いじめや性加害など「悪事」が見過ごされる現実 群衆は悪事を止めるために何もしようとしない

4/1 13:02 配信

東洋経済オンライン

いつの時代も企業や個人の不正、ハラスメント、いじめ、性加害の問題に関するニュースは後を絶たない。その原因を探ったところにあるのは、たった数人の「悪人」ではなく、沈黙する大多数の「善人」であると言ったら驚くでしょうか。
「社会規範」にまつわる先駆的研究で全米トップ300の教授の一人にも選出された心理学者キャサリン・A・サンダーソンは、著書『悪事の心理学』を、息子の寮の新入生が飲酒中に転倒して20時間後に死亡したことをきっかけに執筆しました。

この不幸な出来事では20時間もの間、誰一人として救急に電話することはありませんでした。それはなぜなのでしょうか。
心理学・神経科学をもとに、悪事が起こるメカニズムを「傍観者」に着目して解説します(本記事は同書から一部を抜粋、再編集したものです)。

■悪事は悪人の仕業か? 

 2012年8月11日、当時16歳の女子が、米国のオハイオ州スチューベンビルで地元高校の生徒とのパーティーに参加しました。

 そこには、同校のフットボールチームのメンバーが含まれていました。彼女はお酒を大量に飲んでひどく酔っ払い、嘔吐しました。そのパーティーに参加していた生徒たちは、彼女が泥酔している様子だったと述べています。

 翌朝、彼女は、地下のリビングルームで裸の状態で目覚めました。男子3人に囲まれていましたが、前夜の記憶はほとんどありません。

 数日後、パーティーに参加していた数人の生徒が、その女子に何が起きたのかを鮮明に描写した写真や動画をソーシャルメディアに投稿しました。

 女子は、服を脱がされて性的暴行を受けており、2013年3月には、スチューベンビル高校のフットボール選手だったトレント・メイズとマリック・リッチモンドの2人がレイプで有罪になりました。

 このようなできごとを聞くと、私たちの多くは、これらの悪事は悪人の仕業だと決めてかかってしまいます。

 確かに、意識のない10代の女子に性的暴行を加えるのは悪人だけです。悪人が悪事を働くというこの信念は、安心感や心地よさを与えます。

 ところが、残念ながら、この考えは間違っているのです。

 パレスチナのテロリストを長年研究してきたナスラ・ハッサンは「驚くべきは、自爆テロの実行犯の異常性ではなく、そのあまりの正常性についてです」と述べています。

 また、スー・クレボルドは次の言葉を残しています。

 彼女の息子ディランは、1999年に同級生のエリック・ハリスとともに、コロラド州のコロンバイン高校で十数人を殺害しました(訳注:コロンバイン高校銃乱射事件)。

 彼女は「人々は身近に邪悪な存在がいたとしても、それは自分たちで認識できると信じ込まなければいけませんでした。ディランは怪物だったという考え方は、その際に重大な目的を果たしたのです」と述べています。

 なぜ私たちは、「悪人が悪事を働く」と決めてかかってしまうのでしょう? 

 それは、私たちが知る善良な人々、例えば、友人や家族、そして自分自身が、そんな悪いことをするはずがない、という信念が私たちに安心を与えてくれるからです。

 ところが、学校の運動場での弱いものいじめ、大学のフラタニティ(fraternity:男子学生社交クラブ)での新入生いじめ、職場でのセクハラなど、善人が悪事を働くことはあり得ますし、実際に行われてもいます。

 悪事を止めるということは、単純に怪物を特定してその行為を止めさせればよいというものではありません。

 善人が間違った選択をする要因を特定して、悪事の発生を防ぐ、あるいは少なくともその可能性を減らすことが不可欠なのです。

■助けようとした人は一人もいなかった

 冒頭で述べた、2人の男子高校生による10代の少女への性的暴行事について全貌を説明します。

 あの夜に悪事に加担したのは、有罪が確定した2人の生徒だけではありませんでした。別の2人の生徒が、完全に抵抗できないようにするために少女の手首と足首を掴んでいました。

 そして数人の生徒は、全裸で意識を失っている彼女の様子を撮影し、その画像を他の生徒と共有して、ツイッター、フェイスブック、ユーチューブに投稿していました。

 暴行を止めようと介入したり、危険な状況から彼女を遠ざけたり、通報して彼女を助けようとした生徒は一人もいませんでした。

 少女をレイプした2人の生徒が恐ろしいことをしたのは間違いありません。しかし、他の多くの生徒たちが何らかの形で介入する力を持ちながら、それを選ばなかったことも明らかです。

 ある程度ではありますが、彼らの不作為がこの事件を許してしまったのです。

 残念ながら、何が起きているのかが明確にわかる状況だったとしても、行動を抑制するプレッシャーを克服できる人はほとんどいないことが示されています。

 リンチに関する本の著者であるシェリリン・イフィルは、米国のアフリカ系米国人に対するリンチがしばしば公共の場で実施されていたこと、何百人、時には何千人もの人々がそれを見守っていたことを明らかにしました。

 観察者全員がそのイベントを祝福していたわけではありません。そこには怖がっていた人もいたはずですが、介入しようとした人はほとんどいませんでした。

■悲劇は「善人の沈黙」にある

 2017年2月4日、ペンシルベニア州立大学2年生の19歳のティモシー・ピアッツァは、所属するフラタニティの新入生いじめの儀式の一環として82分間で18杯のお酒を飲まされました。

 午後11時頃、彼は階段から真っ逆さまに転落しました。

 ティモシーは意識不明で、腹部の大きなあざなど重傷を負った形跡が認められたことから、フラタニティの多くのメンバーは彼の体調が非常に悪いことに気づいていました。

 しかし、誰かが救急に連絡したのは、彼が転落してから12時間以上も経過した後でした。

 ティモシーはようやく病院にたどり着いたのですが、脾臓の裂傷や重度の腹部出血、脳の損傷が見つかり、翌日、彼は亡くなりました。

 どうして多くの人々は通報しようとしなかったのでしょうか? 

 少数の悪事が多くの人々に無視されたり見過ごされたりする例は、昔も今もよく認められます。

 なぜ多くの共和党の指導者たちは、メキシコ人を「強姦魔」や「殺人鬼」呼ばわりするトランプ大統領の攻撃的な発言を無視するのでしょうか?  

 なぜカトリック教会は、子どもたちを虐待していた神父を守ることを選んだのでしょうか? 

 ミシガン州立大学のコーチや管理職、米国体操協会の関係者に至るまで、なぜ多くの人々はラリー・ナサール(訳注:米国女子体操界で起きた性的虐待事件の犯人)による若い体操選手への性的暴行を示唆する情報に、長年対処しなかったのでしょうか? 

 これらすべての例において、悪事を働いたのは少数の人間でしたが、他の多くの人たちは、その悪事を止めるために何もしようとはしませんでした。

 悪事の継続を許す唯一最大の要因は、腐ったリンゴとも称される個々の悪人よりも、善良な人々が立ち上がって正しい行いをしないことにあります。

 マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(訳注:キング牧師のこと)は、1959年の演説で「この変革の時代における最大の悲劇は、悪人の執拗な暴言ではなく善人の沈黙であったことを、歴史は記録しなければならないだろう」と述べており、この傾向について指摘しています。

■なぜ行動を起こせないのか

 しかし、心強いニュースがあります。

 私たちのような善良な人々が沈黙して何もしなくなる要因を理解することで、立ち上がって行動を起こすために必要なツールを提供することができます。

 私たちは悪事に気づきつつも責任を感じることはなく、他人が代わりに何かをしてくれることを望んでいるのかもしれません。

 あるいは、曖昧なできごとを悪事として解釈しにくい可能性があります。

 介入することには身体的にも社会的にもコストがかかりすぎると考えているのかもしれません。

 おそらく最も重要なポイントは、自分が所属する社会集団のメンバーに立ち向かうことで、個人的、職業的、社会的に生まれる結果を恐れることにあると思います。

 しかし、あなたが何をすべきかを知っていれば、これらの力の一つひとつを克服することはできるのです。

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最終更新:4/1(月) 13:02

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