屋上遊園地にお歳暮、日本橋の東急…百貨店「華やかなりし時代」から現代までをアナログ写真で振り返ると、消えた&消えゆくものが浮き彫りに

2/14 5:17 配信

東洋経済オンライン

この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年1989(昭和64・平成元)年からすでに36年が過ぎ、当時を知らない世代も増えている。
このほど、今年で設立130周年になる東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真がデジタル化された。本連載では、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく。
第5回となる今回は、1970年代以降の百貨店「華やかなりし時代」から現代までの写真を紹介する。

第1回:『60年前の「アジアっぽい東京」が今の姿になるまで』
第2回:『40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで』
第3回:『「家電→PC→メイド喫茶」秋葉原“主役交代”の歴史』
第4回:『焼け野原だった「歌舞伎町」が大歓楽街になるまで』

■消えゆくデパート

 東京都心のデパートの店舗が、次々になくなっている。この5年ほどの間に、新宿西口の小田急新宿店本館、渋谷駅と一体化していた東急東横店、そして渋谷の東急本店が閉店。

 その理由には、開店後50年以上が経過した建物の老朽化のほか、百貨店という業態が現在の消費スタイルに合わなくなってきたことも挙げられている。

 いずれの店舗も再開発後の建物での百貨店営業は予定されていないようだ。昭和は戦前戦後を通して百貨店は小売店の王様的な存在だったが、今や斜陽産業になってしまったのか。

【画像28枚】1960年代から現代までの百貨店の盛衰を写真で見る

 ここ数年、池袋で騒動になっていたのは、池袋西武の存続問題。2023年、セブン&アイホールディングス傘下にあった「そごう・西武」は外資系ファンド・フォートレスに売却され、フォートレスは池袋西武の巨大な店舗建物の約半分をヨドバシHDに売却。

 池袋西武の店舗だった建物の約半分は今後、ヨドバシカメラの店舗となる。一方の西武百貨店では、縮小した店舗を、今夏オープン予定でリニューアル中だ。

 池袋駅東口の巨艦・西武百貨店は、近年も全国の百貨店店舗売り上げ高のベスト3にもランクインしていたというのに、セブン&アイがそごう・西武を売却した理由は、百貨店事業の赤字だった。

■「ハレの日」は家族でデパートだった頃

 昭和の戦前戦後は、デパートは家族で休日に出かける買い物と娯楽の場だった。お父さんの背広や靴、お母さんの宝石や着物、子どもたちのよそ行きの服や誕生日プレゼントのおもちゃなどの買い物には、ハレの場であるデパートに出かけるのが恒例だった。

 お子様ランチも天ぷら定食もカレーライスも、家族全員がそれぞれ好きなものを注文できる「お好み食堂」や屋上遊園地も、家族でのお楽しみのコースとなっていた。

 現在、そうしたショッピングの場は、家電や衣料などの大規模量販店、ネットショッピング、ファッションビルの店舗などに取って代わられ、閉店したデパートの多くは家電量販店の店舗と化している。

 1971年7月、銀座4丁目に面した銀座三越には、マクドナルドの日本国内1号店が開店している。日本マクドナルド創業者の藤田田氏の「日本の流行は銀座から全国に広がっていく」という思いのもと、この場所で開店したという。

 その戦略は見事に当たり、銀座の歩行者天国でのハンバーガー立ち食いは全国から注目されるトレンドになり、大いなる宣伝効果をもたらした。

 また、それまで日本人が特に親しんでいたわけでもない、いわば“海のものとも山のものとも知れないハンバーガーというファストフードを、三越という老舗デパートの銀座店で販売したことにも大きな意味があった。

 昭和の時代、「デパートで販売されているものは高級品」というのが一般市民の間の共通認識だった。

 そして現在でも都内でデパートが立地するのは駅前や繁華街などの一等地。その路面に今はどんな店が入居しているかを検証してみると、ルイ・ヴィトン、シャネル、ティファニー、エルメスなど、海外のラグジュアリーブランドが大勢を占めている。

■百貨店は「大きく2つ」に分けられる

 日本の百貨店という業態の起源は、呉服店系と鉄道会社系に分かれる。

 三越、髙島屋、伊勢丹、松坂屋といった老舗組は呉服店や木綿商を発祥とするが、大正から昭和初期にかけて、渋谷、新宿、池袋など新興の繁華街には、郊外の住宅地とを結ぶ私鉄電車が発着するようになり、そのターミナル駅前には新興の百貨店が進出するようになった。

 さらに戦後の高度経済成長期には、関西の老舗百貨店、そごう、大丸が東京に進出。

 また小田急、京王、東武、西武、京成といった私鉄各社は自社のターミナル駅前で既存店の買収や全くの新規オープンにより百貨店を開店させていった。

 営業ノウハウを持たないこうした後発の鉄道会社系百貨店は、老舗から「デパートの神様」と言われるようなカリスマ経営者を引き抜き、品揃え、売り場展開、サービス、接客などを学びながら、店舗経営を進めていった。

■「黄金期」は平成初期まで続いた

 この時代、経済成長とともに日本人の暮らしも豊かになり、それとともにデパート業界も成長。デパートは、日本橋、銀座に加え、渋谷、新宿、池袋といった副都心の繁華街の中心的な存在として買い物客を集め、1980年代の昭和末から平成初期のバブル期にも、まだまだまだその黄金時代は続いていた。

 1984年には、銀座・有楽町地区に西武、阪急、プランタンの3店の百貨店が新たに開店。

 この年、戦前から残っていたこの地のランドマーク的な大型劇場「日劇」と、その隣にあった朝日新聞社の建物を解体して一体開発された「有楽町マリオン」が竣工。その館内に有楽町西武と有楽町阪急が開業した。

 竣工時のマリオンは、巨大な建物の存在感と、そこに百貨店2店が入居した上、建物前に設置されたカリヨン時計などが話題になり、全国的なトレンドスポットとなった。

 また、同年にはマリオン からも近い銀座の外堀通り沿いの読売新聞社跡地にパリに本店があるデパート「プランタン銀座」もオープン。

■新聞社跡地が相次いでデパートに

 明治から昭和にかけて、銀座、有楽町地区は新聞社が集中していた地区。この昭和末期に旧朝日新聞社跡が有楽町西武に、旧読売新聞社跡がプランタンデパートになったのは時代の変化を象徴する出来事だったと言えよう。

 そのプランタンは2016年に閉店し、現在はユニクロのメガストアである「ユニクロTOKYO」などが入るファッションビルになり、地階にはスーパーマーケット「OK」が入居。有楽町西武は2010年に閉店し、その後には2011年にJR系のファッションビルであるルミネが入居している。

 バブル後の「失われた30年」はデパート業界にもボディブローのようにじわじわと痛手を与え、消費スタイルの変化もあり、2000年代前後には都内百貨店の閉店が相次ぐ。

 そごうは2000年に経営破綻し、同年、有楽町そごうは閉店。その店舗跡は翌年ビックカメラ有楽町店となった。

 その前年1999年には、東急百貨店の日本橋店が閉店。この店は、江戸初期創業の老舗「白木屋」と合併して、1967年に東急百貨店日本橋店となった店だった。

 日本橋は、江戸以来の伝統的な商業地としてのブランド力を発揮してきたエリアだったが、昭和を経て平成期になると、時代の変化もあり求心力が著しく低下していた。その東急日本橋店跡地は、オフィスと商業の複合ビル「コレド日本橋」に再開発。その周辺でも、日本橋の上に架かる首都高速道路の地下化や、高度経済成長期築のビルの建て替えなどが進んでいる。

■生き残ったデパートたちは…

 一方で、日本橋の三越、髙島屋は現在も日本を代表する老舗デパートとしての威力を発揮しているが、三越は2011年に伊勢丹と合併。2018年には経営統合している。

 その三越、伊勢丹、髙島屋の各デパートは昭和戦前築の店舗建物で老舗としてのブランド力をアピール。三越、髙島屋の建物は国の重要文化財にも指定、伊勢丹は東京都の歴史的建造物に選定されている。

 新宿伊勢丹、銀座三越では、インバウンド客の売り上げも好調だ。現在、都内の百貨店ではどこも外国人観光客が上客であり、彼らが目指す人気商品の品揃えや免税などのサービスにも力を入れている。そうした外国人客の姿を多く見かけるようになったことも近年の百貨店における変化だと言えよう。

 一方で都心では、既存の百貨店内や閉店した百貨店跡に家電量販店が入居する例も数多く見られるようになった。

 2002年には新宿駅西口の小田急百貨店の別館・小田急ハルク内の複数フロアに、ビックカメラ新宿西口店が開店。

 新宿東口の新宿三越アルコット(旧新宿三越)は2012年に閉店し、同年にはビックカメラ とユニクロの複合店である「ビックロ」が開店。その後、2022年ビックカメラ 新宿東口店に。

 三越の池袋店は2009年5月に閉店後、ヤマダ電機の店舗になるなど、2000年以降、閉店した百貨店跡は軒並み家電量販店となっていった。

 この時期、ビックカメラ 、ヨドバシ、ヤマダといった大手家電店は都心駅前の立地への出店に積極的になり、その物件として閉店後の百貨店建物が、立地、規模ともに絶好だったことが、このような状況へとつながった。

 平成後期からの若者のデパート離れ、ネットショッピングの広がりといった事情も、相次ぐデパートの閉店という状況を後押しした。こうした状況は都心ばかりでなく、デパートの郊外店、地方の支店にも共通している。

■デパートを支える“3つの柱”

 かつては、呉服、紳士・婦人服から宝石、美術品、電化製品、家具、おもちゃ、化粧品と、なんでも販売していた文字通りの“百貨店”だったのがデパート。

 現在は店内に海外のラグジュアリーブランドを揃え、外商の富裕層顧客や爆買いの外国人観光客を上客とする高級店化が生き残り策となっているようだ。

 そんな中でも多くの客を集めているのが、人気スイーツやお惣菜、酒類、生鮮食品を販売するデパ地下。そして、デパートの化粧品売り場でしか展開されていないメーカーや、高級な製品を美容部員のカウンセリングとともに販売するデパート・コスメ(デパコス)の化粧品売り場だ。

 今年夏にリニューアルオープン予定の池袋西武も、ラグジュアリーブランド、デパ地下、デパコスを店の3本柱にするという。

 そして、現在生き残っている都心のデパートも、その3部門の売り場の充実に注力しているのは一目瞭然。

 令和の世のデパートは、昭和の時代とは別物として存続していくようだ。

東洋経済オンライン

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最終更新:2/17(月) 17:52

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