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伝説のバンド「Thee Michelle Gun Elephant」に東大生だった私が思い知らされた「生きる価値」 肩書を取られたら何も残らないちっぽけさを痛感

5/26 9:21 配信

東洋経済オンライン

財政社会学者の井手英策さんは、ラ・サール高校→東京大学→東大大学院→慶應義塾大学教授と、絵に描いたようなエリート街道を進んできました。が、その歩みは決して順風満帆だったわけではありません。
貧しい母子家庭に生まれ、母と叔母に育てられた井手さん。勉強机は母が経営するスナックのカウンターでした。井手さんを大学、大学院に行かせるために母と叔母は大きな借金を抱え、その返済をめぐって井手さんは反社会的勢力に連れ去られたこともあります。それらの経験が、井手さんが提唱し、政治の世界で話題になっている「ベーシックサービス」の原点となっています。

勤勉に働き、倹約、貯蓄を行うことで将来の不安に備えるという「自己責任」論がはびこる日本。ただ、「自己責任で生きていくための前提条件である経済成長、所得の増大が困難になり、自己責任の美徳が社会に深刻な分断を生み出し、生きづらい社会を生み出している」と井手さんは指摘します。
「引き裂かれた社会」を変えていくために大事な視点を、井手さんが日常での気づき、実体験をまじえながらつづる連載「Lens―何かにモヤモヤしている人たちへ―」(毎週日曜日配信)。第8回は「禍福は糾える縄の如し」です。

■伝説のギタリスト、アベフトシが大好きだった

 みなさんは「Thee Michelle Gun Elephant」というバンドをご存じだろうか? 

 通称「ミッシェル」。フジロックフェスティバルで観客を熱狂させ、圧死の危険性から演奏を何度もストップされたことで知られる伝説のバンドだ。

 東京・下北沢に「屋根裏」というライブハウスがあった。私もちょくちょく出演していたのだが、そのハコの壁にはミッシェルのサイン入りシンバルが飾ってあった。

 私はミッシェルのギタリスト、アベフトシさんが大好きだった。屋根裏が生んだ伝説のギタリストだ。あこがれの存在だった。

 ただ、負けず嫌いのギタリストだった私にとって、アベさんは嫉妬の対象でもあった。思えば、雲の上の人だったが、私は、人生の節目、節目で、彼の存在を意識して生きてきた。

 話は院生時代にさかのぼる。私は、母と叔母が多額の借金をして、大学院に進学させてもらっていたのだが、とうとうその限界が訪れた。

 外出先からアパートに戻ると、電話に20件を超えるメッセージが残されていた。すべて借金取りからの督促。怒号の主は「闇金」と呼ばれる人たちだったが、終わりから2件目にだけ母の声が残されていた。

 「助けて、英策、殺される……」

 私は、腰を抜かしそうになりながら手元にあった生活費をかき集め、各駅停車に飛び乗って実家のある久留米市をめざした。

 わが家に帰ると、雨戸がすべて降ろされており、玄関は固く閉ざされていた。人の気配もない。不安でいっぱいになった私は、入り口の引き戸を思いきり叩いて叫んだ。

 「英策よ、帰ってきたよ、開けて」

 中からあらわれたのは叔母だった。彼女は無言で私を部屋へと導いた。電気も、ガスも、水道も止められていた。室内はむせ返るような暑さだった。

 暗闇の中に母はおり、下着姿でポツンと正座していた。あの誇り高き母が・・・自分が気づかないうちに、後もどりできない状況に追いつめられてしまったことを感じた。

 母から、連帯保証人になっていた叔母とふたり、いよいよ借金で首が回らなくなった、と聞かされた私は、おそらく大学にはいられなくなるのだろう、と思いながら家を出た。

■空気を切り裂くように響いたギターの音

 あてもなく歩いた私がたどり着いたのは、近所のバッティングセンターだった。

 ポケットを探る。わずかな小銭がある。私はお金を機械に入れた。まともに打ち返す気力などない。とんでもない無駄使いをしている、そんな罪悪感がおそってきた。

 すると、突然、空気を切り裂くようにギターの音が響きはじめた。

 ミッシェルの「世界の終わり」だった。

 私はアベさんのギターが大好きだった。でも、俺は音楽で飯を食うわけじゃない。ミュージシャンはしょせんミュージシャンだ。<東大生のわたし>はそんな冷めた目で彼を見ていた。

 だが、アベさんのマシンガンカッティングは、私のプライドを粉々にくだいた。東大生という「肩書」をはぎ取られてしまえば何も残らない、そんな自分のちっぽけさを思い知らされた気がした。

 借金取りと会いたくなかった私は、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、遠回りして家に戻った。戦争でパートナーを亡くし、3人の子を残された祖母が、どの木で首を吊って死のうか考えた、という話を思いだしながら、家の近所をフラフラとさまよっていた。

 だが、捨てる神があれば、拾う神もある。たしかに神はいた。母の親友がお前なら信用できる、と言って、私にお金を貸してくれたのだ。

 私は大急ぎで闇金の借金を清算した。奨学金の助けもあって学業も続けられた。10年がかりだったが、姉とともに、借金をすべて返すことができた。

■希望でいっぱいの私に届いたアベさんの悲報

 2009年4月、完済とほぼ同じタイミングで、私は慶應義塾大学に着任した。私の胸は希望でいっぱいだった。ところが、その3カ月後、ギターのアベさんが亡くなった、という悲報が届く。急性硬膜外血腫、要するに脳内出血が理由のようだった。泣きながら「世界の終わり」を聞いていた私は、当時、これからの研究者人生に瞳を輝かせていた。

だが、禍福は糾える縄の如し。アベさんが亡くなったわずか2年後、今度は、私が、急性硬膜下血腫で生死の境をさまようことになったのだ(連載第2回『脳出血で倒れた30代男性、自ら死を願った驚愕理由』参照)。

 私の入院中、病院の先生は、連れ合いにこう伝えたそうだ。

 「血が止まれば助かります。でも、止まらなければ開頭手術です。亡くなるかもしれませんし、障害が残るかもわかりません。止まるか、止まらないかは、誰にもわかりません」

 幸いなことに血は止まった。大きな障害も残らなかった。私はたまたま、本当にたまたま、生かされたのだった。

 思えばいつもそうだった。

 借金してでも、子どもに学びのチャンスを与える家に、私は生まれた。学業継続の危機にはお金を貸してくれる恩人があらわれた。生と死の際(きわ)にありながらも、かろうじて助かった。どれもこれも私にはコントロールしようのない<運>だった。

 こんな詩がある。

いまや太陽は燦々と昇ろうとしている。

まるで昨夜の不幸などなかったかのように! 
その不幸は私だけに起こったのだ! 
太陽はあまねく世を照らす! 
自分の中に闇を包み込んではならない、
それは永遠の光の中に沈められねばならないのだ! 
リュッケルト「亡き子をしのぶ歌」より
 そう、未来はだれにも予見できない。突然の悲しみにおそわれるかもしれない一方で、明日になれば、想像もできないような幸運が私たちの訪れを待っているかもしれない。

 だから思う。私たちは、希望を捨ててはならない、生きる意志を持たなければならない、と。

■肩書を失う恐怖を感じることができた「幸運」

 だが、自分語りだ、と怒られることを覚悟のうえで、もう一歩だけ話を進めさせてほしい。

 明日の幸運を信じ、痛みに耐えぬけるほど、人間は強くない。私は、幸運の訪れを確信できず、頼れるだれかという<依存先>を見つけられずに苦しんでいた。ひとりぼっちだったから、私は絶望し、死と向きあった。

 でも、そんな弱くて、無力な私だったが、死を選ぶ前にできることが1つだけあった。それは、苦しみの意味を考え、自分の<態度>を決めることだ。

 私は「東大生」という肩書を失うのが怖かった。でも、その恐怖は、肩書を持っている人間の特権ではないか、と思った。母と叔母が、体を張り、借金取りと戦いながら学びの機会を与えてくれたからこそ、私は“幸運にも”恐怖を感じることができたのだ、と。

 私は肩書を失う恐怖をつうじて、2人の愛と苦しみを知った。だから、生きよう、貧しくとも3人で生きていこう、と態度を決めた。そんな私たちを、たまたま待っていたのが、友人による支援という<幸運>だった。

 私が若いころとはちがい、さまざまな支援の仕組みができた。家族と苦労を分かち合うのは美談かもしれないが、しなくてよい苦労はすべきではない。いまは、「だれかに頼る」という態度決定だって選択肢の1つだし、むしろその決断は素晴らしいものだ。

 だが、大切なのは、いずれにしても、苦しみそのものに意味を見いだし、生きるという選択をするからこそ、私たちは頼れるだれかと出会い、幸せになれる、ということだ。

■行きづらさには必ず何かの意味がある

 努力は大事だ。運命には逆らえない。そして、苦しみのなかで<態度>を決める覚悟はつらいものだ。命は生きづらさに満ちている。

 でも、その生きづらさには、必ず、何かの意味がある。生きて、生きることの意味を考えるからこそ、私たちは自分を取り巻いている<価値>に気づくことができる。

 生きるのは苦しいから死ぬ、じゃいけない。苦しいからこそ、生きて、考えよう。生きづらさの意味を。そして触れよう。生きることの価値に。

東洋経済オンライン

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最終更新:5/26(日) 9:21

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