P&G出身の若者2人が超大企業の頂点を極めた意味 それは生まれつきの「才能」があったからなのか

3/10 13:02 配信

東洋経済オンライン

ビジネスパーソンは誰しも何年も仕事に取り組んでいますが、その中で群を抜いた実績を挙げる人とそうでもない人の差が生まれるのはなぜでしょうか。ビジネスの世界で頂点を極める人には、生まれつきの才能があるのでしょうか。
才能の正体に迫り、何年も読まれ続けるロングセラーの新装版『新版 究極の鍛錬』より一部抜粋、再構成してお届けします。

■成功する人はどこが違うのか

 1978年半ば、シンシナティにあるプロクター・アンド・ギャンブル(以下P&G)の巨大な本社の一室に、大学を卒業したばかりの22歳の二人の男性がいる。そんな様子を頭に浮かべてみてほしい。

 彼らへの課題はアメリカの製粉会社ダンカン・ハインズ製のホットケーキ粉、ブラウニーミックスの販売促進を考えることだった。二人は同社の厳格なルールに従い何回もメモを推すい敲こうしていた。二人は見るからに優秀で、実際一人はハーバード、もう一人はダートマスというアメリカでも有数の大学を卒業したばかりだった。

 しかし、P&Gの同期の中では、そうした学歴もとくに際立つものではなかった。P&Gが毎年採用する若いやり手の社員たちとの違いは、野心の強さではなかった。特定のキャリアプランやキャリアゴールでもなかった。いや、実際彼らは午後にはいつも丸めた紙とゴミ箱でバスケットボールごっこに興じたものだ。のちに当時のことを振り返って、彼らのうちの一人はこう語っている。

 「我々はもっとも成功しそうもない二人だとみなされていた」

 この二人の若者をここで取り上げた理由はたった一つ、一人はジェフリー・イメルトであり、もう一人はスティーブン・アンソニー・バルマーだからだ。50歳になる前に、二人は世界でももっとも重要な企業であるゼネラル・エレクトリック(GE)とマイクロソフトのCEOにそれぞれ就任し、企業社会の頂点を極めている。良識のある人が彼らの新入社員時代の様子を見ていたとしても、おそらく誰も二人の今日の成功を想像できなかっただろう。

 これを聞けば、ではいったいどうやって彼らが今日の地位を手に入れたのかと、誰もが問いたくなるだろう。

 それは生まれつきの「才能」だったのか?  

 もしそうならば、22歳になっても片鱗を見せることのなかった不思議な才能ということになる。

 それでは「知能」なのか。彼らはたしかに優秀だ。しかし同期や他の多くの優秀な者たちと比べ、際立って優秀であったという証拠はない。とてつもない努力をしたのだろうか。もちろん、ある程度までそうした努力はしただろう。

 しかし、何らかの理由があったからこそ、彼らはビジネス界最高のポジションまで上り詰めることができたはずだ。そして、その理由はおそらくもっとも大きな謎なのである。それがわかればイメルトやバルマーの例に当てはめられるだけではなく、我々のまわりの人間や我々自身にも応用することができる。

 もしその特定の何かが我々の常識を超えたものであれば、いったいそれは何なのだろうか。

■群を抜いた業績は誰にでも手に入る

 友人、親戚、同僚、あるいはお店やパーティで出会う人々を見てみよう。我々はどのように日々を過ごしているだろうか。多くは働き、スポーツ、音楽、趣味、ボランティア活動など、その他数々の活動に携わっている。我々は自ら取り組んでいることをどれだけうまく行っているだろうか。

 ここで自分に正直に問いかけてみてほしい。

 たいていの場合、問題なくやっていると答えるかもしれない。続けられる程度にはこなしているからだ。仕事でも解雇されてはいない。むしろ、おそらく何度も昇進しているだろう。そしてスポーツやその他の趣味についても同様で、楽しめる程度の腕前はある。しかし、取り組んでいる事柄で真に「偉大な業績」(国際的に評価されるような驚異的な高い基準で)を上げている人たちは、例外にすぎないだろう。

 彼らはなぜ偉大な業績を上げられないのだろうか。実業家であればジャック・ウェルチやアンディ・グローブ、ゴルファーでいえばタイガー・ウッズ、バイオリニストではヤッシャ・ハイフェッツのようにどうしてなれないのか。

■趣味や遊びには仕事ほど真剣に取り組んでいない? 

 結局のところ、周囲のほとんどの人は、おそらく、そこそこに善良で誠実であり、勤勉に取り組んでもいる。なかには20年、30年、40年という長い期間にわたって取り組んできた人たちもいるはずだ。なのに、なぜこうした努力にもかかわらず、彼らは偉業を達成できないのか。その理由ははっきりしない。実際、偉業を達成したり、その域に近づいたりした者さえほとんどなく、いたとしてもほんの一握りにすぎないというのが厳しい現実の姿だ。

 この謎はあまりにも当たり前のことのようにみえるので、謎であることにさえ気がついていない。にもかかわらず、この謎は、我々の組織、そして人生が成功するか失敗するかということや信じている理念が正しいのか間違っているのか、という点で決定的に重要なことなのである。

 このことをいくつかの事例を取り上げて、もっともらしく説明することは可能だ。たとえば、「趣味や遊びには、仕事ほど真剣に取り組んでいないからだ」と説明することはできる。

 しかし、仕事はどうだろう。我々は仕事のために何年にもわたり教育を受け、起きている時間のほとんどをそのために捧げているではないか。仕事より重要で、優先順位が高いとふだんは考えている家族との時間も、実際仕事につぎ込んだ時間と比較するとその差にたいていの人々は困惑することだろう。

 実は、優先順位が仕事にあるということが歴然と証明されてしまうからだ。それだけ時間を費やしたにもかかわらず、そこそこの仕事しかできていない自分を見せつけられることになる。

■スキルと経験には相関関係がない

 実態はこれよりももっとひどい。多くの研究成果から、ほとんどの人が何年たっても、自分の分野で傑出した成果を上げていないだけでなく、習いはじめの水準から抜け出せないことが判明している。会計監査に従事して何年も実務経験を積んだ会計士の能力は、企業の粉飾発見の訓練を受けたばかりの新人会計士の能力とあまり差がないという調査結果が出ている。

 ある一流の研究者は、臨床心理学者が人格障害を判断するのに、その経験年数とスキルの間には相関関係がないと結論づけている。手術の後どれぐらいの期間入院するかを予想する能力も、ベテラン外科医と見習い医師との間にほとんど差はない。

 株式ブローカーであれば推奨すべき株の銘柄の選択、保護観察官であれば累犯の予想、大学の入学審査官では入学願書の評価能力などにも、それぞれの研究結果から経験豊かな人と経験が少ない人との能力には格別差がないことが明らかになってきた。決定的に重要だとみなされている数々の専門領域におけるスキルと経験には、相関関係がないのだ。

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最終更新:3/10(日) 13:02

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