「京大VS吉田寮生」退去迫られた院生たちの絶望 老朽化を根拠にする大学、大学自治掲げる院生

5/22 9:32 配信

東洋経済オンライン

国が大学の研究力強化に向けた政策を打ち出す一方で、将来の研究を担うはずの大学院生は減少傾向にある。大学院生を取り巻く現状を探るこの連載の第5回は、京都大学吉田寮が舞台だ。大学側は吉田寮に住む寮生たちに、寮の明け渡しを要求したが、学生たちはそれを不服として司法の場で争っている。寮生側に、大学の要求に対する思いなど、話を聞いた。
 日本最古の学生寮と呼ばれる、京都大学の吉田寮。1913年建築の「現棟」と、2015年に新築された新棟も含めて、寄宿料は月400円だ。水道光熱費などを合わせても、月2500円ほどで暮らせる。

 吉田寮の運営は、長年、寮の自治会と大学との話し合いのうえで行われてきた。ところが大学側が2017年12月に、老朽化などを理由に、一方的に寮からの退去を通告した。

 2019年4月以降、寮生と元寮生あわせて40人に対して「現棟」と食堂の明け渡しを求めて提訴する、前代未聞の事態が起きた。

■一審で寮生側がほぼ勝訴したものの…

 京都地裁での5年にわたる審理の結果、2024年2月に言い渡された一審判決は寮生側の主張をほぼ認める内容だった。

 寮自治会の法的な主体性を認めたうえで、現在入寮中の17人のうち、大学側が退寮要請以降に入寮したことが確認できない3人を除く、14人に対しては、立ち退く必要はないと判断された。

 一方で、大学側が退寮を確認できていないとする元寮生23人に対しては、明け渡しが命じられた。このうちの3人と、現在入寮中で明け渡しが命じられた3人の合計6人が大阪高裁に控訴。大学側も控訴した。

 寮自治会は吉田寮の意義を「経済的困難をはじめとするさまざまな事情を抱えた学生の福利厚生施設」「豊かな自治が行われ多様な人が集い交わる場」と掲げる。寮を守る訴訟の一審で寮生たちは「ほぼ勝訴」したものの、今も裁判への対応に追われ、学業や研究に割くべき時間を削られている。

 被告の中には研究で忙しい日々を送る大学院生もいて、研究を続けていくうえででも、寮の存在は重要だという。

 「9割方負けると思っていましたから、判決が出た瞬間は『勝った』と思ってびっくりしました。学生自治会が大学に勝つのはあまり前例がないでしょうから、画期的な判決だと思います。

 もちろん、シビアな見方をすれば全面敗訴を免れただけで、こちらの主張が十分認められたわけではありません。とはいえ追い風が吹いたのは確かなので、これからが大事だと思っています」

 判決についての感想を率直に語るのは、京都大学大学院教育学研究科の博士課程に在籍している大沼さん(仮名)だ。

 被告の1人であり、裁判で弁護士とのやり取りや、寮自治会の意見の取りまとめなど、寮生側の事務局的な役割を務めている。

■吉田寮への入寮で、奨学金借りるのをやめた

 大沼さんが吉田寮に入寮したのは、文学部の3回生だった2017年4月だ。

 実家は熊本県内の農家で、野菜や米が送られてくることはあったものの、基本的に仕送りはなかった。

 入学後に京都大学独自の制度で学費の免除が認められたほか、日本学生支援機構(JASSO)から月5万1000円、地元自治体から月2万5000円を借り、家賃や食費などの生活費に充てていた。

 もちろん、バイトをしなければ、民間のアパートで生活するには足りない金額だ。それに、奨学金はいずれも将来的に返済しなければならないものだ。大沼さんは寮費が安い吉田寮に入寮することで、奨学金を借りるのをやめることにした。

 「奨学金は結局借金で、学部を卒業するまでに300万円近くになってしまいます。まず2回生が終わったタイミングで地元自治体の奨学金を辞退しました。吉田寮に入ったことで、奨学金と同じくらいだった、アパート代が浮くからです。

 その後、JASSOの奨学金も4回生の夏でやめています。今冷静に振り返えれば、借りるだけ借りて手をつけないという方法もあったのかもしれませんが、当時の私にとっては借金の額が増えていくことへの拒否感というか、恐怖感もありました。

 寮に入りアルバイトをすることで借金を増やさないで済む方法があるならば、それがよいだろうと考えたのです」

 しかし、大沼さんが入寮して8カ月が経った2017年12月に、大学側から寮自治会に対して一方的な通告が届く。

 老朽化の下で「可能な限り早急に学生の安全確保を実現する」ことが喫緊の課題だとして、新規入寮の停止と全寮生の退去を求めてきた。

 2015年に完成したばかりの新棟の入居者にも退去を求めていたことから、寮生は「老朽化」という理由を信じなかった。

 2015年まで寮自治会と大学の間で確認されていた確約書では、これまでの補修の有効性を大学側も認めていて、今後の補修も継続して協議することで双方が合意していた。老朽化を理由とした立ち退きは確約書を無視するもので、2017年当時の大学執行部が突然言い出したのだと、寮生側は主張している。

 大沼さんは当時のことを振り返りながら、こう語る。

 「大学は寮費と同額の家賃で住める待機宿舎を用意すると言ってきたので、そこまでやるのかと思いました。お金に糸目をつけず本気で立ち退かせるつもりだと感じました。自治寮という存在がそんなに邪魔なのかと。

 寮生は当時270人いて、通告を受けた日の夜は混乱しました。夜遅くまで対応を話し合いましたが、意見はまとまりません。

 みんなそれぞれに事情があるので、結局150人以上は寮を出ていきました。寮には停滞感というか、閉塞感が漂って、寮生はそれぞれに悩み、精神的にきつかったと思います」

 さまざまな理由から100名近くの寮生が残り、話し合いの継続を求めたが、大学側は応じず、寮生との非公開の交渉も建設的でないとして打ち切った。大学側はその後強硬な手段に出て2019年4月以降、現棟に住む寮生と元寮生合わせて40人を提訴した。

 大学側は、「『吉田寮生の安全確保についての基本方針』『吉田寮の今後のあり方について』を決定し、大学の考え方をウェブサイトに掲載するなど広く周知するとともに、退舎に向けた受け皿として、代替宿舎を希望する者には寄宿料をこれまでと同じ金額で民間の賃貸物件を提供し、早期退舎を促してまいりましたが、残念ながら、その後も吉田寮現棟に居住している者、立ち入りを続ける者がいることから、やむを得ず提訴に踏み切った次第です」としている。

 これを受けた大沼さんたちは、「私たちは、大学が話し合いのテーブルにつけば現棟からは退去するという譲歩案を出したのですが、大学は聞く耳を持たず訴えてきました。訴えられたのは残念で、ショックでしたね」と語る。

■経済的な余裕がない院生にとって大事な場所

 大沼さんは、2018年度の後期以降に合計2年の休学をして、アルバイトや、寮の存続のための活動に時間を費やした。また就職活動をして7回生で内定も得たが、卒業後は大学院の修士課程に進学することを決意する。

 それは、寮を守る活動とも、関係があった。

 「必要に迫られて吉田寮の歴史を調べ、昔の資料を読み込んでいくうちに、大学やそこで学ぶ学生の自治や運動に関する歴史をもっと学びたい、研究したいという気持ちが芽生えてきました。

 1925年に治安維持法が公布されるなど、1920年代に大学の思想統制が強まり、1930年代後半になると学術動員や学徒動員へと進んでいきます。そういう状況の中でも大学には自治の観点があり、政府や文部省も必ず一枚岩ではありませんでした。

 戦前期の日本における大学自治がどのように意識され、その中で学生の自由や自治はどのように考えられていたのかをテーマにした修士論文に取り組みました」

 修士課程に進学して大沼さんが感じたのは、経済的な余裕がない修士の院生にとって、寮での暮らしは助かる場面が多いということだった。

 「修士課程への進学当初はわからないことばかりなので労力もかかりましたし、自分でテーマを決めて調べていかなければならないので時間がとても必要でした。最初から要領よく進めていくことができる人はほとんどいないと思います。研究に割く時間が切に必要でありながら、修士の院生は経済的にも厳しい環境にある人が少なくないように感じています。

 私も研究に加えて、アルバイトの疲労や裁判とも向き合ってきて、驚くほど時間がありませんでした。修士論文を書いている時期はアルバイトも減らし、学部時代に作った貯金を食い潰し、知人にお金を借りてやりくりしました。もし寮がなかったら、修了に至らなかったと思います」

 大学院に進学する学生が減少傾向にあるのは、経済的負担の大きさも背景の1つだ。

 大学が入学者に対して「入寮禁止」の文章を配るこの5年ですら、経済的な理由によって、吉田寮へ入寮する、修士課程の院生は少なくなかった。大沼さんは、寮での交流も重要だと感じている。

 「博士課程に比べると、修士課程の院生に対する経済支援は限られていて、数少ない情報を自分で見つける必要があります。また、限られた時間を有効に使うためにいいアルバイトを見つけることも必要です。そういうニーズに対して、寮は貧乏人の集合というか(笑)、そういう情報が自然と集まるところがあるので助かります。

 それに、院生が過ごす場所は研究室がほとんどです。研究室のコミュニティ中心の生活を送るものの、気軽に話せる相手がほかにいなかったら、研究に行き詰まったときや、精神的に追い込まれてしまったときに思い詰めてしまいます。実際にそれで大学院を辞めていく人がいるという話も聞きます。

 私も研究が行き詰まった時期がありました。そのときに、寮でほかの分野の院生や学部生と話すことが息抜きになります。1人で煮詰まったときには、振り切って寮生と鍋を囲んだこともありました。精神衛生を保つうえでも、寮に住んでいてよかったと感じました。経済的に苦しく、忙しい大学院生にとっては、寮は1つの社会資源だと思っています」

■京大の教授たちも声明文を発表

 裁判は一審判決が出たものの、これからも高裁での審理が続く。

 寮自治会では判決を受けて、「控訴をせず訴訟を終わらせること、および確約を引き続き、団体交渉を再開すること」を求める声明を出した。

 また、京都大学の教員と元教員の42人も、湊長博総長らに対して声明文を提出。判決は「対話の価値や自治の価値などを認めさせた歴史的判決だったと言っても過言ではない」として、控訴を断念することと、寮自治会との対話を再開することなどを求めた。

 しかし、大学側は話し合いを再開することなく控訴した。大学側は判決を「遺憾」として、「引き続き裁判所に本学の主張を理解いただくために努めるとともに、改めまして、現在、吉田寮現棟に居住している全ての者に対し、速やかに退居することを求めます」とコメントを出している。判決を受けても強硬な姿勢を変えていない。大沼さんは大学に対する思いを次のように語った。

 「大学が出した『引き続き裁判所に主張を理解していただくために努める』というコメントは、本当に恥ずかしいと思います。理解を求める相手は裁判所ではなく、目の前にいる寮生や学生、教職員、市民ではないでしょうか。

 改めて振り返ると、この5年間は本当に無益だったと思います。大学はこの間代替宿舎を提供し続けるために数億円を使っていると考えられます。

 それだけのお金と時間があれば、老朽化の対策を進めることができたのではないでしょうか。裁判も、結局寮生に対する嫌がらせ・ハラスメントにしかなっていません」

■寮廃止の動きはほかの大学でも起きている

 寮を廃止する動きは、全国のほかの大学でも起きている。2023年3月には、金沢大学の男子寮である泉学寮と、女子寮の白梅寮が廃止された。どちらも寄宿料が月額700円だった。

 寮生は強く存続を求めていたが、大学側は3月31日までの寮からの退去と、電気・ガス・水道の供給を停止することを一方的に通告し、同日閉鎖した。

 2022年10月には大学設置基準が改正され、大学の寄宿舎はこれまで「なるべく」備えるものとされてきたのが、「必要に応じて」設けるものと変更された。寮の廃止に拍車をかける改正と受け取ることもできる。

 一方で、吉田寮裁判の一審判決は、「低廉な寄宿料で居住することのみが在寮契約の目的であったとは認められず、代替宿舎の提供をもって、本件建物についての在寮契約の目的が達成され終了したとはいえない」と、居住空間だけではない寮の価値を認めたものだ。寮生の裁判での闘いが、大学の寮のあり方を再考する機会を作っているのは間違いない。

 大沼さんは博士課程に進学した4月以降も、引き続き裁判の事務局の役割を担っている。最後まで闘いながら、大学に問い続けていく考えだ。

■社会の広い文脈で考える必要

 「吉田寮の存続を目指す取り組みはもちろんですが、それだけでなく、この取り組みを通じて、自分たちの置かれた状況をもっと社会の広い文脈で考えていくことも大事だと思っています。

 昨今授業料の値上げも取り沙汰されていますが、なぜ学ぶことのお金を個人が負担することが当たり前とされてしまっているのでしょうか。なぜ自治というものが敵視されるのでしょうか。そういう問題は今の社会のあり方とつながっていることを、この間の活動の中で学びました。ただ吉田寮が残ればよいという話ではないと今は思っています。

 大学が真に公共的な場所であるためには、話し合いで物事を決めていく自治によって運営され、多様な人々が集い、既存の社会を批判的に思考できる場であることは、重要なはずです。大学執行部の人たちには今やっていることの意味をもっと考えてほしいです」

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最終更新:5/22(水) 9:32

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