どうやって生きればよいのか…妻に先立たれた夫が知った“悲しすぎる現実”

5/15 20:02 配信

ダイヤモンド・オンライン

 自分の妻に先立たれたあとを想像できる男性はどれほどいるだろうか。保険関係の書類はどこにあるのか、葬儀の段取りはどうすればいいか、これから自分はどうやって生きればいいのか……。他人事ではない「妻の死」とその後を考えていこう。本稿は、樋口裕一『凡人のためのあっぱれな最期』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。

● 音楽の趣味も政治思想も 正反対だった妻と夫

 決して仲の良い夫婦ではなかった。行動をともにすることはほとんどなかった。家でも食事の前後にテレビを見ながら話をするくらいで、基本的には別の部屋で過ごした。

 妻が元気だったころ、家族全員で話をしていた時、「夫婦は長く一緒にいるうちに似てくる」という話になった。今は亡き野球の野村監督夫妻などを例にしながら、語っていた。

 「うちもそうかな?夫婦で似てるか?」と私が聞いてみたら、娘が即座に答えた。「お父さんとお母さんは似ようがない」。息子もそれに賛成した。

 妻と私はどこからどこまでも正反対に近い。容姿もまったく異なるし、好みも異なる。

 私はクラシック音楽、西洋文学を好み、書斎タイプで外に出るのが大嫌い。スポーツをするなんてとんでもないし、ハイキングなど絶対にしたくない。旅行をするなら海外旅行で、温泉旅行にはわざわざ行きたくない。

 妻は大声でしゃべるが、私は小声でボソボソとしゃべる。政治的には基本的にはリベラル派で、右派的傾向の強い妻とはずいぶん異なる。何から何まで価値観が異なっていた。

● 身体の半分がもぎとられた感覚 妻の死後は何をしても悲しい

 それでも、これまで何はともあれ妻がいたのに、その妻がいなくなってしまったというのは、精神的にこたえる。身体の半分がもぎとられたような気持ちになる。しかも、妻の死の直前の苦しむ姿を目の当たりにしている。たびたびそれがよみがえる。

 部屋に入るごとに、そこに妻がいるような気がする。妻がいつも使っていた道具がそのままになっている。妻が最後にそれを使っていた時、妻はどんな気持ちだったのだろうかと思わざるを得ない。

 風呂の掃除をする。妻の闘病中、私が掃除をすることが多かったが、私の掃除の仕方が雑だというので妻に強く叱られた時のことを思い出す。

 何をするにも、妻が語ったことがよみがえる。掃除だけではない。妻がしていた家事をするごとにあれこれ思い出して、悲しい気持ちになる。

● これからどうやって生きるのか すべて崩れた老後の生活設計

 妻の死によって私が漠然と思い描いていた老後の生活設計がすべて崩れてしまった。これからどうやって生きていけばよいのかわからない。いや、それ以前に、そんな先のことでなく、日々の生活で困ってしまう。

 精神的な事柄以上に、実際的にも妻がいないことで困ったことが多かった。

 妻自身も死を覚悟していたので、生前、大事な書類のありか、死後の相続の方針、葬儀のあり方などは相談していた。

 だが、最終的には急に体調を崩したので、最後の整理をしないまま妻は病院に行って、そのまま帰ってこなかった。

 私は家の仕事のほとんどを妻に任せっぱなしだったので、様々なもののありかがわからなかった。

 最初に困ったのは、妻が入っているはずの保険の証書、年金手帳などの書類だった。相続手続きなどに、あれこれの書類が必要になったが、それが見つからない。妻の保険証、通帳、いや妻のものだけでなく、私の書類も見つからない。

 しかも、妻は私の営む零細企業の役員であり、経理を担当していた。闘病中も、妻は時間を見つけて体調の良い時に、その作業を行っていた。妻が亡くなると、それも一切できなくなる。

 そもそも私は何をどうしてよいかわからない。何がどこにあるかもわからない。会計事務所にお願いしているので、最悪の場合、あれこれ世話になることができるが、それ以前にそろえておくべき書類が見つからない。

 会社宛てに請求書が届くが、どう処理するのかもわからない。妻が闘病の最中にそろえた書類などがあるが、それがどのような書類なのか?その意味さえもわからない。

 何かを探している時、あるいは、どうするべきかを考えている時、ふと妻に相談したくなる。

 まず妻の通夜と葬儀の際の食事などの手配をどうするか判断しなければならない。つい、妻が横にいるような気で、「どうしようか」と相談したくなる。その瞬間、「そうだそうだ、妻が死んだために通夜をするんだった」と思い出す。そのたびにまた暗い気持ちになる。

 ともあれ、そうして一人暮らしをしながら、会計事務所の担当者に相談しつつ相続手続きを行い、様々な失敗を重ねながらも、大きな問題なく手続きは済ますことができた。

● 常に付きまとった死の意識 好きだった曲も悲しく聞こえる

 妻の死という大きな出来事があると、どうしても死を意識してしまう。

 私は、しばしばコンサートに行くが、その時も、「そういえば、あの時、○○さんをこのあたりで見かけたが、数年前に亡くなったんだった」と思い出す。

 「あのころはあの人は元気だったが、もう亡くなった」「あの人は癌で亡くなった」。そんなことが頭をよぎる。

 「人は死ぬ」「誰もが死ぬ」「目の前のこの人も、そしてもちろん私も近いうちに死ぬ」。そのことが、リアルなものとして私に迫る。

 コンサートだけでなく、どこに行っても、何をしても、それが頭から離れない。友人にメールやLINEで連絡を取る。なかなか返事が来ない。「もしかして死んでいるのでは?」「また親しい人を亡くしたのではないか」という恐怖を覚える。

 もちろん、これまでそのような心配が実際に起こったことはほとんどないのだが、それでも恐怖を覚える。

 もちろん、妻の死後も楽しいことはたくさんある。うれしいことはたくさんある。孫と話すと幸せになる。音楽を聴くと感動する。旅行に行くと目を奪われる。気の合う人と一緒にいると楽しい思いをし、笑い転げる。

 だが、しばらくは心の奥底で死の音が鳴り続けていた。まるで通奏低音のように、私の心の奥底で常に死のメロディが鳴っていた。道を歩いていて、ふと自分が険しくて暗い表情をしていることに気づくことがあった。

 フォーレは好きな作曲家の一人だ。あの清澄で心洗われるような『レクイエム』をはじめ、歌曲や室内楽にはしっとりとして内面的な美しい曲がたくさんある。以前は、フォーレを平気で聴いていた。大学に通う車の中でも聴くことがあった。

 ところが、妻の死後、フォーレを聴くとなんだか悲しみの中に沈潜してしまう気がする。フォーレの内面的な音楽の中の悲しみの部分に、そして自分自身の悲しみの核心に触れているような気がする。

 暗い気持ちになり、悲しみから逃れられなくなる。フォーレを聴くごとにそんな気持ちになるので、しばらくフォーレを聴くのをやめている時期があった。

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最終更新:5/15(水) 20:02

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