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誉れ武門の名に恥じはなし!の掲示板

絶海中津(ぜっかいちゅうしん)~1~
1334~1405
室町時代初期の僧。
土佐国高岡郡津野出身。
在地豪族津野氏の一族。
建武元年11月13日生まれ。
はじめ道号を要関とする。
のち明に渡って李潭宗泐から
絶海の道号を受けて改称。
別に蕉堅子・蕉固道人と号す。
義堂周信と同郷。
1348年、上洛して天竜寺に喝食。
1350年、剃髪して沙弥となり、
1351年9月30日、夢窓疎石に参じて
彼が没するまで付き従った。
1353年、建仁寺の竜山特見の会下に
参加した。
1354年、南禅寺に移り、大林善育の
もとで湯薬侍者を勤める。
1364年、鎌倉建長寺の青山慈永に
参じて学び、さらに大喜法忻の会下に
蔵主・焼香侍者を任される。
1365年5月、義堂周信の鯖見善福寺に
入り、衣鉢侍者を勤めた。
1368年2月、明に渡り、杭州天竺寺の
李潭宗泐に師事する。
ついで霊隠寺・護聖万寿寺に赴き、
用貞輔良・清遠懐渭に会う。
1376年、明の洪武帝との謁見を果たし、
熊野三山詩を披露した。
1378年、帰国。