いったい「異次元緩和」をする必要はあったのだろうか?壮大な実験の失敗ではっきりしたこと

3/23 6:32 配信

東洋経済オンライン

 すばらしい。

 植田和男・日本銀行総裁は期待どおり、「腹を据えて静かに闘う」という彼の本領を発揮し始めた。

■いっぺんに「イレギュラーな政策」をやめた植田総裁

 3月18~19日の日銀政策決定会合で、日銀はマイナス金利を解除しただけでなく、異次元緩和を一気に終了してしまった。ついでに、これまでの大規模緩和の中で最も異常な枠組みであるイールドカーブ・コントロール(=YCC、長短金利操作)、さらにはETF(上場投資信託)およびJ-REIT(不動産投資信託)の買い入れまでも、いっぺんにやめてしまったのだ。

 これまでの数年間、われわれを含めた外野は、金融政策正常化の道筋として、この3つのイレギュラーな政策をどのように、どの順番で解除していくのか、散々議論してきた。それを事もなげに、3つ同時にやめてしまった。記者会見で、新しい金融政策の枠組みをなんと名づけるか、コメントを求められ、「普通の金融政策です」と。

 カッコいい。

 しかし、まさにそのとおりだ。これこそが正常化だ。ある意味、量的緩和も半分は終わったといえる。あるいは、植田総裁の頭の中の枠組みでは、もはや量的緩和ではないのかもしれない。

 実際、マネタリーベースの拡大に関する「オーバーシュートコミットメット」は外された。植田総裁の言う「短期金利を操作手段とした普通の金融緩和」になったのだから、マネタリーベースを目標とする量的緩和(日銀による元祖量的緩和)は終了したのだ。

 あとは、日銀が国債などのリスク資産を抱えるバランスシートポリシーをどうするかだ。現在ではこれが量的緩和だと思われているが、アメリカのベン・バーナンキFRB(連邦準備制度理事会)元議長は、自身では決して量的緩和という言葉を使わず、バランスシートポリシーと呼び続けた。まさに今、日銀はこの政策による、バランスシートに残ってしまっている遺産をどう処理していくかということが残っているのである。

 したがって、量的緩和は終了し、日銀は長期国債を一定程度買い続けるが、それはあくまで緩和ではなく、過去の遺産の処理のための調整手段だから、これからは「普通の金融緩和」と過去の負の遺産の処理(まさに負債処理)のみ、ということだ。

■これから日銀は何をするのか

 つまり、正常化をもう実現してしまったのだ! 

 メディアや金融関係者は「正常化はまだ第一歩にすぎず、これからの道のりは長い」などと言っているが、植田総裁も、私と同じように正常化は終わったと考えているのではないか。記者会見では、「正常化が何を意味するかによるけれども」と留保条件をつけ、はっきりと正常化が終了したとは言わなかったが、彼の説明の全体を見渡すと、「普通の」というのは正常化したあとの姿ということではないだろうか。

 これからは、景気と物価を見ながら利上げをしていくだけのことだ。つまり、本当に本当の「普通の」金融政策になったのだ。そして、負の遺産の処理は、それとは別に、金融緩和や引き締めのための金利の上げ下げとは別のものとして、景気や物価とは別の観点で、金融市場と向き合いながら、(おそらく淡々と)処理していくのだ。

 この負債処理、言い換えれば、含み益がある株式と含み損が出始める国債という「負の遺産」に関する「ある種の不良(普通ではない異常状態という意味で)」資産処理、これを行っていくことになる。

 これが完全に終了するまで、完全な正常化は果たせないという見方もある。だが、アメリカの中央銀行にあたるFEDも量的引き締めのペースを調節しながら、現在、「普通の」金融政策として、雇用と物価をにらみながら金利の上げ下げをしている。だから、21世紀の中央銀行は、「普通の」金融政策と同時に、つねにバランスシートポリシーも調節し続けるのが常態化するのかもしれない。それが、21世紀の「普通の」中央銀行の姿になるのかもしれない。

 いずれにせよ、植田日銀は、一瞬でほとんどの正常化を完了してしまったのだ。大絶賛だ! 

 しかし、同時に衝撃的なサプライズでもある。そして、政策議論としては、深刻な大問題を提起しているのだ。それはどういうことか。

 こんなに大胆に、一気に「三段跳び」をしてしまったのに、市場はまったく動かなかった。もちろん「事前のリークがあったから」という見方もあるが、そもそもリークされたときも「多少波立った」くらいだった。

■なぜ「無風」という「事件」は起きたのか

 ほぼ無風。これは、植田日銀の大成功であると同時に「金融市場とは何なんだ?」という疑問が生じる「無風」という「事件」である。金融市場がこの2年騒いできたこと、とくに「黒田(東彦)日銀」の末期、YCCをネタに締め上げ続け、為替で仕掛け続けたのは何だったのか。

 それは、金融市場で仕掛けたがる奴らが日銀ネタに飽きてしまったから、なのだ。つまり、日銀ネタで仕掛けるのは賞味期限切れで、盛り上がらないから、誰もついてこない。ついて来なければ、乱高下が起きなければ、仕掛けても儲からない、だからやめてしまったのだ。

 むしろ、この1年は日本大ブームで、日本を何かの理由にかこつけて、とにかく「買い」たかったのだ。だから今回も、日本を売るという方向では材料にしづらいから、日本株を暴騰させてみたのだ。

 これまた、植田総裁の成果、彼の静かな忍耐強さの勝利ではある。私たちが、植田新総裁に「すぐにでも正常化に進んでほしいのに、何モタモタしてやんでえ、さっさと正常化しちまえ!」と怒鳴っていたのに、まったく静かに時機を待った植田氏の殊勲である。

 しかし、である。ということは、投機的トレーダーにおもちゃにされるという問題だけが正常化の障害だったのか? という政策議論上の問題がある。異次元緩和の副作用の1つは「出口戦略が難しくなる」というものだったのだが、その副作用は市場(の悪いやつらに)にもてあそばれるということだけだったのか? という問題である。

 すなわち、異次元緩和は実体経済に対しては副作用すらなかったということだ。そして、副作用すらないということは、そもそも実体的な効果はそもそも存在しなかったということだ。

 もちろん、日銀はETFの買い入れは実質的にもう止めていたし、YCCも植田日銀になってから2度の変更で関連はなかった。つまり、YCCの上限金利のメドである1%とは無関係に長期国債の金利が市場で決まっていた、ということがベースにはある。しかし、それにしても、それならば、やっぱりあってもなくても最初から同じだったのではないかという疑問が生じてくる。

■そもそも異次元緩和をやる必要はあったのか

 問題は2つである。第1に「中央銀行は金融市場との対話が重要だ」というが、それは本当なのか、という問題だ。金融政策を投資家の都合のいいように変更することを強いるような催促相場になったり、過去2年間のように政策変更を食い物にするようなトレーダーが多かったり、という状況においては、そもそも対話というものが成り立つのか。

 中央銀行の金融市場への対峙の仕方に関する日本の金融関係者やメディアの常識は間違っていたのではないか。そのような「悪い」トレーダーや投資家に対しては、支配するあるいは相手にしないという考え方で臨まざるをえないのではないか。そして、植田日銀は、丁寧に静かに、しかし本質的には「相手にしない」というアプローチで、今回成功したのではないかということだ。

 第2に「そもそも異次元緩和には、出口でもてあそばれるリスクを高めただけで、何のメリットもなかったのではないか」という根本的な疑問だ。

 副作用は、国債市場の機能低下、政府財政への規律の低下、民間経済主体へも長期の低金利による規律低下および資源配分の効率性の低下という明らかな弊害がそもそもあるのに、それ以外にも出口リスクという大きな副作用があり、それにもかかわらず、実体経済には効果がゼロだったのはないか。つまり、そもそも異次元緩和をやる必要は最初からなかったのではないか、ということだ。

 これが実は当たり前のことではあるが、今回の政策変更において総括をしておかなければいけない最重要のことなのではないか。植田総裁は「それはレビュー待ち」と記者会見で返答したが、待ちきれないので、今回の記事の最後に整理しておこう。

 異次元緩和のデメリットは明らかなので、まず、それを並べておこう。

 まず、前述したように、国債市場機能低下、財政規律低下、民間経済主体の非効率化がある。これらは、異次元緩和でなくとも、大規模緩和を長期にわたりゼロ金利(マイナス金利あるいはプラスの低金利でも)で行えば生じる、過度の金融緩和の弊害である。

 次に、バランスシートが肥大化したことによる弊害だが、これは、まさに今後も続き、リスクが顕在化するとすればこれからがデメリットが現実化する可能性が高いのであるが、金融市場の不安定化、ボラティリティー(変動率)の急変化の可能性がある。これも前述の負の遺産問題である。

 最悪の帰結としては、政府の財政破綻リスクを高めたことであり、中央銀行自身の信認低下リスク、通貨の信任リスクも高めてしまうということである。

 しかし、直接の、すでに実現している最大の問題は、われわれの目の前にある過度の円安である。「これは賛否両論ある」というかもしれないが、そうではない。為替は妥当な水準で安定することが重要であり、1ドル=150円はどう見ても妥当ではなく、また安定とはほど遠く、何度も大きく円安に振れ、少し戻し、再度大きく円安に、ということを繰り返してもきた。

 そして、異常な円安水準が定着しそうにも見える。これは、ほかの要因もあるが、異次元緩和がきっかけとなったことは間違いなく、また同時に、異常な円安水準からさらなる異常な円安になることを助長したこともある。

■「異次元緩和のメリット」は何だったのか

 一方、異次元緩和のメリットは何だったのか。あるいは、メリットとなる可能性があってトライしたが、実現しなかったことは何だったのか。

 メリットは、私個人の意見としては何もないが、一般的には株価上昇と円安進行のきっかけを作ったということである。後者は、前述のように過度の円安のきっかけとしてはデメリットである。2011年の震災後の1ドル=80円割れ水準からの脱出という意味ではプラスとも捉えられる。

 ただし、異次元緩和が始まった2013年にはもう異常な円高は終了していたから、これはなんともいえない。したがって、はっきりしているのは、異常な株安からの脱出のきっかけになったということだ。

 次に、黒田前総裁自らが述べているメリットがある。黒田氏は、総裁就任後1年あまりでの講演(2014年6月23日経済同友会会員懇談会)で以下のように言葉を述べている。

 「異次元緩和により、日本経済の問題はこれまで需要側にあると思われていたが、それが実は供給側にある、という認識が広まってきた」

 すなわち、日本経済の真の問題はどこにあるのか。需要不足だと思われていたが、異次元緩和でとことん刺激して需要不足は解消したが、それでも日本経済の問題は解決しなかったから、供給側の問題だったことが幅広く認識された、ということなのだ。

 つまり、異次元緩和は日本経済の真の問題を何も解決しなかったのだ。メリットとは、需要側にあるという誤解を解いたということなのだ。

 確かに、それはメリットに違いがない。だが、あまりにばかばかしくないか。われわれがバカで理解不足だったから、自分たちの認識が間違っていることを知るためだけに、副作用の大きな異常な大規模緩和をした、ということだ。しかし、それでも、誤解を続けるよりはましなので、一応メリットだったと言えるだろう。

■期待に働きかけてもインフレ率を動かせない

 しかし、本当に総括しなければいけないのは、リフレ派が主張する「マネーが増えればインフレになり、全部解決する」という安直な認識が間違っていただけではなく、まっとうな正統派のマクロ経済学者の認識も間違っていたことがはっきりしたことを日本中のコンセンサスにしなければならないということだ。

 すなわち、中央銀行がインフレターゲットにコミット(実現に向けて約束する)すれば、市場参加者(金融市場、実体経済の市場とともに、すべての経済主体も含む)の期待が動き、期待インフレ率が上昇し、それに基づき経済主体が経済活動をすることで、実際のインフレ率も上昇し、ターゲットのインフレ率が達成されるというのは、ただの幻想であったことがはっきりしたのだ。期待は実現しない。

 そして、これは当初、日本だけが特殊だと思われていたが、アメリカにおいてもまったく同じで、インフレ率のコントロールに大失敗し、アンカー(投錨)された水準になかなか戻らない。つまり、金融市場はともかく、実体経済においては、経済主体の期待に働きかけるというアプローチはほとんど効果がなく、少なくともインフレ率を、期待に働きかけることによって動かすことはできないことがはっきりしたのだ。

 間違いがはっきりしたということでメリットに数えてもいいが、現実にはこの認識をあいまいにしたまま、日本社会はこの異次元緩和という「壮大な実験」の失敗を忘れようとしている。

 34年ぶりに日経平均株価がバブル期を超え、証券関係者は「生きているうちにこの日が来るとは思わなかった」と感激して泣きながらクス玉を割り、エコノミストや中央銀行関係者は「日銀の悲願だったインフレ率2%が実現した」と、なぜかインフレを起こすことが悲願で、すべてのことに優先するかのような議論を行い、「日本経済の最大の問題であるデフレが解決した、これでやっと次に進める」などと言っている。

 狂っているのか。

 インフレはそもそもよいことではない。物価が安定していることが重要なのだ。第2に、インフレ率が高まったのは、金融政策とはまったく無関係に、新型コロナウイルスと、ロシアのウクライナ侵略で起きたサプライショック、および構造的な人手不足によるものだ。

 そもそも、金融政策による解決というアプローチそのものが、根本的に間違っており、しかも、それは壮大な実験をする前からわかっていたことだった。黒田氏の講演がまさに示しているとおり、需要不足から生じる問題ではなく供給側の構造問題だと、わかる人にはわかっていたのである。

 第3に、結局、日本が闘ってきた(といわれる)デフレとは何だったのか。インフレが問題で、物価高対策を政治家が躍起になってやっているのに、植田総裁が今はデフレではなくインフレだと言っているのに、「まだデフレ脱却とは言えない」などと言っている。では、政治家たちが言っている「デフレ」とは何なのか。はっきりさせる必要がある。

 これは「デフレマインド」という言葉のほうが近い。かつ、デフレマインドとは消費者の貧乏人根性で、1円値上げしたらライバルメーカーや隣のスーパーに移るという行動習慣である。

 また、それを過度に恐れる、自社の製品の価値と価格戦略に自信を持てない企業の問題であり、赤信号みんなで渡れば怖くないと揶揄される、日本の悪い同調主義が根底にある。コスト高だから、みんな価格を上げざるをえないが、このときどさくさにまぎれて、コストと無関係に、あるいはこれまで我慢していて値上げができなかった分をこの際一気に上げてしまっている。

 賃金も同じだ。何かみんなで上げるムードだから、「よし、大盤振る舞いだ。うちはライバルよりもっと上げるぞ」などとやっている。「物価と賃金の好循環」などという概念は真っ赤なうそであり、上げようと思えばもっと前から上げられたのに、雰囲気に流されて上げているだけである。

■日本社会の構造的な行動原理の欠陥問題が明らかに

 つまり、このような日本社会の人々、経済主体の構造的な行動原理の欠陥に問題があったことが、今回、はっきりしたのである。これは構造的な問題であり、30年の間により強まった可能性もある。

 だが、だとしても、はっきりとした構造的な問題であるから、金融政策でそもそも解決ができるはずのない問題だったのだ。それは最初からわかっていたのだ。

 したがって、壮大な実験は失敗したのではなく、最初から間違っていたのであり、この点においては、異次元緩和は最初から間違っており、やる必要のない実験であり、副作用のほうは確実であり、はっきりわかっている政策だったのである。

 日本経済はバブル崩壊後、「失われた30年」などとも言われるが、最後の10年は「異次元緩和により失われた」ともいえるのである。

 (本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)

 競馬である。

24日の日曜日は、中京競馬場で高松宮記念(第11レース、芝1200メートル、G1)がある。日本において正々堂々と行われ、かつキングオブスポーツである競馬、しかも世界最高峰レベルである日本競馬の、最高峰のG1レースということで、徹底的にスポーツベッティングを楽しみたい。

■G1高松宮記念の狙い馬は? 

 狙いはルガル(3枠6番)。

 もう少し人気がないと思ったのだが、みな考えることは一緒なのか。3番人気あるいは2番人気になってしまうかもしれないが、4歳の成長力、前走の圧勝から、このままG1制覇を期待したい。

 一方、思ったより人気がなさそうなのが、マッドクール(1枠2番)。「小幡はマッド、植田総裁はクール」ということで、語呂からもこちらも。2頭をパドックとオッズを見ながら、どちらかの単勝で勝負したい。

※ 次回の筆者はかんべえ(吉崎達彦)さんで、掲載は3月30日(土)の予定です(当記事は「会社四季報オンライン」にも掲載しています)

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最終更新:3/23(土) 13:02

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