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「インドカレー屋」実はネパール人運営が多い理由とは? 産業が育たず、貧困で世界有数の「出稼ぎ国家」に。しかし日本に来ても様々な困難が

4/13 10:11 配信

東洋経済オンライン

 バターチキンカレー。巨大なナン。セットで800円。壁にはエベレストの写真が貼られている。切り盛りしているのは、インド人のような人で、気さくな感じがある……。

 こんなカレー店に行ったことがないだろうか。これらは「インネパ」と呼ばれ、ネパール人が切り盛りするインドカレー屋として、ここ20年ほど、日本で激増している。そういえば、店内にはさりげなくネパールの国旗が飾ってあったりもする。

 でも、よく考えたら疑問ばかりが浮かんでくるのではないだろうか? 

 なぜ、インドカレー屋なのにネパール人がオーナーなのか?  なぜあそこまで安くカレーを提供することができるのか?  そもそも、どうしてこのような「コピペ」したかのような店が全国各地にあるのか?  謎は尽きない。

そんな「インネパ」の謎に迫ったのが、ジャーナリストの室橋裕和さん。室橋さんは3年もの月日をかけ、インネパの実態に迫り、それを『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』にまとめた。そんな室橋さんに、激増するインネパの謎についてお伺いした。

■さまざまな要因で増えてきた「インネパ」

 インネパが増えた背景は、複雑だと室橋さんは言う。

 「もともと、日本のインド料理店では、ネパール人が多く働いていました。彼らが独立して、お店を始めるようになったことからインネパが生まれ始めます。

 また、バブル期に日本に出稼ぎに来るネパール人が増えたり、1990年代のバックパッカーブームでネパールに行く日本人が増えたりして、日本人とネパール人の出会いが増え、結婚したカップルが日本で店を開くことも多かったようです。それと、2000年代、ビザの取得要件が緩和されたことも大きい」

 こうして徐々にインネパは増え、その中から日本人の好みに合うようなメニューが徐々に形成されていった。『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』では、そのルーツを紐解きつつ、インネパがインド料理ともネパール料理とも違う、日本に適応した独自の味に変化したことが詳細に書かれている。

 さらに、この20年ほどの激増の大きな要因になったのがブローカーの存在だ。

 「制度が変わり、外国人でも500万円を投資すれば『経営・管理』という在留資格(ビザ)を持って会社を経営できるようになったんです。

 最初のうちは親族からそのお金を集めていたのですが、これでコックから社長になるネパール人が増えました。すると今度は自分の代わりのコックが必要になる。だからコック経験のある親族を呼んで調理の分野で『技能』の在留資格を取らせて働いてもらう。で、このコックがまた経験を積んでお金が貯まると『経営・管理』を取って独立していく……。

 このプロセスが大流行する中で、ブローカーも出てきました。日本で働きたい人たちからお金を取って、『500万円』が必要な人とつなぐ。中には調理の経験がないのにブローカーにお金を払って日本に来て、カレーを作るような人も増えたんです。そういう人も仕事を覚えお金を貯めて独立していくし、ブローカーそのものを生業とするコックも増えていきました」

■インネパを生み出したネパールの貧困

 しかし、どうしてネパール人は海外に働きに出ようとするのか。それには、ネパールの国内事情が影響している。

 「政治的な混乱もありましたし、何より主要な産業が何もない。山がちな地形だから農業には向いていないですし、内陸国だから貿易も盛んではない。ヒマラヤのトレッキングは素晴らしいですが、そうした観光業は国を支えるだけの巨大なものにはならない。この国にいてはダメだ、という思いを持つ人が多く、海外に行くことそのものが夢になっているんです」

 実際、1人あたりの年間所得は1337ドル程度(約20万円。世界銀行による。2022年)で、日本の平均給与である457万円を大きく下回る(ネパールの平均給与は「Average Salary Survey」、日本の平均給与は「令和4年分 民間給与実態統計調査」より)。

 そもそもネパールは、民主政になったのが2008年5月とごく最近だ。さまざまな背景があり、産業が育ってこなかった国なのだ。

 『カレー移民の謎 日本を制覇する「インネパ」』の中で室橋さんは、インネパを経営する多くの人の出身地であるバグルンに赴いている。

 「そこは、日本人の目からすると遥かに豊かに見えるんです。自分の庭で食べるものはまかなえるし、飼っている牛からヨーグルトを作ったりもしている。ヒマラヤの麓に本当に美しい景色が広がっている場所でした。

 ただ、そこから脱出したいと思っている人も多い。現金収入が得られないからです。一方で国内にとどまって独自の産業を興すべきだと思う人もいて、彼らと飲んでいるときに、考えの違う人が言い合いになる場面に遭遇したこともあるぐらいでした」

 主要な産業のないネパールの中でも、さまざまな思惑が交差する。その中で、国外で働きたいという人が、日本などに働く場所を求めにくるわけだ。

■「失敗できない」という思いが「コピペ」メニューを作り出す

 このような厳しい環境からやってきた人々だからこそ、「コピペ」のようなカレー店も生まれるのだ、と室橋さんは指摘する。

 「東南アジアや南アジアでは『コピペ』文化といえるような文化があるのは確かです。でも、それより驚いたのは『安心感がある』と話す人が多かったこと。ブローカーにお金を払って日本に来て、何年も頑張ってお金を貯めてようやく開業する。自分だけではなく家族の生活もかかっている。『絶対に失敗できない』という思いを強く持つ人が多くなるわけです。

 だから、修行した店で出していたメニューや、成功している他の店で出しているメニューをそのまま出すことにつながるのです」

 お金を払ってやっと辿り着けた海外。だからこそ、失敗はできない。このようなネパール人の思いが、コピペのメニューを作らせる。バターチキンカレーやナン、オレンジ色のソースがかかったサラダ……のように、決まりきったメニューがあるのは、そのためなのだ。

 それも、スパイスを控えめにし、甘さを強調したものが「日本人にはウケる」と考えられ、コピペのように広まっていった。そして日本人のランチの予算に合わせた価格帯。

 私たちが、安い、と思って食べるお馴染みのメニューには、ネパールの現実が刻まれている。

 しかし、ネパールから日本にやってきて、厳しい状況に置かれる人もいる。インネパ増加の背景の一つであるブローカーをどう選ぶかによって、日本国内で厳しい暮らしを強いられる現状もあるのだ。

 「経営者のネパール人から厳しい搾取を受けている人もいます。中には、月10万円以下で働く人もいますし、その中には社会保険の存在さえ知らされていない人も多くいる。怪我や病気をしたときに、病院で高額の支払いを求められる場合もあるのです」

 その環境に耐えきれず、逃げ出す人や、アルコールに依存する人もいる。ちなみに、日本は諸外国に比べるときわめてアルコールの規制が緩いため、アルコール依存になるネパール人も多いという。

 このようなブローカーの「負の側面」も説明しつつ、一方で室橋さんが強調するのは、ブローカーの存在は、ただ否定できるものではない、ということだ。

 「ブローカーというと、いかにも悪そうなイメージを持ちがちです。でも、実際のところは、その存在のおかげで日本でそこそこ稼げている人もいる。だからブローカーに感謝する人がいることも確かです。中には、親戚に呼んでもらっていることもあり、その場合は本人たちにとってもブローカーという感じは薄くなるんですよ」

 実際、日本にやってきて大きな成功を掴んだネパール人も多くいる。中にはカレー屋ではなく、普通に日本の飲食店の一つとして、他店と競争をして出店を伸ばすネパール人もいるという。こうした人は、ブローカーの存在を、肯定的に捉えるわけだ。

 また、室橋さん自体、インネパの増加について、否定的な意見だけを持っているわけではない。

 「エスニック好きな日本人の間では、インネパという言葉がどこか侮蔑的に使われることもあります。本物のインド料理ではないものを、それもネパール人が作っているという意味で否定的に捉えられるんです。でも、僕はインネパには、ネパールの人が持つ「しなやかさ」や「たくましさ」が現れていると思います。日本という知らない国に来て、現地に適応するような料理をうまく作り上げた、そこは彼らのすごいところだと思います。コピペだと言われようが、日本人のニーズを掴み取ったのはすごいと思うんです」

 実際、長引いたデフレの中、牛丼屋やファーストフードレストランが高度に発達した日本で、インネパの料理は、私たちの安い昼食の選択肢として、十分に戦っている。ここにこそ、インネパの人たちの「しなやかさ」や「たくましさ」がある。

 そんなネパール人だからだろうか。中にはカレー屋を変え、居酒屋や「ガチ」のネパール料理店を出店する例も近年では増えている。今後もこうした業態転換は見込まれるだろう、と室橋さんは言う。

■世界中がインネパに!? 

 増えすぎたこともあり、日本でのインネパの数は頭打ちで、欧米に進出するネパール人もいるらしい。

 「アメリカのカリフォルニアには『元日本在住だったネパール人の会』があるそうです。それだけの人数が日本から出ていっているんだと驚きました。また、カナダにもネパール人が増えていて、カレー屋を開業する人もいるそうです。もしかすると世界中にインネパが生まれるかもしれません」

 ただ、業態転換や他国への流出が増える中、やはりネパール人の間での日本の人気は依然として高いと室橋さんは言う。

 「話を聞いてみると、日本は安心な国だ、と思っているネパール人が多い。それに病院にしても、役所にしても、制度がしっかりしていると思っているようです」

ネパール人が作り上げたインネパは、日本で、そして世界で今後も生き延び続けていくのかもしれない(後編《700円で美味しい「インネパ」背後にある壮絶な貧困》に続きます)。

東洋経済オンライン

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最終更新:4/14(日) 11:34

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