• トップ
  • ニュース
  • 雑誌・コラム
  • 世界の建築にも影響を与えた日本発「メタボリズム」の正体 西洋建築と日本の歴史を通して見えてくるものとは?

世界の建築にも影響を与えた日本発「メタボリズム」の正体 西洋建築と日本の歴史を通して見えてくるものとは?

5/16 16:02 配信

東洋経済オンライン

「建築」はその国の文化や考え方を表現するものであり、そこで過ごす人々に多大な影響を及ぼすといっても過言ではありません。数々の大学で教鞭をとり、国際コンペの審査員も務める建築家の国広ジョージ氏は「建築という教養を身につけることで人生はより豊かなものになる」と言います。今回は、建築を軸に日本と世界の歴史を振り返ります。
※本稿は国広氏の新著『教養としての西洋建築』より、一部抜粋・再構成のうえお届けします。

■数々の「美」を生み出してきた西洋建築の歴史

 建築にとって何を「美」と考えるかは、時代によってさまざまに変化してきました。その変遷をたどるのが、西洋建築史の中心テーマです。もちろん「用」や「強」を進歩させる素材や技術も次々と変化しますが、その新しい素材や技術が新しい「美」を生み出すきっかけにもなってきました。

 ただし、西洋建築の美意識は「新しさ」だけを求めてきたわけではありません。時代の変遷の中で何度も『建築十書』が書かれたギリシャ・ローマ時代に立ち返るのが、西洋建築史の特徴であり、面白いところでもあります。たとえば15世紀以降の「ルネサンス建築」は、まさにそういうものでした。

 キリスト教の聖書がすべてをコントロールした中世の封建体制の変革を目指した「ルネサンス」は、「再生」「復活」を意味するフランス語。ギリシャ・ローマの古典文化を復興させようとする文化運動です。そのため建築も、ギリシャ・ローマ建築を見直すようになりました。

 そのルネサンス建築は、やがて「バロック」や「ロココ」と呼ばれる華やかな装飾スタイルを生み出しましたが、それが過剰になって飽きられるようになると、よりシンプルな建築が求められるようになります。

 ここでも、参照されたのはギリシャ・ローマの建築。18世紀末には、「新古典主義」と呼ばれる流れが生まれました。その後、建築史に大きな転換をもたらす要因となったのは、産業革命です。

 技術革新によって大量生産が可能になった世界では、何よりもスピードや効率が価値を持つようになりました。そういう社会的な変化を受けて、建築の世界でも装飾が否定され、機能性や合理性を重視する「モダニズム」が生まれます。

■1960年代には行き詰まっていた? モダニズム建築の事実

 建築にあまり詳しくなくても、フランスのル・コルビュジェ(1887-1965)という建築家の名前を見聞きしたことのある人は多いでしょう。彼は、20世紀のモダニズム建築を主導した重要人物のひとりです。

 たとえば、戦後国際建築家チームの一員として設計に参加したニューヨークの国際連合本部ビルや、日本で唯一の作品である東京の国立西洋美術館など、ル・コルビュジェが計画や設計を手がけた建築を見れば、モダニズムの特徴は一目瞭然。

 機能主義と合理主義に徹した、装飾のない幾何学的な「箱」のような建築です。このモダニズムに対しては、美意識の面からさまざまなアンチテーゼが投げかけられました。ヨーロッパに加えて、米国や日本が西洋建築史の表舞台に出てくるのも、この頃からです。

 ちょっと先回りしてお話ししておくと、モダニズム建築は1960年代にはすでに行き詰まっていました。世間的には最先端の新しいビルなどを「近代建築」と呼んだりするので、60年も前に行き詰まっていたと聞くと意外に感じるかもしれません。

 でも建築家にとって、「モダニズム」はとっくの昔に新しい概念ではなくなっています。それに関連して、ここでひとつ、個人的にもちょっと思い入れのある建築を紹介しておきましょう。

 その建築は、モダニズムの名作でありながら、その「終わりの始まり」を告げるものにもなってしまいました。1956年に米国ミズーリ州のセントルイスに建設された「プルーイット・アイゴー」という名の団地です。

 極貧地区のスラムを取り壊して、新たに11階建ての高層住宅33棟を建てたのですが、これはのちに、米国の住宅計画史上最大の失敗と評されることになりました。

 予算削減のためコストを下げて住みやすさを犠牲にしたこともあり(たとえばエレベーターは1階、4階、7階、10 階にだけ停止するシステムでした)、犯罪が増えるなど環境が荒廃して、団地そのものがスラム化してしまったのです。

 入居者も激減したため、プルーイット・アイゴーは1972年に爆破によって解体されました。ある建築評論家は、この団地が爆破された日のことを「モダニズム建築が死んだ日」と述べています。

■「建築界のヒーロー」とも呼べるミノル・ヤマサキ

 このプルーイット・アイゴーを設計したのは、日系アメリカ人のミノル・ヤマサキでした。僕も長く日系アメリカ人として米国で暮らしたので、この建築には個人的な思い入れがあるのです。 

 僕は戦後生まれなので体験していませんが、第2次世界大戦中の米国は、日系人にとって過ごしやすい国ではなかったでしょう。日本軍の真珠湾攻撃を受けた後は、12万人以上の日本人と日系人が自宅から退去させられ、強制収容所に送り込まれました。

 僕も米国では「アメリカ人」として扱ってもらえないなどイヤな思いをしてきましたが、当時はもっと苦しい立場だっただろうと思います。そんな米国で政府や軍の仕事を手がけ、戦後の再開発事業だったプルーイット・アイゴーの設計を託されたミノル・ヤマサキは、僕に言わせれば「建築界の大谷翔平」みたいな存在です。

 その手による名作が悲しい最後を迎えてしまったのは残念でなりません。さらに言っておくと、彼は、もっと世界的に有名な建築も手がけています。そのビルは、プルーイット・アイゴーが解体された翌年、1973年にニューヨークで完成しました。

 しかし重ね重ね残念なことに、その傑作もいまはもう地上に存在しません。2001年9月11日に発生した同時多発テロで、ハイジャックされた旅客機の突入によって倒壊した世界貿易センター(WTC)です。

 あの超高層ツインタワーも、モダニズム建築史に刻まれる独創的な美しさを持っていました。一度ならず二度までも傑作が倒壊の憂き目に遭ってしまったのですから、ミノル・ヤマサキほど「悲劇の建築家」という言葉がふさわしい人はいません。

■モダニズムの打開策として登場した新たな概念

 一方、モダニズムが行き詰まりを迎えた時期に、日本の建築家たちが新しいムーブメントを起こして世界にインパクトを与えたこともありました。1960年に、日本が初めて「世界デザイン会議」の開催国となったときのことです。

 そこで日本は、黒川紀章さんら当時の若手建築家や都市計画家たちが提唱した「メタボリズム」という概念を発表しました。思わずおなかのあたりを気にした中高年読者もいるかもしれませんが、これはべつに、ふっくらした形状の建築を始めようという話ではありません。

 メタボリズムとは、「新陳代謝」のこと。社会の変化や人口の増加などに合わせて有機的に成長する都市や建築を目指す運動です。このメタボリズムを具現化した建築のひとつが、黒川紀章さんの設計による中銀カプセルタワービルでした。

 完成したのは、1972年。ミノル・ヤマサキのプルーイット・アイゴーが解体された年だったのは、単なる偶然なのでしょうが、なんとなく歴史の因縁のようなものを感じたりもします。

 中銀カプセルタワービルは、残念ながら2022年に解体されてしまいました。つまりメタボリズムは西洋建築史の大きな潮流にはならなかったわけです。

■世界的な潮流の先駆けでもあったメタボリズム

 しかしモダニズムが行き詰まりを見せる中で、非西洋の日本から新しい建築運動が生まれたことには、歴史的な意味があったと思います。というのも、1980年代の初頭に、建築の世界では「クリティカル・リージョナリズム(批判的地域主義)」と呼ばれる考え方が生まれました。

 ちょうど、モダニズムに対する反動としての「ポストモダニズム」が盛り上がり、「何でもアリ」の奇抜な建築が次々とつくられていた時期のことです。

 その流れに批判的だった建築史家ケネス・フランプトンをはじめとする人たちが、クリティカル・リージョナリズムを提唱しました。

 これは、文字どおり「地域性」を重視する考え方です。ギリシャ・ローマ建築以来、西洋建築はある意味で普遍的なものとして世界を席巻してきました。

 モダニズムはその究極の様式と言ってもいいでしょう。どこの国や地域であろうと、モダニズム建築は同じような美意識によってつくられます。

 しかしそれでは、行き詰まりを打開できない。そこで、それぞれの地域の歴史、文化、気候風土などを取り入れることで新しい建築を生み出そうというわけです。移り変わる自然との共生を大事にする日本人が志向したメタボリズムは、そういう潮流の先駆けだったといえるかもしれません。

東洋経済オンライン

関連ニュース

最終更新:5/16(木) 23:46

東洋経済オンライン

最近見た銘柄

ヘッドラインニュース

マーケット指標

株式ランキング