令和の今も作成依頼「デスマスク」への遺族の想い 夏目漱石の死に顔やコロナで逝った少年の手形も

3/21 9:02 配信

東洋経済オンライン

OSINT(オープンソースインテリジェンス)が注目される昨今、人生の終わりに触れられるオープンソースも存在する。情報があふれて埋もれやすい現在において、今は亡き個人の物語を拾い上げて詳細を読み込んでいきたい。

■100年前に亡くなった漱石を眺める

2017年に開館した新宿区立漱石山房記念館は、夏目漱石(1867-1916)が晩年を過ごした住まい、通称・漱石山房の跡地に建つ。当時の書斎や庭園を細部にわたって再現しており、文豪の暮らしと仕事の空間を今に伝える。

 館の所蔵品のひとつに漱石のデスマスクがある。漱石が息を引き取った直後、門下生の森田草平(1881-1949)が師のデスマスクを取ることを提案し、遺族の同意を得たうえで彫刻家の新海竹太郎(1868-1927)に依頼して制作された。4月21日まで開催している通常展「夏目漱石と漱石山房 其の一」で公開中だ。

 当時作られたデスマスクは2つあり、そのうちひとつは夏目家の仏壇の脇に飾られていた。次男で随筆家の夏目伸六(1908-1975)は、子供の頃によくお面代わりに被っていたそうだ。ところが、そちらは1945年5月25日の空襲で家屋ごと焼失してしまった。

 現在展示されているデスマスクは、残りひとつの現品である朝日新聞社所有のものから夏目漱石生誕100年を記念して1966年に複製されたものだ。当時の所有者は門下生の松岡譲(1891-1969)。漱石山房記念館名誉館長の父にあたる。

 このタイミングで作られた複製品はいくつかあり、東北大学や神奈川近代文学館なども所蔵している。また、二松学舎大学にある「漱石アンドロイド」の頭部も朝日新聞社のデスマスクを3Dスキャンして作られており、後に生まれた複製品のひとつに数えられるだろう。

 デスマスクは蝋などで型を取り、そこから石膏やブロンズ製の面を作りだす。まさに死に顔の生き写しだ。漱石のデスマスクを間近に眺めると、額のしわや目じわ、頬骨の隆起具合までありのままに残されているのがわかる。当たり前ながら等身大なので、顔の大きさも伝わる。整った顔立ちと口ひげに、教科書やかつての1000円札で目にしたあの肖像の姿が浮かぶ。

 晩年といえども49歳とまだ十分に若く、病床で大きく老け込んだり、死因となった胃潰瘍による苦悶の表情が染みこんだりした感じはしない。最後の最後は穏やかに息を引き取ったのではないかと推測するのに十分な情報が詰まっている。

 もし仮に100年前にタイムスリップして荼毘に付す前の漱石の遺体を目の当たりにしても、周囲の目もあるからここまでじっくりとは眺められなかっただろう。気兼ねなく、ありのままの容姿を観察できる。デスマスクだからこそできた経験だ。

 死を記憶して後世に伝える。その情報量と正確さにおいて、デスマスクは写真や絵画、墓石をも凌ぐ。かなり高解像な「死のオープンソース」といえそうだ。

■ルーツは古代ローマに遡る

 その歴史は古く、紀元前の古代ローマ時代まで遡る。古代ローマでは、高級官僚などの高貴な家柄の玄関広間には「イマギネス」という蝋で作った先代のデスマスクが飾られていたという。イマギネスは葬列にも持ち出されるなどして、祖先の崇拝と家柄を誇示する役割を担っていたようだ。

 やがてイマギネスは市民にも広まり、その技術は後世に引き継がれた。中世から近世にかけての欧州やその文化圏では王や名士のデスマスクがとられるようになる。現在に伝わるものだけで、アイザック・ニュートン(1642-1727)やベートーベン(1770-1827)、エイブラハム・リンカーン(1809-1865)、レフ・トルストイ(1828-1910)など、枚挙にいとまがない。

 日本には文明開化の時代に伝わった。明治から昭和前半にかけては、夏目漱石以外にも、森鴎外(1862-1922)や小林多喜二(1903-1933)、松沢病院で暮らしながらメディアを賑わした葦原将軍(葦原金次郎、1852-1937)など多くのデスマスクが残されており、その多くは関連する資料館で今も目にすることができる。

 ところが、戦後になるとデスマスクを残す風習は次第に退潮に向かっていく。

 背景には、故人の面影を残すツールとして、低コストで管理も容易な遺影がすでに普及していた事情があっただろう。また、デスマスク特有の生々しさが時代に合わなくなっていった側面も否めない。実際のところ、最近は多大な業績を残した人が亡くなっても、デスマスクを取るという発想にはなかなか至らないだろう。

 漱石山房記念館でも、漱石のデスマスクを目の当たりにしてその生々しさに衝撃を受ける来館者は多い。同館スタッフの亀山綾乃さんは「小中学生の来館も多いのですが、亡くなったときに型を取ったんだよと話すとすごくびっくりされます」と話していた。

■コロナ禍の犠牲になった少年

しかし、需要が完全に途絶えたわけではない。千葉市にある国内唯一のデスマスク制作専門会社・工房スカラベには、今も遺族からの依頼が定期的に届いている。2016年の開業以来、代表である権藤俊男さんは関東圏を中心にこれまで50人を超える故人の顔や利き腕から型を取ってきた。

 最も多い依頼は故人の子供や配偶者からのものとなる。90代で亡くなった母の姿を残したいという女性や、開業医だった父のデスマスクを取ってほしいという跡継ぎの男性、若くして病死した夫に側にいてほしいという女性など、依頼の背景は様々だ。

 親からの相談もある。たとえば、2022年の夏に届いた依頼は若い女性からのものだった。8歳になる息子が新型コロナで倒れ、3カ月の闘病の末に帰らぬ人となってしまったのだという。

 権藤さんは「自らネットで検索して依頼される人がほとんどです。クチコミや葬儀社からの紹介といったケースはほぼありません。デスマスクや手形を残すという選択肢に気づいていない人がまだまだ多いのではないかと思いますね」と語る。

 アトリエには、90年以上の人生を歩んだ人の面や、あどけなさの残る少年の手形の試作品が残されていた。いずれも細部を眺めれば眺めるほど生々しさが感じられる。

 ただし、かつてのような故人の顕彰を目的とした依頼は少ないそうだ。大半の依頼者はプライベートな目的で故人の面影をとどめたいと考えているようだ。それを裏付けるように、工房には門下生や部下のような、遺族や親族以外からの依頼はまだ一度も届いていないという。

 「面影を手元に置いておきたい、というより、愛する故人に『そばにいてほしい』というほうがニュアンスが近い気がします。デスマスクや手形にすれば、その人らしさが立体で帰ってきます。そこに価値を求める人が多いのではないかと思いますね」(権藤さん)

 権藤さん自身、母が亡くなって遺骨になった後で「デスマスクを取っておけば良かった」と後悔した経験を持つ。その思いと、若い頃に美術学校とイタリア留学で学んで育んできた彫像の技術、定年まで働いた葬儀社での経験が重なって工房スカラベを立ち上げるに至った。

■石膏像は1カ月で納品

 依頼を受けると、権藤さんは故人が安置された自宅や斎場に向かい、依頼者を含む遺族の前で顔や右手の型を取る。遺族や親族の同意がなければ事を進めない。依頼者には事前に周囲に同意を得ることを求めているが、葬儀の折に急いで駆けつけた親族すべての意向を確認するのは難しい場合もあり、現場でキャンセルされたことも数回あるそうだ。

 また、故人が伝染病を保有している場合も対応しない決まりだ。先のコロナで亡くなった少年のケースでは、ウイルスの影響がなくなっているという医師からのお墨付きがあったため、通常通りに進めることができた。

 型取りにはシリコン樹脂を使う。デスマスクは故人の顔に塗り、30分ほどして固まってきたらガーゼを被せて重ね塗りする。その上に石膏でできたカバーを乗せ、完全に固まれば型ができあがる。ヒゲなどがある場合はクリームで固めたうえでシリコンを被せていくが、完全な再現は難しいところがあるそうだ。

 手形はシリコン樹脂を充填した専用の容器に故人の手を差し込んで型を作るが、その準備に手間をかけることが多い。自宅や斎場に安置されている遺体は、胸の上で手を組んだ状態のまま、上下のドライアイスによって凍っていることが多い。その場合は蒸しタオルでゆっくりと温めて、関節を少しずつ動かしながらほぐしていく。

 そうして取られた型を工房に持ち帰り、石膏を流し込んで完成品を仕上げる。石膏のデスマスクは木箱代と消費税込みで16万5000円、手形はアクリルケース付きで13万2000円となる。納期の目安は1カ月。多くの依頼者はデスマスクと手形をセットで注文するそうだ。

 ブロンズ像に仕上げる場合は、鋳造業者に依頼するため納期が1カ月半~2カ月になる。費用はデスマスクが36万3000円で、手形は33万円だ。

■持て余されるデスマスク

 依頼者の手元に届けられたデスマスクや手形は、今のところはプライベートな空間で大切にされる道を辿っている。そうなると、最近のデスマスクがオープンソースになることはあまりないといえそうだ。

 そして、かつてはオープンソースだったデスマスクも、時間経過とともに公の場から姿を消すことが珍しくない。

 権藤さんのアトリエには、自身の制作物以外のデスマスクも置かれている。自宅の蔵から祖先のデスマスクが見つかり、どうすることもできないから処分してほしいと依頼されたものだ。木箱から丁寧に取り出して語る。

 「昭和17年に取られたものですね。当時の士業会の役員をされていた名士ですが、お孫さんの代になって持て余してしまったそうで。神社で魂抜きをしてもらって、こうして手元に置かせてもらっています」

 故人への憧憬や思慕は子から孫へと引き継がれるとは限らない。夏目漱石のような際立った人物はむしろ例外で、多くは直接交流した人たちがこの世を去ったら、その価値を受け止める人がいなくなる。するとその後に残った“器”は、重さばかりが目立って持て余されてしまう。

 そのあたりの事情は実家に残された墓と似ている。墓が実のところ永遠の存在ではないように、デスマスクもまた時限的な側面がある。それでも、そういう顔の人が存在したという実在性だけは消えることはない。作られたのが100年前でも2000年前でも生々しさを感じさせる。それはとんでもなくすごいことだ。

※参考文献
漱石山房記念館だより 第13号
岡田温司『デスマスク』(岩波新書)

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最終更新:4/1(月) 19:24

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