JR東日本が変えた「ジャカルタ通勤鉄道」の10年 初代現地出向者に聞く海外鉄道ビジネスの現場

5/11 4:32 配信

東洋経済オンライン

 1日利用者数が約100万人にも及ぶインドネシア・ジャカルタ首都圏の通勤鉄道(Kereta Commuter Indonesia:KCI)。

 その輸送を支える、日本から渡った約1000両の中古電車のうち約8割強が、2013~2020年にかけて譲渡された元JR東日本の埼京線・横浜線・南武線・武蔵野線の205系車両である。今年2024年3月5日、205系はジャカルタで走り出してから丸10年を迎えた。

 かつて中古車両は「10年走れば御の字」と日本側からも言われたほどで、実際に2000年代初頭から導入されていた他社車両は15年ほどで使い潰されるのが実態だったが、205系はジャカルタの通勤輸送を支える主戦力として活躍し続けている。これは車両を送り出したJR東日本とKCIの協力体制の賜物だ。

 JR東日本からKCIへの初代の出向者として、2015年から約2年半、現場の最前線で活躍した前田健吾氏(現・同社鉄道事業本部モビリティ・サービス部門未来創造ユニットリーダー)に、この10年間の振り返りと、JR東日本の海外事業の中核にもなりつつあるインドネシアでの今後の戦略について聞いた。2回に分けてインタビューをお届けする。

【写真】205系が導入される前のジャカルタの通勤風景。インドネシアに降り立った元南武線の205系など(18枚)

■10年で大変貌したジャカルタの鉄道

 ――ジャカルタで毎日KCIを利用していますが、JR東日本の支援がなければ今の状態はなかったと思います。8両編成だったのが10両、12両になって、冷房もちゃんと利いてドアも閉まって。非常に快適になりました。

 最初の205系が行った(搬入された)のは2013年11月。その前に屋根上まで人が乗っているというのはだいぶ一掃されていた。変化としては、当時の国鉄(KAI)総裁、ヨナン氏の存在が大きかった。

 12両編成化の経緯にも深く絡ませてもらっている。南武線の205系が6両で譲渡されたのが発端で、さらに列車密度をこれ以上増やすと保安装置も危ないという中で、それならいっそ12両にするという経緯だ。当時のファディラ・KCI社長やジョンロベルト部長といろいろ議論する中で、ホーム長が足りないよねと言ったら、次の日から昼間に試運転をして、簡易ホームを造って、日本ではありえないようなスピード感だった。早いか早くないかという観点だけでいうと、日本ではありえない早さだ。

 昔は中古車を持っていって、そのままで十分使命を果たしたみたいに日本人は思っていた。でもそんなことはなくて、実際にオペレーションする中でのフォローをほとんどしていなかった。そこに2013年以降、われわれも気づき始めたといったところだ。

■JR東社員の出向計画は当初からあった? 

 ――JR東日本はこの10年間、ハコモノ偏重ではなくソフト面、鉄道輸送サービスの改善を、現地に社員を送り込んで進めてきました。どのような戦略があったのでしょうか。

 2011年頃、インドネシアでは大統領令で1日のジャボデタベック(ジャカルタ)での鉄道利用者数を段階的に120万人にしていこうという動きがあった。また、弊社の車両が205系とは違った電子機器を使う車両に変化している時期だった。205系が古くなってダメだから余剰というのではなく、メンテナンスに人手がたくさんかかるという意味だ。裏を返せば、メンテナンスさえし続ければ同じ品質を出せることはわかっている。使わないで捨てるのはあまりにももったいない。車両の譲渡に関しては、そういったところがインドネシアとぴったり合ったというところからスタートしている。

 ――車両の譲渡が決まったのは2013年ですが、当時は車両単体での譲渡で、JR東日本から人材を送り込んではいませんでした。JR東日本とKCIが覚書(MoU)を結んだのは2014年で、前田さんが現地に着任されたのが2015年です。車両の譲渡から人的な支援開始まで2年のずれがありますが、人材の送り込みは初めから決まっていたのですか。

 MoU締結の際は私も出席していたが、その時、今後の動きをどう作っていくかという会話が出た。車両を持ってきただけでは従来と同じような繰り返しになるし、人材育成を含め、日本の国内で鉄道業だけやっているとやはり内向き志向になる傾向がある。もっと言えば、日本の鉄道はある意味できあがっていて、白いキャンバスに新たに造っていくということはほぼない。だが、そういったことは人材を育成する中で非常に大事。そんな中で、人を送り込みながら次をつくっていこう、ということになった。

 ――人的支援にはKCIのヨナン総裁からのプッシュや要望もあったのでしょうか。

 ヨナン総裁はもともと日本に詳しく、今でも親しくさせていただいている。日本から学びたいという考えをお持ちの方だった。(人材の送り込みは)双方からの意見ではあるが、ヨナン総裁からの話もあったのを覚えている。

 (海外鉄道事業ユニットマネージャー・松田敏幸氏:それ以前から提案はしていて、この会議の場でヨナン総裁からぜひお願いしたいという方向性が出てきた。)

 それで、私はインドネシア語も何もできなかったのだが、行くぞということになって。会議の後、日本に帰ってきて準備にあたったということになる。

■「現場の声」が通りにくい環境を変える

 ――現地に着任されて最初の印象はどうだったでしょうか。当時は元埼京線の車両のオーバーホールが始まりだした時期で、純正品ではないブレーキシューが付いていたことなどが私は印象に残っています。どのようなところから手を付けていったのでしょうか。

 インドネシアの方々は、やる気はすごくある。日本よりも清掃などをしっかりされている。マンスリーメンテナンスでも1カ月に1回、台車や床下をきれいに洗っている。メンテナンスでの清掃は非常に大事で、洗っていると亀裂があったり、油漏れがあったりというのがわかる。やれるところはすごく努力されている。

 ただ、やり方を知らないとか、道具がない、材料がないといったことがある。現場にはわかっている方も多々いるが、それが会社一体として部品を買わなければいけないとか、どのタイミングで買わないといけないのかといったことはご存じないというケースがあった。さらに言うと、なかなか現場の声が通りにくい状況があった。

 しかし、現場第一主義、現場に足しげく通えと私はJR入社以来叩きこまれているし、やはり答えはすべて現場にある。そういった中で、現場の声をいかにしてKCIの中の本社、財務部門、調達部門に伝えていくかというところを大事にした。スマホで写真を撮りまくって、現場でこんなことが起こっているよと本社、財務部門などに共有し、ディレクタークラスにも伝える。

 さらに、その前段として大事だったのが、事後保全から予防保全に変えていくことだった。故障が起こってから取り替えるのではなく、起こる前に、運用中に壊れないようにするというところからスタートさせてもらった。まず仕業検査、デイリーメンテナンスから手を付けた。インドネシアでも毎晩デイリーメンテナンスはしているが、2人で同時に動いて一緒にこういう動きをすれば一筆書きでこんなことが全部チェックできるよ、といったことを伝えて毎晩やってもらう。

 ――それでも、非正規品から純正品への回帰にはかなり苦労されたのではないかと思います。前田さんや日本のメーカーが、高品質でライフサイクルの長い部品の使用を提案し、説得したということですね。

 その前提としてあるのは、日本から来た中古車だということと、日本で高い品質をたたき出していたという事実だ。こうすればこんなによくなるということはデータとして示せる。ブレーキシューの例でいうと、確かに中国製は2000円くらいだ。しかし、まだ分厚いのに割れることがある。割れるということは、走っている途中に脱落して脱線の可能性もある。極端にいえば、3日や4日でそうなることもあった。安くてもこれではどんどん取り替えなければならない。

 それなら10カ月や12カ月取り替えなくても済むようなものを使ったほうが、ライフサイクルで考えると明らかに安い。だが、単品で考えるとやはり高くなる。日本から持ってくれば1つ1万2000円~1万3000円はする。そこをどう事実を伝えてあげるか、それをどういうふうにして購入してもらうか、その流れをつくったという言い方をするのが一番正しいかもしれない。

■非純正部品が使われがちな事情とは? 

 ――非純正の部品が採用されがちなのは、私はインドネシアの単年度決算が最大の障壁だと思います。結局値段の安いところに決まってしまい、鉄道に限らず、多くの日系企業が苦労されています。

 インドネシアは平等性を保つため、別の言い方をすると汚職の撲滅のためにという言い方になるが、単年度で毎度競争入札を行っている。一方、鉄道の部品は納期が長く、今日発注したからといって明日来るわけではない。1年かかるような部品がたくさんあり、その年にほしいものを急に言われても準備できないということはある。だが、長い目で見れば大量発注などすれば値段は下がる。最初は正のスパイラルに入っていきづらかったが、今は比較的プラスになっている。向こうの方々にも信頼を得ていただいていると思っている。

 ――1両あたり何百点ものパーツで構成されている日本の車両がこれだけインドネシアで走っているというのは、鉄道会社やメーカーだけでなく、日本の中小企業にとっても非常に大きいマーケットです。

 その通り。205系と他形式合わせて約1000両といえば、首都圏の民鉄1社くらいのボリュームがある。本来ならオペレーションなどを改善してもらって、もっとシームレスに走れるような状況になっていけばいいのだが、そんな感じだ。

 ――前田さんがインドネシアでの在任中に、ジュアンダ駅(KCIの駅の1つ)で205系同士の追突事故がありました。

 その時、ちょうど真下(筆者注:ジュアンダ駅下のKCI本社オフィス)にいた。当時は着任してまだ半年くらいだったが、乗務員に聞き取りなどを行った。事故があっても担当のディレクターだけ異動させて処理してしまい、それで終わりというところがあった。ブレーキが利かなかったなどであれば我々にとっても不安だ。

 ――インドネシアでは、責任者の首を飛ばして終わりにし、根本的な原因究明がおざなりにされる傾向があります。JRの方が常に張り付いていることは意義があると思いました。

 国民性もあるし、日本のやり方そのままというのはちょっと気を付けながらだが、やはり事実は把握したい。その後どう処理していくかは国に従った形であると思うが、事実を知らない限りは次につながらない。そこだけはやらせてくれという話を当時していた。

筆者注:不幸にもこの衝突事故により、損傷を受けた12両の205系は廃車、解体となってしまったが、それ以外は重篤な車両故障で4両が長期にわたって営業から外れている以外は現役で、812両という数が譲渡された中でこの稼働率は驚異的といえる。それは、単に車両を譲渡するだけではなく、車両維持管理・検査サイクルの適正化、現場の技能や意識向上、スペアパーツの純正品回帰や供給ルートの確立など、共に考え、ときには議論し、得た大きな成果である。

従来の日本のODA的な支援はハコモノをつくっておしまい、車両を入れておしまい、メーカーの2年の保証期間が過ぎたらあとは勝手に、というのが基本スタンスだった。実際、日本は1970~1980年代に東南アジアや南米、アフリカなどの案件を受注したものの、車両はすぐにダメになり、線路もガタガタで、その後継をいつの間にか中国に取られていたというのが世界的な流れだ。そんな中、JR東日本のインドネシアでの取り組みはこの流れに風穴を開けた格好だ。一民間企業がここまで行ったのは英断であるとともに、車両メーカーではなく鉄道事業者だからこそ成しえたことといえる。

■JR東にとってインドネシアの位置付けは? 

 ――前田さんの帰任後も、JR東日本からKCIへの出向は継続しています。今では、インドネシアにはグループ会社のJR東日本テクノロジー(JRTM)やJR東日本商事の事務所がありますが、まずJR東日本本体が進出して、グループ全体を動かしていくというイメージでしょうか。

 私が行かせていただいた2015年頃、さらに言えば2014年にMoUを結んだときからしても、現在のこの形を想像していたかといえば想像しきれていないところが多々あった。やはりインドネシアの方々のニーズに合わせた形で、かつ我々ができるところ、やりたいところの形が何なのかを日々模索しているというのが現状かもしれない。ニーズがある限り、我々としてはこれからもどんどん出ていきたい、発展していくところに力を割いていきたいというのが本音だ。

 ――JR東日本はタイ・バンコクのパープルラインのメンテナンスを丸紅や東芝と合弁で受注、ベトナムやバングラデシュのODA案件を一部日本コンサルタンツ(JIC)経由で行っているほか、イギリスではオペレーターに参画していますが、国際ビジネスのボリュームではインドネシアが一番大きいのでしょうか。

 架線電圧が1500V直流、線路の幅1067mmというところは日本とニュージーランドとインドネシアくらいだと思うが、そういった関係で親和性があるのは間違いない。さらにいうとインドネシアの方々が日本について非常に勉強していただいており、逆提案というか、こんなことはできるかどうかと提案をもらえる関係性が構築できている。

 それだけに比較的事業展開はしやすいが、当社としてインドネシアだけにフォーカスしてきたということはない。このような関係が構築できるのであれば、例えばタイであっても、事業として広められればと思っている。ボリュームでいうと、国家的プロジェクトで性格が異なる部分があるが、インド(高速鉄道)に次ぐ規模だ。

■人材相互交流が生んだ良好な関係

 ――もし、これだけの数の205系が譲渡されていなければ、今のようなビジネスになっていなかった可能性はありますか。

 一般的には入札をして線路をつくるとか車両を納入するとか、そういったやり方で日本企業が海外の事業に参入していくというパターンがあるが、インドネシアについてはまったく違った入り方になっている。ある意味ちょっと特異なケースかもしれない。

筆者注:JR東日本はあくまで鉄道オペレーターであってサプライヤーではなく、海外事業のイメージをなかなか持たれにくいが、グループ会社を通してKCI向けの消耗品などのサプライを行っている。いわば、車両を安価に売ってメンテナンスで稼ぐという世界の鉄道車両メーカーの典型的な営業手法を、JR東日本グループ全体として行っているわけだ。

とはいえ、JR東日本が単に商売人に徹していたとしたら、今日のようなKCIとの良好な関係性は築けなかったであろう。そこに欠かせないのは、社員レベルでの相互交流の存在だ。メンテナンスのみならず、運転士や車掌、さらには本社部門での交流や研修が続けられ、双方の人材ブラッシュアップに一役買っている。また、これまで内向きと言われてきた日本側の鉄道人材にも変化が見られてきた。後編ではこういった点について、インタビューを基にお届けする。

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最終更新:5/11(土) 9:28

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