皆が結婚する「皆婚」社会が崩れ、未婚や離婚の割合が日本では増加中だ。その背景には「未婚・離婚=不幸せ」という固定観念の変化があるという。※本稿は、『パラサイト難婚社会』(朝日新書、朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
● 現代の若者の結婚生活を 羨ましがる団塊世代の親たち
日本で離婚が増えてきた背景には、以下のような要因があります。
1.皆が結婚する「皆婚」社会が常態化しなくなったこと。
2.「結婚すれば幸せ」「未婚や離婚は不幸せ」というセオリーが崩れ、「多様な幸せの形」を人々が意識するようになったこと。
3.生き方の多様化で、従来の「男女分業型結婚(生活)」が崩れたこと。
本稿では2を見てみましょう。まずは「結婚=幸せ」「未婚・離婚=不幸せ」という固定観念が崩れてきたことです。
私のもとに寄せられる相談に、最近多いものがあります。「娘(息子)の結婚(生活)の様子を見て、私の何十年にも及ぶ結婚生活は何だったのか悩むようになった」という類のものです。
主に高度経済成長期に青春を送り、「皆婚」社会時代に結婚して子育てをしてきた世代が、自分の時代とは異なる我が子の結婚生活の様子を見るにつけショックを受け、自分の来し方を振り返っているというものです。
彼ら、彼女らにはある定型の「結婚」「家庭」のロールモデルがありました。総じて社会全体が豊かになっていく時代を経験できたのだから、バブル崩壊後の経済不況にあえぐ若い世代にしてみれば「羨ましい」と単純に思うでしょうが、逆に彼ら団塊世代からすれば、現代の若者の結婚生活の方が「羨ましい」と思う部分もあるようです。
「結婚すれば(子を持てば)幸せになれる」
「生涯未婚なのは気の毒だ」
「離婚はみじめなことだ」
非常にシンプルに言えば、団塊の世代はこのような定型化された価値観を抱いています。だから我が子にも「早く結婚してもらいたい」し、「離婚せずに円満に夫婦生活を営んでほしい」と思っている。
ところが、その願いが子どもたち世代には通用しないことにやきもきしているのです。だからこそ、彼らはたくさんの相談事を、新聞やネットの相談コーナーに寄せてきます。
「娘(や息子)がいつまでも結婚しないで心配している」「我が子がずっと独身のままで、親である自分が婚活を急かすが、その気にならない」「娘が子連れ離婚をして戻ってきた。元夫は大企業勤めなのにもったいない」などなど(読売新聞朝刊2021年11月21日付)。
● 離婚の考え方も20年前から変化 薄れるダークなイメージ
当初は、自由奔放すぎる我が子の人生の歩みに、ハラハラ心配してきた親世代。彼らは同時に、「もしかしたら、自分ももっと自由に人生を選ぶことができたのではないか」と子どもを見ながら思い始めているのかもしれません。
昔の「離婚」は件数も少ない代わりに、有責が多いのが特徴でした。つまり、「性格の不一致」とか「話が合わない」くらいでは「離婚」などするものではなかったのです。
「妻が不倫をした」「夫が長年愛人と暮らして家に帰ってこない」など、明らかな理由があるからこそそうした結論に至るわけで、常にダークなイメージが「離婚」には付きまとっていました。
ところが20年くらい前から、「離婚」の概念が変わってきたように思います。15年ほど前に離婚者のインタビュー調査をした時に、印象的かつ非常に多かったのが、「こんな人だと最初からわかっていれば、結婚しなかった」という声でした。
今では典型的ともいえるこの離婚理由は、しかし30年以上前には、「そんなことで離婚はできない(すべきではない)」と人々が考えていた類のものです。
おそらく団塊の世代でも、結婚してみたら「こんな人とは思わなかった!」というケースは膨大にあったでしょう。それでも彼らは生活や子どものためにと我慢をし、ある程度「結婚とはそういうもの」と自身を納得させて、自らの思いを呑み込んで生きてきたことでしょう。
しかしながら、子どもたちの世代になると、それが立派な離婚理由として成り立ち、互いに愕然としているようなのです。
2000年以降は、「イクメン」という言葉も登場しました。実態としてどのくらいの男性が主体的に家事育児に参加しているかはさておき、意識の上では「男性(夫)も育児に参加すべきもの・家事の手伝いをするもの」と考える人が増え、ベビーカーを押す父親や、抱っこひもで散歩する男性の姿を街中で目にする機会も増えました。
家事育児に積極的に参加し、夫婦が仲良く対等に過ごしている姿を見て、「自分の結婚(生活)は間違っていたのかもしれない」と感じるようになった人は少なくないかもしれません。
実際のところ、「子育てはお前(妻)の役割」「イエを守るのはお前の仕事」と一切協力してこなかった男性(夫)への長年の不満が蓄積され、「夫が寝たきりになったら、今度こそ復讐の時です」「夫が定年退職になるタイミングで離婚を切り出すのが、今の唯一の楽しみです」と語る相談者たちがいる、というのが事実です。
● 「できちゃった婚」から「授かり婚」へ 人々の意識が変わる背景とは
「世間体」を重視する日本社会において、何よりも分岐点になるのは「量」です。
人数、割合、数の多さこそが、社会全体の「価値観」を変えていく力を持つのです。その最たる例の一つが、「できちゃった婚」かもしれません。
今から30年ほど前に、「できちゃった婚」という言葉が誕生し、その数が急増していきました。いわゆる「妊娠先行型結婚」(家族社会学者の永田夏来さんの命名)ですが、では、それまでは何と呼んでいたか。
以前は名前も付かない圧倒的少数派として、世間から黙殺され、泣く泣く中絶する人も多かったはずです。結婚前の同棲や婚前旅行、婚前交渉などは言語道断、断行すれば「ふしだら」と烙印を押される社会では、周囲に事例がないからこそ隠すべきこと、忌むべきことだったのです。
しかし、経済が不安定になり、「結婚」に踏み切る若者が減少していく中で、「できちゃった婚」は増えていきました。
何かしらの後押しがないと「結婚」に踏み切れないカップルが増える中で、「妊娠」という事実を好意的に受け止めるようになったことは、少子化に悩む日本、特に結婚件数低下に悩むブライダル業界にとっては僥倖でした。
その後、「できちゃった」というどこか失敗をほのめかす表現から、「授かり婚」という祝福感溢れる表現にブライダル業界が名称を変えたことで、妊娠先行型結婚は認知され、一般化していきます。
少し古いですが、2004年の国の調査では、妊娠先行型結婚は第一子のうち26.7%を占めています。要するに、結婚の約4分の1ができちゃった婚であったと推定できます。
沖縄県に限ると、約47%の第一子ができちゃった婚によるもので、これが沖縄県の出生率が日本一である理由であるとも言えるのです。
数が増えることで、人々の意識が変わる。世代の常識が変わることで、世の中の行動が変わる。「普通の人生」や「生き方の正解」という定型マインドが崩れていく中で、「離婚=不幸せ」「結婚=幸せ」という常識も変わっていったということです。
ダイヤモンド・オンライン
最終更新:4/23(火) 14:02
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