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「死ぬ前に、どうしても一度、故郷に帰りたい」 半身マヒの91歳男性、最期の墓参りの”結末”と、そこで見せた“笑顔”

3/7 12:02 配信

東洋経済オンライン

ツアーナース(旅行看護師)と呼ばれる看護師たちの存在をご存じでしょうか? 
「最期の旅行を楽しみたい」「病気の母を、近くに呼び寄せたい」など、さまざまな依頼を受け、旅行や移動に付き添うのがその仕事です。
連載第4回は、脳梗塞の後遺症で半身マヒを抱えながら、東京都中野区にある特別養護老人ホームから、妻が眠る岐阜まで墓参りに向かった91歳の男性のエピソードをお送りします(本記事は「日本ツアーナースセンター」の協力を得て制作しています)。

 前の晩から降り始めた雨は、日付がかわるとさらに激しさを増した。91歳の奥田源三さん(仮名)は、車の中から降りしきる大粒の雨を見つめていた。

 「ここまで、来ることができたから、良しとします」

 脳梗塞の後遺症で、口元にわずかにマヒの残る奥田さんは、途切れがちにそう言った。しかし言葉とは裏腹、表情には無念の影が浮かんでいた。

■奥田さんのこれまでの人生

 東京都中野区にお住まいの奥田源三さんは、10年前に奥さんと死に別れた。子供はいない。

 現在91歳の奥田さんは、80代の後半まで自宅で一人暮らしだったが、脳梗塞で倒れてからは、右半身マヒの後遺症が残り、一人暮らしが難しくなった。2年程前から、軽い認知症の症状が出てきたこともあり、同区内の特別養護老人ホーム(特養)に暮らすようになった。

 岐阜県出身の奥田さんは、東京に親戚はいない。親交のあった友人たちも皆亡くなったり、病気が悪化したりで会うこともできなくなった。今いる特養を終の住処とし、余生を送ることに不満はなかった。ただ、ひとつだけどうしてもやっておきたいことがあった。

 「生きているうちに、妻が眠る岐阜のお墓に参っておきたい……」

 納骨から10年が過ぎた。会いに行ってやらなければ、と思いながら、日常の雑事に追われ、先延ばしになっていたのだった。

 脳梗塞の後遺症から、半身にマヒが残った奥田さんは、ひとりで遠出することができなくなった。それでも、墓参りのことをいつも考えていた。

 家族のいない奥田さんの財産を管理しているのは成年後見人の契約を結んだ司法書士の上山浩司さんだ。定期的な面会のたびに、奥田さんは上山さんに「体がこうなる前に妻の墓参りをしておくべきだった」とこぼした。

 上山さんとしては、その要望に応えたいとは思うものの、彼は契約者である奥田さんの財産を守る立場の人間だ。少なくないであろう旅費をかけてまで、奥田さんを岐阜まで連れて行くのが果たして正しいのか、上山さんは悩んでいた。

 そんなおり、契約している不動産会社から東京都中野区にある奥田さんの自宅が売れたという知らせが入った。おかげで奥田さんにまとまったお金が入った。この一部を使えば、岐阜旅行も不可能ではない。

 上山さんがそのことを話すと、それまで沈みがちだった奥田さんの表情がぱっと明るくなった。

 「死ぬ前に、どうしても一度、故郷に帰りたい。そして長年気になっているお墓の様子を見たい。他人から見たら小さな願いかもしれないけど、私にとってはとても大きな願いなんです」

 この言葉が1泊2日の墓参りツアーの開催を決定させたのだった。

 そして、「日本ツアーナースセンター」のもとへと、依頼が舞い込んだ。

■選ばれたのは、元・自衛官看護師

 奥田さんの墓参りツアーを担当することになったのが、日本ツアーナースセンターに登録する佐々木昭看護師(61)。

 彼の経歴は少し変わっている。54歳まで、海上自衛隊で、自衛官看護師として活動していたのだ。

 高校卒業後、自衛隊横須賀病院准看護学院に入校した佐々木看護師は、22歳から自衛官准看護師として、定年までを勤め上げた。55歳になった6年前には、神奈川県の介護施設に再就職し、看護部門の主任として活動した。

 そして、還暦を迎えた2022年、ツアーナースの仕事を始めたのだった。

 自衛隊にいた頃は災害地や海外の紛争地への派遣もたびたび経験した。派遣された現場では、想定外のトラブルが発生することもある。動じることなく、状況に合わせ、最大限対処する。それが自衛官看護師の任務だ。また、医療職とはいえ、自衛隊では日々の体力錬成が推奨される。時間を見つけてはランニングなどの運動に励んだ。

 佐々木看護師は、体力と職務遂行力には自信があった。

■移動手段は、改造を施した「福祉タクシー」

 2023年の10月某日。東京から岐阜まで、1泊2日の旅に佐々木看護師は同行していた。移動手段は9人乗りのバンを改造した福祉タクシーだ。足の不自由な奥田さんは、車いすでの生活だ。タクシーに車いすごと乗せての旅である。

 その日は、生憎の雨となった。

 岐阜駅の近くで1泊し、朝一番で目的地の墓地へ向かった。メンバーはツアー利用者の奥田さんと、今回のツアーの手配をした司法書士の上山浩司さん。奥田さんの甥っ子、奥田大介(仮名)さんと、ドライバーの飯田(仮名)さん、それにツアーナースの佐々木看護師だ。

 「この5人で、できるだけのことをやろう」

 坂の多い市営墓地の、小高い丘の上に奥田家の墓はあった。ぎりぎりまで車を乗り入れても、直線で30メートルほどの距離がある。雨の中、佐々木看護師は先見隊として、墓の様子を偵察した。

 広大な墓地内の道路にはアスファルトが敷設されているが、実際に墓石が建つ場所にはアスファルトはなく、土がむき出しになっている。よくて砂利敷きだ。雨のため、至る所に水たまりができており、足を取られそうな泥場も多い。また、通路は狭く、墓石が林立しているので、迷路のようなありさまだ。

 見上げながら、奥田さんは言った。

 「ここまで、来ることができたから、良しとします」

 脳梗塞の後遺症で、口元にわずかにマヒの残る奥田さんは、途切れがちにそう言った。しかし言葉とは裏腹、表情には無念の影が浮かんでいた。

 「そんな事おっしゃらずに、せっかくここまできたんだから、なんとかお墓参りをしましょう」

 当然、佐々木看護師は、そう返した。しかし、奥田さんは小さく首を振った。

 「これ以上、佐々木さんにご迷惑は、かけられません」

 その言葉を聞いた瞬間、佐々木看護師の心に火がついた。

 「大丈夫です。患者様の旅の目的をかなえるのが、私たちツアーナースの任務ですから」

 佐々木看護師はいったん車に戻り、次のように提案した。

 「私と飯田さん(ドライバー)で両側から車いすを抱えましょう。奥田さんは健側(不自由ではない側)の左手でタオルを持って、体が濡れないように工夫してください。大介さん(甥っ子)は前方から、上山さん(司法書士)は後方から傘を差してください。私は濡れても構わないので、なるべく奥田さんに雨がかからないようにしてください」

 的確で無駄のない指示だった。

■線香だけは雨で濡れてしまわないように

 介護タクシーのリアハッチを開け、スロープを降ろして、車いすを降車させる。跳ね上げたリアハッチが傘の代わりとなってくれるが、横からの雨は防げない。上山さんと大介さんが傘を差し掛けて、なんとか雨を防ぐ。

 車いすを降ろし、佐々木看護師と飯田さんの2人で両側から抱え上げ、溝を乗り越えて、墓地に足を踏み入れた。

 車いすを揺らしすぎると乗っている奥田さんの体調にも悪影響が出る。佐々木看護師は、飯田さんと息を合わせながら慎重に歩みを進めた。

 途中、何度か泥に足を取られそうになったが、奥田家の墓前まで、無事車いすを移動させることができた。

■奥田さんが見せた笑顔

 佐々木看護師は、奥田さんの左手に線香の束を握らせ、ライターで火をつけた。その頃には全員が濡れても構わない、という気分になっていた。線香が雨に濡れないように、それぞれが傘を差し掛け、奥田さんの手元を見つめた。

 「ありがとう、これで思い残すことなく、東京に帰れます」

お参りを済ませた奥田さんは、にっこりと笑ってそう言った。(後編に続きます)

東洋経済オンライン

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最終更新:3/7(木) 12:02

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