。浸っているというのは言えてると思います。
岩内:日本語では、風呂上がりのビールも「幸せ」っていうから、フランス語のHeureuxやBonheurよりは短いスパンでも使える言葉かも。でも、瞬間的な「嬉しい」や「満足」よりは、やっぱりゆったりと浸ってる感じ、味わってる感じはあるね。おいしいビールを飲める時間に喜びを感じているというか。
■辿り着いた「ボヌール」の本質とは
稲垣:いいですね。だんだんと言葉にできそうな気がしてきました。今回は、日本語の「幸せ」よりフランス語のBonheurの本質観取になりましたが、 ボヌールの本質、言葉にできそうですか?
Aさん:「生きることに大きな目標をもったり、それに到達するために努力したりする。現在から未来にまたがる時間全体を肯定し、それに浸っている気持ち」とかはどうですか?
Bさん:うん、しっくりきます。
稲垣:フランス語の「ボヌール」は、日本語の「幸せ」より、きめが細かいというか、もう少し限定的な使い方をする言葉だというのが見えましたね。今回の本質観取を踏まえて、次回は改めて日本語の「幸せ」の本質に迫っていきましょう。
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苫野 一徳 :哲学者・教育学者/岩内 章太郎/稲垣 みどり
最終更新:12/10(水) 11:00