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トヨタカローラに日産サニー…「中古車輸出ビジネス」のキーマンが埼玉にいた!在日パキスタン人2万人を束ねる「アニキ」の意外な素顔

5/1 11:17 配信

マネー現代

(文 週刊現代) 日本の中古車が世界で人気、と聞いても驚かないだろうが、その輸出を担う業者の大半がパキスタン人であることを知る人は少ないだろう。いつから? なぜ? キーマンが語る「日本の裏面史」――。

中古車輸出市場を支えるキーマン

 「やあ、よく来てくれましたね。私の話を通じて母国の新しい一面を知ってくれたら嬉しく思いますよ」

 日本の中古車業界がビッグモーター事件で揺れるなか、中古車市場に関する驚くべきデータが発表された。日本中古車輸出業協同組合の統計によると、'23年の中古車輸出台数が前年比24%増の154万台に達し、過去最高を記録したというのだ。

 不景気に見舞われるこの国で、圧倒的な伸長を見せる中古車輸出市場。驚くことに、その事業の大半は日本人ではなく、パキスタン人が担っているという。

 「日本の中古車市場もパキスタン人の手によって回っている面があります。彼らは世界中に車を輸出しているので、いろいろなクルマを扱えるのが強み。資金面では太刀打ちできません」(埼玉県の中古車業者)

 本誌は埼玉県戸田市に、中古車輸出業を支えるパキスタン人のキーマンがいると聞き、現地へと向かった。

73歳のビッグボス

 JR戸田公園駅から20分ほど歩くと辿り着く3階建ての建物。もともとは製本工場だったというこの建物は現在、近隣のイスラム教徒が祈りを捧げるためのモスクに改修されている。

 そこに足を踏み入れると、冒頭のように流暢な日本語が聞こえてきた。記者を歓迎してくれたのは、73歳のライース・スィディキさん。来日50年を迎え、在日パキスタン協会の会長を務めるこの人物こそ、「日本の中古車輸出業のビッグボス」だ。

 「ビッグボス!? そんな大げさな肩書はやめてください。仲間は私のことを『ライース・バイ』と呼びます。バイはブラザーの意味です」

 では、親しみを込めて「ライース・アニキ」と呼ばせていただきます。そう伝えると、ライースさんは笑いながら、在日パキスタン人と中古車の歴史を語り始めた。

 「日本人は知らないと思いますが、日本から海外に中古車を輸出している業者の大半が、パキスタン人の業者なんです。

 この国にいるパキスタン人は約2万人。そのうち8割以上が中古車ビジネスに関わっています。いまやパキスタン人がいなければ日本の中古車輸出業は成り立たないのですが、それを始めたのが私なんですよ」

カーン博士の弟子

 ライースさんが来日したのは'73年のこと。鉄鋼学を学ぶため、技術研修生としてパキスタンからやってきた。

 「私の故郷は南部の都市ハイデラバード。パキスタン経済の中心地であり、最大の港があるカラチの近くです。父はビジネスマン。おじもビジネスマン。祖父はイスラムの学者でしたが、一族はみんなビジネスをしていました。

 大学で工学について研究していた私は、22歳のときに日本にやってきました。核開発で話題になったカーン博士を覚えていますか? 私は、博士の弟子なんですよ。当時、様々な技術を学ぶために30名のパキスタン人が日本へ送られましたが、私もそのひとりでした」

 国の研修生として来日したライースさんが中古車ビジネスを始めたきっかけは偶然だった。

 「1年ほど日本で鉄鋼の技術を学んだあと、母国でその技術を教えるために帰国することになったんですが、その際、貿易関係の仕事を営む父の友人から『帰国するなら、日本車を買って帰ってきてくれ。日本車はいま大人気で、高く売れるんだ』と連絡がありました。

 それで、トヨタカローラを3台持って帰ったら、一台につき1700ドル儲かったんですよ。これはすごく大きな商売になると思いました」

中古の日産サニー4台

 当時、パキスタンでは安くて性能の良い日本車が評判になり始めていた。

 「帰国の際、持ち帰ったのは新車でした。でも、新車よりも中古車の方が安くて需要があるとわかりました。パキスタンでビジネスを営む家族も協力してくれるというので、本腰を入れて中古車ビジネスをやろうと、再来日して東京の江東区で会社を設立したんです。

 最初は日産サニーの中古車を4台、カラチへ送りましたが、現地では『俺も日本車が欲しい』とすぐ評判になりました。

 次は10台仕入れたんですが、やはり一瞬で捌けた。そこで次は35台、次は70台……と飛ぶように売れ、一気に数百台を扱うようになりました」

 パキスタン人がどのようにして日本の中古車市場の覇権を握ったのか。すべては1970年代に研修生として来日したひとりのパキスタン人から始まった――。

 後編記事『ランクル、プリウス…廃車寸前の中古車を修理して海外へ輸出! 在日パキスタン界の「アニキ」がはじめて明かす、日本人が知らない「日本製品の魅力」』では引き続き、ライースさんの回顧を紹介しています。

マネー現代

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最終更新:5/1(水) 11:17

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