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「伝説の農家」の極上野菜を、ミシュラン“3つ星シェフ”が食べた驚きの感想 「普通」や「当たり前」が、どこにもない?79歳「浅野悦男」の野菜は、いったい“何が違う”のか

3/23 12:02 配信

東洋経済オンライン

独自の知見と技術で、名だたるシェフをうならせる野菜を作る「伝説の農家」がいる。浅野悦男、79歳。自称「百姓」。年間100種類以上の野菜を出荷している。
生産者と料理人が直接つながる道を拓いた浅野は、2023年、フランスのレストランガイド「ゴ・エ・ミヨ」で「テロワール賞」を受賞。
単なる食材の提供ではなく、「料理人に武器を与えてくれる」と、シェフたちは浅野を慕う。外国からやってくる名シェフたちも、こぞって浅野の農場を訪れる。

いったい浅野が作る野菜は「どんな味」なのか? 『Farm to Table シェフが愛する百姓・浅野悦男の365日』を上梓したジャーナリストの成見智子氏が、「伝説の農家」の野菜作りを紹介する。

■79歳、トレードマークは迷彩柄と髑髏

 あるときは、迷彩柄のベストにはき古したデニム、黒いベレー帽。またあるときは、アーティスト系のTシャツにカーゴパンツ。胸元には、鋭く尖った鹿角アクセサリー、ウエストには髑髏を象ったバックルが光る。

 浅野悦男、79歳。小柄だが、精悍でがっしりとした体躯を持つ。

 土の上に立っているだけで、その鋼のような肉体から底知れぬエネルギーが伝わってくる。

 千葉県八街市で「シェフズガーデン エコファーム・アサノ」を営む浅野は、飲食店向けに年間100品目以上の野菜やハーブ、草花を出荷。飲食業界ではよく知られた存在だ。

 2.5haの畑を縦横無尽に歩き回る浅野は、その場で野菜やハーブを枝からポキッと折り取り、土の中から根菜をすっと引き抜き、収穫した花の蕾をナイフで器用に切り取って差し出す。

 手のひらの上の草花や実は、初めて見るような色かたちをしていたり、見たことはあっても、食べようと思ったことがないものが多い。

 たとえば大根とカブの畑には、大きさも、形も、色も違うものが時期によっては10品種以上育っている。赤、白、黄、緑、朱色。真っ黒なものもある。

 それぞれの品種に、贔屓のシェフがいるのだ。それにしても、なぜこれほどの数が必要なのか。「皿の上のことを考えたら、こうなるよ」と浅野は答える。

 「生、煮る、蒸す、焼く。調理法によって、適した品種が全部違うからね」

■「普通」や「当たり前」が、どこにもない

 春先に農場を訪れたときのことだ。浅野は、通路の脇でおとなしそうに咲いている小さな黄色い花を摘み取ってくれた。

 口に入れた瞬間、直径3mmにも満たない花弁1枚1枚から放たれる野性味あふれる香りと辛みが、鼻腔をすうっと抜けていく。ルッコラの野生種、セルバチコだ。農家の多くが葉っぱだけを出荷するなか、浅野はこの花も商品として出している。

 「花を食材として最初に提案したときは、『え、食べるの? !』と驚いたシェフが多かったね」

 近年は、多くの店が料理の彩りに花を使うようになったが、浅野は15年ほど前から、ハーブや野菜の花も含めて食用になる花を吟味し、商品化を進めてきた。

 夏の盛りには、トウガラシ類やナスの畑に、たわわに実がなる。浅野はまるでオーダーメイドのように、店ごとに希望するサイズの実を収穫していく。人差し指くらいのサイズで採るナスもある。

 幼果をかじってみると、これは本当にナスなのかと疑うほどの甘みと、果物を食べたときのようなみずみずしい食感が口中を満たした。

 「サイズが小さいと未熟なのではないか」という先入観は、見事に払拭される。無理なく育てられた野菜は、どの生長過程で、どの部位を収穫しようとも、本来持っている味を発揮する。

 浅野の農場には、「これが普通」とか、「当たり前」というものはいっさいないのだ。

 ナスは、猛暑日が続くなどして水分が不足すると、いわゆる「ボケナス」になるが、地温が高いときに大量に水をやると病害虫のもとになる。

 だから、浅野はときに日没後、夜遅くまでかけて土に少しずつ水を吸わせるようにして灌水する。

 植物の特性や自然の摂理に合わせた独自の管理は、農場の随所にみられる。それが、芯は強いけれど繊細で、滋味深い野菜を生み出す素になっていることは間違いない。

■「土づくり?  できるわけないじゃん」

 「ミシュランガイド東京」において3年連続で3つ星を獲得しているフレンチレストラン「レフェルヴェソンス」のエグゼクティブシェフ・生江史伸氏は、2010年の開店以来ずっと使っている浅野の野菜をこう表現する。

 「すごく色つやがいいし、形もしっかりしているし、持った感じもガシッとしている。ごつごつした感じのおじさんだから、味もガーンとインパクトが強くて、吹っ飛ぶような威力がある野菜をイメージする人もいるかもしれないですけど、食べるとね、いつも優しいんですよ。浅野さんの性格を含めて、ぼくは浅野さんの野菜に惹かれるんです。人の勝手なエゴが入っていなくて、優しい父親に育てられた可愛い娘たち、というようなイメージがありますね」

 自身の料理に必要なものを真摯に求める料理人たちによって、いつの時代も浅野は見出され続ける。

 最初に光を当てたのは、1980年代に「バスタ・パスタ」の総料理長を務め、1990年代にかけて一大イタリアンブームを牽引した山田宏巳シェフだ。のちに名店と評されることになる「リストランテ・ヒロ」を開店した直後に、浅野と巡り合った。

 「ニンジンが苦手だ」と言うシェフを、浅野はあえて畑に案内した。率直な意見が聞きたい。ただそれだけだった。

 その場で一口かじって、シェフは目を輝かせた。

 「おれ、このニンジン食べれる!」

 そこから取引は一気に広がり、多くのシェフが浅野の野菜を求めた。30年近く経ったいまも、若手シェフから新規のオファーがしばしば届く。

 ニンジンにありがちな青臭さがほとんどなく、芯まで赤くて甘みが強いと評判の浅野のニンジン。意外なことに、肥料はほぼゼロで育つのだという。

 「植物に栄養なんていらないの。余計なことはしないほうがいい」

 これが浅野の口癖だ。最初に聞いたときは、ピンとこなかった。栄養が不要なら、土づくりなのか?  そう尋ねると、とぼけたような答えが返ってきた。

 「土づくり?  そんなの、できるわけないじゃん」

■畑と食卓が、直接つながった

 首をひねりつつ、ニンジン畑に立つと、優しい土の感触とともに、靴先がゆっくりと吸い込まれるように沈んでいく。

 その瞬間、脳裏に浮かんだのは、心地よい土の中をしなやかな根が深くまっすぐに下りていくイメージだ。

 その心地よさというのは、浅野が植物に対し、「こう育ってほしい」と願って作ったものではなく、「こう育ちたい」という植物の声を聞いて浅野が手助けをした結果であるように感じる。

 植物がその生命を維持するためのミネラルと、ひとつでもいいから生まれ育った原産地に近い条件をどう与えてやるか。肥料の量よりも先に、それを考えることのほうが大切なのだと浅野は話す。

 浅野は1961年、地元の農業高校を17歳で中退して就農した。麦と落花生、サトイモを市場出荷しながら外国産野菜の栽培に挑戦。30年ほど前から、少量多品目生産の直売農家となった。

 それまで、フレンチやイタリアンの店では輸入業者が提供する野菜を使うのが一般的だったが、山田宏巳氏の他、「銀座レカン」の最盛期を担った十時亨氏、「アクアパッツァ」オーナーの日高良実氏といったスターシェフが浅野と取引を開始。畑から農場へ、直接つながる道が拓いた。

 旧知のシェフたちは、こう口をそろえる。

 「食材をより広く深く知る機会を得て、料理の幅が広がっていく。浅野さんは、その基盤を作ってくれました」

 「Farm to Table」という言葉は、生産者と消費者、食の提供者が物理的に、また概念として近い距離にあることだけでなく、その関係性のあり方までをも包含する概念だ。

 浅野の農園の納屋には、来日した海外の名シェフたちが訪れた際の写真が何枚も飾られている。

 浅野は日本の農家として、誰より先にFarm to Tableを実践してみせた先駆者だからだ。

東洋経済オンライン

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最終更新:3/23(土) 12:02

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