誰も知らない、誰も行かないヘンな場所をイラストレーター・ルポライターの村田らむさんが軽やかに訪れその理由と魅力を解き明かした見聞録。
登場するのは富士の樹海やドヤ街、廃墟に珍スポット(韓国、北朝鮮、台湾も少しだけ登場! )。潜入取材、危険地帯取材を得意とする著者が、尽きない好奇心と探究心で繰り広げる、怖いもの見たさの物見遊山!
『にっぽんダークサイド見聞録』よりお届けします。
■戦時中、地図から消されていた島
インタビュー仕事のために広島に足を運んだ。翌日の夜には大阪で仕事があるため、あまりゆっくりはしてられないのだが、どうしても前から行きたかった大久野島に行くことにした。
大久野島は瀬戸内海に浮かぶ1周4キロくらいの小さな島だ。広島県竹原市に属する。
昭和初期から昭和20年までは毒ガスの製造をした島として知られている。戦時中には、地図から消されていた。
現在は、島中にウサギが繁殖しておりウサギの島と呼ばれている。
ウサギにはあまり興味がないが、毒ガス関連の施設には非常に強い関心があった。
広島で仕事が終わったのが、午後13~14時くらい。フェリーが出る忠海までまっすぐ向かって、とりあえず大久野島へ渡ってしまおうかと思ったが、ギリギリ間に合わなかった。忠海駅近くのホテルはすでに埋まっていたので、三駅手前の竹原駅で降車して地域最安値のビジネスホテルに宿泊した。
そして早朝に竹原駅から忠海駅へ移動し、船舶乗り場でチケットを買った。
船舶時刻表によると、始発は7時40分だった。釣り人や、カップルなど7人の客が乗船した。
定刻通り船は出発した。職員が着るピンクのパーカーの背中を見ると「兎人(うさんちゅ)」と書かれていた。
かなりウサギ推しをしているらしい。個人的には「毒人(ぽいずんちゅ)」と書かれたジャンパーが欲しい。毒ガスマスクをつけたウサギの絵も入れて欲しい。
船は15分ほどで大久野島へ到着した。
■出迎えてくれたウサギ
ついに毒ガス島に上陸である。さあ、毒ガスの跡地を見るぞ!! と歩き出した。すると足音を聞きつけたのか、遠くからトコトコトコとウサギが走ってきた。
僕の前に来ると、後ろ足で立ってこちらを向いて鼻をヒクヒクさせている。
「え~ウサギってこんなになついてくるものなの~? きゃわゆーい」といっぺんに心を持っていかれた。
幼稚園の卒園式でウサギをもらい、小学校1~2年生の頃まで飼っていたけどこんなになつかなかった。
そう言えば、飼ってたそのウサギは近所の野良猫に食べられちゃったな~と少しブルーな思い出が脳の奥の方からにじみ出てきた。
こんなになついてくるなら、エサをあげたいなと思い船着き場で聞いてみると、島内ではエサは買えないのだという。
慣れた人は、ニンジンやキャベツを持参で来ていた。帰りにたしかめたら、フェリー乗り場近くのコンビニエンスストアでカップに入ったニンジンなどを売っていた。
この文章を読んで「大久野島へ行こうかな?」と思った人は絶対にエサを持っていった方が楽しいはずだ。ちょっと荷物になるけど、キャベツを一玉持っていけば、島中のウサギたちにエサをあげてまわることができる。
楽しそうにウサギにエサをあげる人たちをほぞをかむ気持ちで見つめながら島内を回ることにした。
■毒ガス資料館で見つけた古い落書き
船着き場の近くに「大久野島毒ガス資料館」というとても興味をそそられる施設があったのだが、9時10分スタートだったので、島を回り終えてから見学することにした。
歩いていくと建物が見えてきた。かなり古びた建造物だがしっかりと残っている。表面は剝離して、鉄筋がむきだしになっていた。
施設の前には、子ども向けのクイズが看板に貼られて出されていた。自転車で島内を回りながらクイズに答えていく形式らしく、かわいらしい自転車のイラストが添えてある。
「サイクルラリーCP2本館横にあるこの建物はなんでしょう? ヒント:何かの貯蔵庫です。本館にはかつて●●●●の製造工場があったよ! 大ヒント:ひらがなにすると4文字だよ!!」
すごい陽気な質問である。
答えは「毒ガス貯蔵庫」って、質問の陽気さにくらべて答えがヘビーだわ。毒ガス貯蔵庫らしく床には丸いタンクを置くための台座が残っている。
柵がしてあって中には入れないのだが、壁には一面に落書きがしてあった。その落書きに書かれた年代が古い。
一番古いのは「49 10/13JFIPJP」と書かれたものだった。
1949年は太平洋戦争が終わり、毒ガスが投棄された2年後だ。処理はかなり荒かったらしく、かなり危険地域だっただろう。
1950年から朝鮮戦争のため米軍が接収したそうなので、下見に来た米兵が落書きしたのかもしれない。
1964~1976年くらいの日本人の落書きが多く見られた。バカは昔からいるのである。
落書きは他の施設にもたくさんあった。
「世界が平和になりますように!!」
「大阪から来たよ!」
「有田さん ゆりちゃん お父さん」
無数のハートマーク(ハートの中にイニシャル)や実名が書かれた相合い傘があった。
こういう施設の落書きを見ていつも思うのだが、落書きで恋愛していることを書いてなんになると思ってるんだろう? 末永く恥をさらしているだけに思えるけどなあ。皆さんは絶対に落書きはしないでね。
■ゲームの世界に出てきそうな雰囲気の毒ガス貯蔵庫跡
海沿いの道をてくてくと歩いていく。
始発で来たこともあり、人はほとんどいない。あいかわらずウサギがヒョコヒョコと集まってきてかわいい。
そして見えてきたのが、おそらくこの島でもっとも大きい施設である、長浦毒ガス貯蔵庫跡だ。島内最大の毒ガスの貯蔵庫だったそうだ。
この建物はものすごくかっこいい。頑丈なコンクリートで作られているが、老朽化で一部は剝げ落ち、苔やカビで黒く汚れている。ツタが建物の表面をまるで血管のように走っている。
ゲームの「ワンダと巨像」とか「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」とかが好きな人にはたまらない雰囲気だ。施設を眺めていると思わず、ツタに手をかけて、グイグイ登って行きたくなる衝動にかられた。
■要塞砲台や兵器の制作に使われた施設
海辺を超えていくと、さらにたくさんの施設が見えてきた。
やはり堅牢な施設なのだが、レンガや石垣で作られている。長浦毒ガス貯蔵庫跡と比べると古い建造物な気がした。
これらの施設は、第2次世界大戦前の、明治時代に作られた施設らしい。艦隊の攻撃にそなえ、沿岸要塞砲台を設置していたのだ。
毒ガス島になってからは、施設を改装し、貯蔵庫として使用していた。
山道を登っていく。普段の不摂生がたたって、かなりしんどい。
島内の地図を見ながら歩いていたのだが、立ち入り禁止になっている場所がとても多かった。展望台や中部砲台跡に進む道も立ち入り禁止でとても残念だった。老朽化による崩落の危険などあるかもしれないが、もうちょっと見られるようにして欲しい。
最後に見えてきたのが発電所跡だ。黒ずんだコンクリでできたかなり大きな施設だ。外から見ると3階建だが、建物内は階層わけされておらずかなり広々した空間になる。当時はディーゼル発電機が8基設置されていたらしい。現在は全部取っ払われてしまっている。
建物の外にはほとんど消えかけているが英語で表記がしてあった。米軍に押収されている時代に書かれたものだろう。
この建物は「ふ号作戦」に使用される兵器の制作にも使われていたという。「ふ号作戦」とは、気球に爆弾を乗せて、ジェット気流を利用してアメリカまで飛ばしてアメリカ本土を空襲するというトンデモ兵器である。実用されたが、ほとんど戦果は上げることができなかった。
その風船爆弾をこの施設でふくらませ、弱い部分を補修したりしていたそうだ。
■かわいい、かっこいい、うまいがそろった大久野島
ぐるりと1周回って来た。入場料は100円だった。
2時間ほどかけて回ったので、毒ガス資料館はすでにオープンしていた。
島の成り立ちから戦中の様子、そして戦後の毒ガスの処理と“毒ガス”という厄災と関わり続けてきた島の歴史がわかりやすく展示されていた。当時の技術では当然起きた、事故や漏れなどについても描かれている。
というわけで駆け足で回った大久野島だったが、細かい見どころはまだまだたくさんあった。夜中に歩くのも怖くて楽しそうである。休暇村があり9000円から宿泊することができる。キャンプ場もあり、フリーテント場なら410円で借りることができる。大浴場もあってこちらも1回410円だ。
僕は軍事遺構ばかり見ていたけど、人が一番たくさんいたのはキャンプ場だった。
見どころは、ウサギと軍事遺構とバーベキュー!
つまり、かわいい、かっこいい、うまい、と3点そろったのが大久野島なのだ。
東洋経済オンライン
最終更新:5/24(金) 9:32
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