「道長や皇子を呪う」恐ろしすぎる事件の“黒幕” 内裏で呪いの札が見つかる、犯人は一体誰か

5/25 6:32 配信

東洋経済オンライン

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は道長や娘の彰子、その子供の敦成親王(後の後一条天皇)が呪われた、ある事件を紹介します。
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 1008年は、藤原道長にとって、人生でいちばん幸せだった年かもしれません。その年の9月に娘の彰子が、待望の一条天皇の皇子(敦成親王。後の後一条天皇)を出産したからです。

 しかし、翌年早々、道長を震え上がらせる事件が起こります。中宮・彰子と生まれたばかりの敦成親王、そして何と道長までをも呪う厭符(呪いのお札)が発見されたのです。

■誰が道長や中宮、皇子を呪ったのか

 厭符は内裏で見つかったと言われています。道長の邸を訪れた藤原行成は、その厭符を見せられたようです。一体、誰が道長たちを呪ったのでしょうか。

 呪ったと疑われた僧侶や陰陽師らは拷問され、犯人探しが始まります。その結果、源為文・源方理夫妻・高階光子(佐伯公行の妻)が犯人として浮かび上がってきました。彼・彼女らが僧侶の円能と話し合い、呪ったというのです。

 彼らの関係性を整理すると、源方理の妻は、源為文の娘でした。そして、高階光子の父は高階成忠、姉には高階貴子がいました。

 重要な点は、この貴子の夫が、藤原道隆(道長の兄)だったことです。貴子は、道隆の子女(伊周・隆家・定子)を産みました。

 定子は一条天皇の中宮となったため、外祖父である高階成忠の地位も上昇、従二位まで出世します。

 しかし、道隆は病没し、その子・伊周と隆家は、道長との政争に敗れ、没落。定子も1001年に亡くなってしまいます。道隆を祖とする関白家の衰退に、高階成忠や娘・貴子も心を痛めたことでしょう。

 ちなみに、高階成忠の動向を『栄花物語』から見ていくと興味深いことが判明します。

 娘の夫の関白・藤原道隆が飲水の病(糖尿病)となり、衰弱していたとき、出家していた成忠は「いろいろと心配して、祈祷を行っていた」そうです。北の方、つまり貴子も、あらゆる手を尽くしたとのこと。夫の病が平癒するよう、僧侶に祈祷を依頼することもあったのでしょう。

 ところが、祈りの甲斐なく、道隆は死去。道隆の葬送が行われますが、高階成忠はそれにも加わらずに、あることを行っていました。高僧たちを集めて、道隆の子・伊周の執政が続くことをひたすら祈らせていたのです。

 他人に祈らせるだけでなく、自らも、額に手を当てて、昼夜、祈祷したとのこと。しかしその甲斐もなく、伊周の執政が続くことはありませんでした。ほどなく、道隆の弟の藤原道兼が関白となったからです。

■伊周は「祈祷を怠るな」と命じる

 伊周はその直前、権力が手中からこぼれ落ちるのを避けるためなのか、高階成忠に「祈祷を怠るな」と命じていました。命を受けて、高階成忠はまたもや祈祷を行います。しかし、祈りが届くことはなかったのです。高階成忠は「何事も天命」と言っていますが、この結果をどう受け止めたのでしょうか。

 さて、関白に就任した道兼ですが、病にかかり、すぐに亡くなってしまいます。病で亡くなったのですが、伊周は、高階成忠にまたもや祈祷を行わせていたようです。

 これまで高階成忠が行っていたのは、道隆の病気平癒や伊周の執政継続など、いわば前向き(積極的)な祈祷でした。ところが、今回は道兼の死を望む呪詛を行っていたのでした。その後、高階成忠は出世していく道長の権力失墜を願う呪詛も行っていたようですが、失敗に終わります。

 995年には、道長を呪うため、高階成忠が邸に法師と陰陽師を呼んでいたことが発覚します。

 道長呪詛は、伊周が命じたものだったようです。成忠による一連の祈祷が行われる以前、『栄花物語』は成忠のことを「年老いてはいるが、才学は深い。しかし、性質はひねくれていた」と記しています。高階成忠の異様さが際立ちますが、そんな高階成忠も長徳4(998)年に没します。

 そして、1009年の高階氏関係者による中宮・彰子、道長の呪詛事件に話は戻ります(ちなみに、その頃には、道隆の妻・貴子も亡くなっていました)。

 呪詛を担当した僧侶・円能は、中宮やその子、道長の存在が藤原伊周の立場を貶めるので、亡き者にしようとして、呪ったといいます。

 円能は、厭符1枚を高階光子(高階成忠の娘)に、もう1枚を源方理の邸に届けたようです(呪詛を担当した者には、褒美が与えられました)。高階成忠のこれまでの動きを見ていると、呪詛を命じた張本人は、その娘の光子だったように思います。ちなみに『栄花物語』にも、この呪詛事件のことが記されています。

 道長は、高階成忠の息子・高階明順(伊周の叔父)が指図したと疑ったようです。高階明順を召した道長は次のように諭したといいます。

 「このような悪意は決して持ってはならん。若宮(後の後一条天皇)は幼いが、因縁によってこの世にお生まれになった。普通の子でさえ、そのようなことでは死なないのに、ましてや、並々ならない果報により、皇子として誕生された若宮。その若宮が人の呪詛などに負けるはずがあるだろうか。お前たちが、このようなこと(呪詛)を行うならば、天罰がたちどころに降るであろう。よって、私がその罪を問うことはあるまい」と。

 権力者の余裕というものを感じることができますが、高階明順は恐れ入って、何も言葉を発することはできなかったようです。

■関与した人達は処罰、伊周もこの世を去る

 そして、その数日後に突然、高階明順はこの世を去ったと同書には記されています。高階明順がこの事件に関与していたかはわかりませんが、高階光子と源方理は官位を剥奪され、円能は禁獄に処されます。

 直接関与していなかった伊周ですが、朝廷への参上停止となります(3カ月後には許されました)。伊周は翌年(1010年)1月、37歳の生涯を閉じます。「人を呪わば穴二つ」(人を陥れようとすると、自分も同じ仕打ちに遭う)とはよく言ったものです。

 (主要参考・引用文献一覧)
・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・深澤瞳「『栄花物語』の高階成忠の「祈り」考--道兼・道長への呪詛」(『大妻国文』37号、 大妻女子大学国文学会、2006年)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・繁田信一『殴り合う貴族たち』(KADOKAWA、2008)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)

・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

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最終更新:5/25(土) 6:32

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