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投稿コメント一覧 (35コメント)

  • とびばこさん、けいさん、ララさん、イットさん、KSさん、
    順不同で再度、呼びかけさせてくださいませ。
    今日は、奇しくも 雛節句のその日です。
    ララさんのお誕生日というのがまた、集いあうのに最高のチャンスです。
    集う・・・どこでも4年ぶりに、という枕詞が当たり前にゆきかっています。ネットの上だけのこの集いは、世界的な脅威の今回の疫病騒ぎの中でも、それだからよけいに絆が強まり、根っこを深めた感がいたします。
    日ごろ、登場頻度は劣悪の私でも、ララさんはじめ、みなさまにお声がけいただいて、有難く、心のよりどころになっています。

    かつては、少数の女子とか、職場のALTと呼ばれる海外出身の女子とか、集まって、雛パーティもしたものでした。
    今夜は、ちらしずしとハマグリのお吸い物(菜花は必須ですね)くらい用意すれば、日ごろ彩を欠いた我が家でも少しは華やぐのですが、その用意もせず、言い訳としては、月遅れでおひな様を見送る予定で、その折に、ということにします。
    147歳になる拙宅では、私が持参したおひな様以外に、明治以前の古風なものがあり、確か数年前、義姉がひきとってくれました。最後に飾って写真に残しておけばよかったのですが、だれもが忙しいの一言で荷造りしてしまいました。
    今は、気持ちだけ、家に伝わる二条びな、義母が生業にしていた押絵の立ちびな、などあちこち小さいものを片隅に置いています。

  • >>No. 1145

    KSさん、
    ご子息さまの手術が首尾よくいったようで、安堵しております。
    巷では、そろそろマスクも・・・の折柄、医療の現場では、まだまだコロナ禍の大変さが終るわけでなく、渦中での今回の施術は、どんなにご心配が一入だったことか、お察しいたします。
    どうぞくれぐれもお大事になさってくださいませ。
    KSさんご自身も心労のあまり、お身体を壊されませんように。

    心よりご快癒を念じております。

  • >>No. 1143

    ララさん、
    眠れなくてもう起きだしてきました。
    いつも、こうして忘れずお声がけをありがとうございます。
    気遣いのララさん、
    どんなお方なのかしら、と、先日の美しい西洋の(?)お人形のお写真に見入りながら、想像をたくましくしておりました。
    すてきなお人形をご披露くださって嬉しいです。

    そして、今日こそ、忘れずにお祝いが申せます。
    ララさん、お誕生日おめでとうございます!
    何ら趣向もないのですが、2月つごもりにやっと出しました私のおひな様を画像に取り入れてみますね。
    住宅難、物不足の70年位前に末っ子で生まれた私が待望の女の子だった父が狂喜乱舞して、探し探しして求めたおひな様だったそうです。
    決して立派なものではありませんが、親の思いは重い。母が逝って19年、父が逝って14年経ってこうして久しぶりに小さな面々を見ていますと、ふと、両親の声が聞こえてくる気さえしてきます。

    ララさんのこれからがますます、お健やかで愉しい日々でありますように!

    大腸はポリープをとってそれでめでたく終わる、はずが、その細胞検査に手間取り、一時は命が縮む思いで結果を待ちました。
    おかげさまで、あちこち、検査漬けにされたものの、二月下旬に無罪放免となったところです。
    2月は、ガラケー3年めのが急に写真データが全て消え、SDカードへの保存も認められず、修理に出すも、修理が全てを解決してくれる保障なしとの返事。
    4G対応の使い勝手のいいガラケーだったのですが、やむなく機種変更になります。今は修理からもだ戻ってこないため、クルマの中のハンズフリー機能も設定できず、宙ぶらりんで代替機で辛抱しています。
    それで撮った写真です。
    ほんの気持ちだけのお祝いですが、
    本当におめでとうございます。そして
    いつも心遣いをありがとうございます!

  • >>No. 895

    Ksさん、いつも明朗で、行間に前向きで思いやりのあるお人柄がにじみ出ているなあ、と感心しています。
    母親は、吾子のこととなると、杞憂だといい聞かせても、暗澹たる気持ちになるのを抑えることができないものですね。吾子でなくても家族や身内であっても同じですが、こどもについては、どんなに言い聞かせても弱い自分自身を避けては通れない。
    だれにも、口にできない辛い時間を通り抜けないといけないことがありますね。
    待つのみ、時が解決する、とまで悟ってもその隙に不安を覚え、案じてしまう自分が入り込んでしまう。

    先日のウィーンフィルニューイアーコンサートで、指揮者挨拶が「新年おめでとう」はドイツ語でしたが、そのあとの小さな挨拶が英語だったように記憶します。その中での心に残ったことばが、音楽の意義と楽観的に生きることとの関係を唱えていらしたこと。

    なるべく楽観したいものです。

    私自身が、自分自身のことでなくても、たえず、いろいろ煩わしいことで、息詰まるばかりなのですが、そんなときに、いつも首を横に振って、「大丈夫、平気、平気」と無理やり忘れる方向に自分を向けようとします。
    楽観すること、を念頭に置いています。


    Ksさん、考え過ぎないようにね。まずは、ご自身のお疲れをためないようにお願いします。

  • >>No. 890

    ララさん、
    私も、買い物は、断然デパート派でした。ただし、かつては、です。
    今だって、できることなら、デパートへ毎日だって行きたいです。
    拙宅(今は空き家状態のまま。別宅と言えばいいのでしょうか)から歩いて5分のところに、当地老舗のデパートがありました。建物は今もあります。コロナ禍の直前くらいに、百年近い歴史に幕を閉じました。金沢店などは、名鉄エムザと揃って、斜陽化しつつも、頑張って営業しています。
    往時は、デパ地下に足しげく通い、ダックス、バーバリーなど好きなブランドの洋服、ノリタケ、ナルミミラノ、Wedgwood、などの食器、とボーナス毎の楽しみなショッピングを豪勢に楽しんだものです。殊に、ムスコの教育費が大学進学を境にして激減(国立大学だったことと、それまでの塾や音楽教育費用が半端でなかった故に)したので、50代は、購買意欲に任せて物を増やしてしまいました。断捨離という言葉が世間にはまだそれほど知られていなく、自身も、浪費への罪の意識がまるでありませんでした(恥)
    もし、今もデパートが営業を続けていたら、どれだけ、欲しいものがあるでしょうか。衣類はだいぶ断捨離したものの、着ることなくほぼ新品状態のも少なからずあるので、このまま新しく購入することはないのか、それでもつい欲しくなるのか、見当がつきません。
    人とのコミュニケーションがほぼ失われたこの3年で、会う人のために、何を着ていこうか、と思い惑うことがありません。会う対象も行くべき場所もないと、おんなじような格好で日々を重ねてしまう怠惰な私です。
    私は、フレアスカートとかプリーツスカート、ワンピースなどフェミニン路線は崩しませんが、着心地最優先で、明るい色や春色や、という細やかな気配りをしなくなっています。
    手前勝手な放言ですが、今月末の検査が無事終了したら、気持ちを切り替えて、「楽しい時を過ごす」ための背伸び、といいますか、自分を鼓舞する明るいこれから、を心して自分に課したいと思います。

    ララさんは、お買い物ばかりでなく、外の世界の風を感じられるために外出されているのがよくわかります。
    私も、履きやすい靴を履いて、少しでも、遠くへこの足ででかけるべきだわ!
    新しい年を迎えて、何とお元日の日に墓参した以外は、5日間一歩も外へ出ませんでした。6日、遅ればせの初詣でを済ませたところです。

    長い繰り言になりました。
    会話のない日々を重ねているので、この場所でついつい饒舌に声高に思いのまま言葉を連ねるようです。お見苦しいですね。お赦しのほど。

  • >>No. 874

    おはようございます。
    遅ればせながら、本年もどうぞ宜しくご厚誼のほど、お願いいたします。
    Keiさんはじめ、お身内にご不幸がおありになった方々もいらっしゃるかもしれません。
    新年のご挨拶も不謹慎かと、ちょっと気が引けながら、松の内の間にお声がけしないと、と登場した次第です。
    ずいぶんご無沙汰しておりました。
    昨秋(11月上旬でした)人間ドックを受けた結果が、いちばん早い結果が当日出て精研のお達し。その後、1ヶ月ほどして届いた結果は、3部位の精研を命じるものでした。
    私のことですから、いろいろ思いあぐねて、ひょっとして終活とはこのことか、とか、検査の病院を大病院にしたらいいか、個人の開業医がいいか、などなど、次の行動に移すまで、だいぶ、気持ちが沈む日が多かったです。
    内科(循環器科)は今のかかりつけ医(今は心臓でお世話になっています)に、2部位ともお任せします。これは、あっさり、すぐに結論がでました。ドクターにも次は人間ドックの結果を持参してきます、と申してあります。来月早々の予約の日を変えずに、受診します。
    あとは、眼科と消化器系です。
    驚いたことには、精研の予約がなかなかとりにくい、いっぱいで、キャンセル待ちにしましょうか、と言われもしました。
    緑内障の可能性もあるとのことで眼科にかかったのは、つい1週前のこと。予約の電話を入れて1ヶ月半要しました。結果は〇でした。
    後は消化器科です。大腸カメラです。
    これが、私の悩みを深めて、とにかく、検査の医療機関に連絡しよう、と行動に移すまで半月はかかりました。
    その時点で大病院も、近くのクリニックもほぼ2か月待ちだということを知り驚きました。と同時に検査にひっかかって、精研をしに来る人がずいぶんいること、カメラを入れても病気になっていないことを確かめるため、の人が圧倒的なのだ、と楽観することにしました。実際は、大腸がんの恐怖はもとより、ポリープくらいは覚悟していますが(笑)
    そんなこんなで年の瀬を迎えても、片付けも手につかない心定まらぬ日々でした。
    年が明けて、だいぶ、肝が据わり(といっても、まだ不安はぬぐえません)あとは、時が来るのと過ぎるのを待ちます。

    こんな私事で朝から、そして新春から、本当に、不甲斐ないことですが、こんなことでも、どうぞ、今年もよろしくお願いします。
    長々ごめんなさい。

    実兄が二人いても、コロナ禍のせいでなくて、十年以上会うこともない私。身内のめんどくさいのは、むしろ、ほほえましいなあ、とksさんのお話が羨ましかったでした。ないものねだり、でしょうか。。。
    ムスコ夫婦とも、一度も気まずいことがないように思います。一旦、喧嘩したら、壊れた壺を抱えて生きていく自信がないから・・・と他人行儀な私が少しけん制し過ぎなのかもしれませんね。
    伴侶もムスコも一人っ子という環境、およめちゃんには、気軽に接してあげないと、この12年間つかず離れず、でやってきました。

  • けいさん、
    四十九日のご法要、無事おつとめになり、ご同慶の限りです。
    ララさんも仰っていますように、こんな素晴らしい心に響くご法要は聞いたことがございません。
    故人の遺徳を偲ぶ集いそのものですね。

    もともと、誰にでも、喜びも悲しみも共にされるお父さまでいらしたその功徳ですね。けいさんご一家が、お父さま、お母さまをかなめに、お嬢さまがた、そして、きっとご先祖代々の方々も、優しく寛容なお人柄で形成されている、そんなふうにあらためて思い入りました。

    ほっとなさいましたね。どうぞお母さまはじめ、けいさんもお疲れが出ませんようにおいといくださいませ。

    こんな心のこもったご法要のこと、実行に移すのは難しくても、知人や友人に話してあげたいものだわ、と思わず躍動する心がおさえられずに拙文を寄せてしまいました。

    みなさまも季節の変わり目です、どうぞお大事になさってくださいね。

  • >>No. 434

    台風の折にはお声がけをありがとうございました。
    いつもみなさまに優しいお声を寄せていただき、嬉しいです。
    ちょっと心急いておりますので、事後報告ということで、一言のみ。
    先月は、二歳のお子さんが大雨の夜に行方不明になられ、市の内外から捜索ボランティアの方々が参加された、という大変なことがございました。
    最期は、大きな海の入り口の湾の中で発見されようやくご家族の元に戻れたというあの事故です。
    何だか辛すぎて、そして自分が未熟すぎて何もできないのに、落ち着かない不安な毎日を過ごした次第です。
    ではいずれまた、、、

  • >>No. 433

    お久しぶりでございます。
    ちょっと、バタバタしているところですので、急ぎ、私の拙い記憶から情報のみお知らせします。
    本山(私の実家は西本願寺ですが、五条通東大路通東入にある大きな霊園です)は、受付をしましたら、そこから、若い職員さん(地方のお寺の跡取り息子さんが修行のために奉職しているようです)が、エレベータに一緒に乗ってくださり、実家の分骨するロッカー(みたいなものでした。)の前まで道案内してくださいました。そこでその職員さんがお経をあげてくださり、分骨された小さいお骨壺がおさめられました。受付でいくらいくら(多額ではありませんでした。失念しています)と言われた額を納めましたが、最後にこの若いお坊さん(の卵?)にも1万円くらい包んだと思います。
    実家の分骨場所は、いわゆるマンションみたいな高層多数型のところで、墓地の上に立っている戸建て?のではありません。
    9月16日は、母の命日でした。父は12月。母は、70代の終わりごろでしたが、もう18年になりました。自分がその年齢に近づきますと、最後の数年間、もっともっと優しくいたわって過ごせなかったものか、と悔やまれることばかりです。

  • こんばんは。
    けいさんのお父さまに思いを馳せながら、夜のしじまの中におります。
    ララさん、ksrさんも仰っているように、コロナ来の近頃の家族葬ではなくて、従来の(?)やり方、ご焼香に参集された方々が、制限なく、お香を手向けられる方式になさって、本当によろしかったですね。
    お父さまの越し方、最期のお別れは、いつもそうでしたものね。従来のやり方であれば、お父さまもまごつかれることなくこの世での最後のお時間を懐かしいお宅で、納棺の儀のあとは、お棺の中で、全て納得の上、安心してお目をつむりつつ、お浄土への道への旅立ちにおでましになれたことでしょう。

    私事ですが、私の祖母の実家が福井の浄土真宗のお寺でした。私からしますと、かなり縁の薄い関係ですが、祖母に手を引かれて、福井のお寺に何度も報恩講、親鸞聖人八百回忌(正確ではありません)など、泊りがけでお参りに行ったことを覚えています。就学前のことで覚えている唯一のこと、白い犬に会えるのが嬉しかったのと正信偈(真宗の中で最もポピュラーなお経です。お焼香の間中、導師様を中心にあげられるお経ですね)のくだりが思い出されます。弱くなった記憶力が突然蘇ったかのようです。

    伝統的儀式でお父さまをお見送りなさることができて、他事ながら、安堵いたしました。

    いつもこうして思いのまま、長々と記してしまいます。
    あっぱれ、お父さま、そしてけいさんもご長女として、立派にお役目を果たされたこと、あらためまして、そのご労苦に敬意を表します。
    まだまだお気を許すことのできない諸お手続きが残っていることでしょう。
    どうぞご自愛の上、時にリラックスなさって、ご自身をおいといくださいね。

    今夜は、お線香の香りのたちこめたご自宅で、ゆっくりご自身のベッドに横になることがおできになられたでしょうか。
    返す返すも、お母さまもどうぞお大切に。

  • 突然の訃報に、言葉もございません。
    文字の上だけでのお付き合いであったも、お父上さまが、どんなに大切な存在であられたのか、それだけにお母上さまをはじめ、けいさん三姉妹がいかにお気をおとされているか、お察しするばかりです。
    衷心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

    あまりにも急なことで、予期せぬ煩雑さに忙殺されていらっしゃることでしょう。けいさんもお母さまもお身内の皆さまも、張りつめた気持ち故に、座り込む余裕も見つけられないのでは、と案じております。お疲れやお悲しみが募る一方で。。。

    なかよしご一家の象徴だったお父上さま、立派な伴侶を失くされてお母さまには、これからが失意から立ち直る試練の時、どうぞお大事になさってくださいね。

    大腿部骨折の手術からの入院、リハビリ、そして褥瘡という闘病をさらに辛くさせた更なる症状、今はそんな苦痛から解放されて、永遠の眠りにおつきになったのだと、ささやかなネットでのご縁でありながら、旅立ちに心よりこうべを垂れて手を合わせるものです。                          合掌

  • もう少し簡潔に記せるように気を付けたいと思います。
    お暑さ、大雨など、懸念材料いろいろですが、みなさま、どうぞお大切に。

    旧暦の当地ではお盆が1週間後からです。ムスコたちが帰省するわけでもなく、私たちが訪れてゆくべきゆかりの家もみな無人となっていて、お墓の掃除とお参りだけです。そうそう、お仏壇の中くらいは、お盆前に清めておきませんとね。
    では、駄文長文をお詫びしつつ、、、

  • ララさん、深夜のメールは、親しき中にも礼儀あり、そのものですね。
    余程の急用でしたら、電話する前にメールで「今から電話したいけれどいいかしら」と断ります。他人同士でそんな連絡事項は1年に一度あるかなきか、くらいでしょうか。
    私も夜更かしですし、深夜にメールを打つこともありますが、送信予約で翌朝9時ころに予約するようにしています。真夜中に直接送信はありません。
    PCメールでしたら、送信するところですが、最近、あんまりPCアドレス宛にメールはしませんね。
    ムスコとの連絡頻度はそう高い方ではありませんので、電話であれ、メールであれ、11時くらいまでは互いによしとしています。一番多いのは固定電話を使った連絡ですね。私自身、バッグに携帯を入れていたり、隣の部屋で充電していたり、で、携帯の着信に気づかないことが多いのです。息子たちも携帯に気づかないこともあるようです。互いにラインもしていません。
    女の子を持っていればもうちょっとあれこれ連絡しあうこともあっただろう、と羨ましいです。
    深夜の急を要しないメールは、親しい間柄では特に気をつけてもらいたいものですよね。

  • 幸い、当地には今回の過去に経験しない大雨の被害はありませんでしたが、石川県小松市は、電車(かつてのJR北陸線、今は第三セクターになっています。新幹線が、そろそろ東京~敦賀と延びるとか。今は、東京~金沢2時間弱です)で50分の距離ですから、他人事ではない心地でした。
    ksnchardさん、ご心配いただきまして恐縮です。私の居住地は、石川県寄りです。
    コロナ感染がそこここで聞かれるようになるのと同時に、熱中症の恐れも半端なく、その上、今回の大雨、ときますと、何だか、この国は呪われているのでは?とまで思えます。
    個人的なことですが、運転免許の更新が近づいてきて、何気なく、眼鏡屋さんで検眼してもらいましたら、眼鏡もコンタクトレンズも矯正視力が必要な両眼で0.7に達しません。度数を上げてもらっても両眼で0.5がいいところ。。。
    ド近眼であるのは自認するところですが、それでもコンタクト装用で、片眼で1.0にはなったのに。。。眼鏡屋の奥さんに、「一度眼科で診てもらわれたら?」と助言をいただき、たまたま袋に持っていた極上煎茶の100グラム詰めを「カウンセリング料」だと置いてお店を出ました。
    それが1週間前くらいでした。
    総合病院の眼科へ参りました。
    昨今の大病院は、紹介状がない場合は、5500円の初診料がかかります。最後に受診したのが2年ちょっと前だったので、しかたありません。
    白内障だと診断してくださったのが、その日のドクターだというより、自分から白内障ではないか、と思う、と申し出たようです。
    以前かかりつけ眼科(町医者)では、白内障の手術は日帰りで、日をあらためて残りの片目をする そのように理解していました。
    今回の総合病院は、3泊4日で、その間に両眼施術するそうです。早く予約をとらないと、どんどん手術が先延ばしされるそうなので、来月中旬に決めて帰宅しました。最後にドクターが「あなたの場合コンタクトレンズ装用に伴う眼球の傷があるので、ひょっとしたら角膜移植、ということも想定できますので、そのリスクをお含みおきください」と言われ、相当動揺しました。

    帰宅してネット検索したところ、市内には10以上眼科医はあるものの、日帰り白内障手術をやるのはそのうち2つだけ。かつて私がかかっていた眼科医もまだ開業していましたが、手術はしていない、後継者がいなくて先生もそろそろ80代くらいじゃないかしら、、、納得!とやっと今頃になってわかった次第です。
    総合病院で受診する前にもっとネット検索を徹底しておくべきでした。
    でもこんな腑に落ちない気持ちのまま、手術を受ける勇気がなく、今日ですが、隣の市の総合病院眼科に受診予約して少し落ち着いたところです。

    来週に予約が取れましたので、続きは受診後またお知らせ出来たら、と思います。
    みなさまの中で白内障の手術をお受けになられたり、ご家族が、というお方がいらしたら、どんなふうでしたかを、お差支えがなければ教えていただけないでしょうか。

  • >>No. 204

    黄色のバラは、幸運の予感がします。
    23年も続いたコミュニケーションの場で、末永く、会話が弾みますように!
    青い大きいプールも楽しく拝見しました。小さい人たちの歓声も聞こえてきそうです。

    ララさん、keiさん、変わらぬお心配りに、甘えつつ、こうしてまたやってまいりました。
    皆さま、よろしくお願いします。

    それにしましても、この国の葉月、こんなに暑かったでしょうか???
    熱砂、熱風が街中に漂っています。不用意にどこかに触れると、熱さに手をひっこめてしまいます。
    温帯地方に住んでいるとずっと思ってきましたが、何だかそうでもないようです。
    皆さま、お暑さ、いかがお過ごしですか。どうぞお大切に。

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